流るゝ水の如く

2011-05-26 13:54:22 | Weblog
行く川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮ぶうたかたは、かつ 消えかつ結びて久しくとゞまるためしなし。

方丈記より

滝は滝になりたくてなったのではない。
落ちなければならないことなど崖っぷちに来るまで知らなかったのだ。
しかし、まっさかさまに落ちて落ちて落ちて、たたきつけられた奈落に思いがけない平安が待っていた。
新しい旅も用意されていた。
岩を縫って川は再び走り始める。

島田陽子(詩人)の詩より

水は雄弁だな。

急峻な岩場を荒々しく削りながら進む急流が、かつて鼻水を垂らしながら広島の街をチャリンコで疾走し、やがて、ニキビ面にマジソンバッグを抱えて、花の都は婆ちゃん達のシャンゼリゼ巣鴨辺りを彷徨いてたおれだとすれば、扇状地に出た後は真っ直ぐに進むことを許されず、それでも大きく蛇行を繰り返しながら、だんだんと川幅を広げていった姿は、きっと扇状地ならぬ戦場地のような社会で、「社会の一員」であることを強いられながらも、なんだかんだと国内、海外問わずにがんばっちゃった頃のおれにシンクロするのかね。
今も不本意ながら毎月のように中国に旅立ち、何故行くのかと問われれば、「今そこに巨大なマーケットが躍動しているから。」と澱みなくうそぶける(実際にはメルトダウンのカウントダウンが始まってるのにね。)ほどの立派な大河になったわけですが、見つめる視線の先に映るのは、広大な海に注ぎこむその日のことです。
それは、上の詩にもあるように旅の終わりではなく、新たな旅の始りであることを信じて。

午後に外出が入り、移動時間を利用して独りごつのは、まるで岩の間をすり抜ける、流るゝ水の如し。

久しぶりに、独りごつ

2011-05-23 07:39:27 | Weblog
太陽が燦々。サングラスの似合ういい女は、 颯爽と自転車で僕の目の前を駆け抜けていった。 ただ、それがママチャリで子供を乗せていただけ。


韓国の女優さんでスエさんですか? きれいだ、きれい。 彼女の主演した映画「Midnight FM」は、とてもおもしろ.........。


おもしろ「かった」とはっきりと言えないのは、クライマックスで成田に着いてしまったから。


中国で、中医と云えば、漢方のことらしい。てっきり、大病院より少し小さめの中型病院のことだと思った。 そう言えば、小学生の頃、台風一過のことを、大型やら小型やらの台風が大挙して押し寄せるものだから、殴り込みを文字って台風一家だと本気で思っていた。

一生の内、もやもやとした気分で過ごす時間は案外と長いものだ。具体的に算出する術もないが、まるで人間は、もやもやを感じられる特権を有するために生まれてきたと思えるほど大半を占め、少なくとも、爽快な時間はそれより遥かに短い。それが人生。けれども、絶望的な気持ちに浸る時間は、おそらくはさらに短いのだろう。

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この映画、ちょっと肩に力が入り過ぎ。異常なネット世界を描いても、どこか嘘っぽいし力み過ぎ。そのせいもあって一番伝えたかったはずの加害者家族の姿や心理描写が中途半端になってしまった。これじゃあ、真意を「誰もわかってくれない」。