行動経済学の教科書に出てきそうなベタな行動

2013-12-22 11:46:02 | Weblog


1⃣映画館の入るモールで軽食。

2⃣お会計が2794円。テーブルで駐車券を出すと「¥1,000につき、無料駐車1時間分なので、2時間つきます」と 言われる。

3⃣「えっ?あと¥206足せば3時間無料か」という心理が勝手に働く。
⭐ここがミソ?罠?いや、アホ

4⃣メニューをみて、コーヒーならいいかと追加注文。でも、実は¥452もした。

5⃣結局、¥3246を支払い、3時間無料分の駐車券を握りしめながら、いそいそと駐車場に向かい、何気に駐車料金一覧に目をやると、そこには30分¥200と書いてあった。

6⃣僕の得した感が一気に吹っ飛び、実は¥53ロスしていたというお話。

7⃣金額の問題ではなくて、行動経済学のセミナーまで受けた自分が、その分析通りの行動をしてしまった不甲斐なさに喝!

進撃の巨人 (年甲斐もなく、身も蓋もなく)

2013-12-11 07:57:03 | Weblog
画力のなさを補ってあまりある程の物語のオリジナリティと構成力。たまたま、伝える起点となったメディアが漫画だっただけ。
宇宙以外で勝負した場面設定も生々しい人物描写も巨人(敵)を画一的に描かない手法も捕食場面のグロさも、過去のアニメには見られなかった斬新なもので、SNSを始めとするネットの増殖によって現在進行形で世界中のコアなファンをつかんでいった感じ
美しさと脆さを兼ね備えた立体機動なんて、ありそうでなかったアイデア
着想力の勝利だ。




「私は…強い…あなた達より強い…すごく強い!
…ので私は…あそこの巨人共を蹴散らせることができる…
例えば…一人でも
あなた達は…腕が立たないばかりか…臆病で腰抜けだ…
とても…残念だ
ここで…指をくわえたりしてればいい…くわえて見てろ」
ミカサアッカーマン


自分は嘘つきだということの数学的考察

2013-12-04 00:39:54 | Weblog
自分は嘘つきだ


もしこの言葉が「真実」であれば、真実を言ってしまった自分は「嘘つきである」という発言内容と矛盾する。

この言葉が「嘘」だとすれば、自分は「正直者である」事になり、「正直者なのに、嘘を言った」ので、結局は自分の言葉が、真実でも、嘘でも、おかしなことになる。


一方、「自分は正直者だ」と言った場合は

それが「真実」だとすれば、言葉通り正直者が「自分は正直者だ」と真実を言ったのだから、問題なく成立する。

ただ逆に、この言葉が「嘘」だった場合でも、嘘つきが「自分は正直者だ」と嘘を言ったことになるので、これも問題なく成り立ってしまう。

その結果、「自分は正直者だ」という命題は、真でも偽でも、どちらでも成り立ってしまうことになり、結局、真とも偽とも決められなくなる。

要するに、『自分は正直者(嘘つき)なんだ』と、自分のことを言及したところで、その言葉の正しさを絶対に証明できないことになる。

よって、自分の言葉の真偽すら証明できない者が、いくら「自分探し」をしても、それはやはり永遠に答えを見つけることはできないだろう。

と、結びはやや強引な気もしたが、僕が最近拾い読みしているブログに書かれてあった小ネタが面白かったのでご紹介した。

よく、「自分探し」に限らず、巷には、人生に悩んだ時の指南書らしきもので溢れかえっているが、数学的にみれば、それは、証明できないものに時間を無駄に費やすことでしかない.....
という割り切り方も時には精神衛生上いいのかもしれない。

いやいや、答のない問いかけに自分の身を委ねる時間こそが、貴重で尊いものだ、それが青春だ!とお叱りを受けそうだが.....。


因みに、ブログでは、証明できないものの存在を証明したはずの数学理論自体が、ある日クルト・ゲーデルによって「数学理論は不完全であり、決して完全にはなりえないこと」を数学的に証明されてしまったと説いていた。