ハツカネズミノートの投資先

2012-01-29 08:49:49 | Weblog
は、オーストラリアです。

大量投資を開始しています。
投資信託中心に、今のところはすこぶる順調です。

だって、北半球は全滅だから。

でも、これだけグローバリゼーションが進んでしまっては、いずれオーストラリア経済もユーロ危機に端を発した負の連鎖に巻き込まれるのは時間の問題でしょう。

盟友、ブラジルも減速し始めたから。

そこからが、本当の思案のしどころです。



チキンリトル

2012-01-28 14:21:15 | Weblog
今朝は、久しぶりに嫌な感じの揺れでした。 
震源地も富士五湖方面で、思わず富士山との関連を想像してしまいました。霊峰だけになおさらです。


一昨日、中学時代の同窓生が癌で亡くなったと、訃報が届きました。

彼とは随分長い間会っていませんでしたが、面識のある同い年の人がこの世を去ったということで、ここ数日あれこれ考えさせられました。

たった一つの命ですらこうなのですから、況や被災した多くの方々をやです。
でも、本音と建前みたいなことで言えば、東北で被災された方々とは面識がありません。
神戸もそうでしたが、お見舞いの気持ちは山ほどあるし、同じ日本人としての絆(最近、濫用されがちですが)も強く感じています。
が、しかし、自分の人生で交差した人たちとそうでない方々とでは、やはり思いを致す強さに差が出るのも仕方ないと口にするのはさすがに身も蓋もないでしょうか?

でも、だからこそ、もしも首都圏直下型地震によって、それこそ自分の愛する人々が被害に会うことを想像しただけで....... 押し潰されそうになります。(まあ、自分だって生き残れるかどうか)

こうなると、いかに無宗教の自分でも神の思し召しのみで、人は天に召されたり、生かされたりしているのか?
自分の生きたいように、生きていくことは果たせぬ夢なのか? 折角、ネクストステージのRoad Map制作に取り掛かっても、結局はそのスタートラインに立つことなく、ねずみはかごの中で息絶えるのか? などと、ロバートキヨサキ氏のいう一種のチキンリトル状態に陥ってしまいそうになります。

ねずみがヒヨコになるのもおかしな話ですが。



あっ! これが「人生につつきまわされる」ひとつの形なのかもしれません。

そうやって、チキンリトルのように毎日「空のかけらが落ちてきた」と騒ぎたて、右往左往しているだけで無意味に人生を使うくらいなら、いつ終わるとも知れない人生の、いつ終わるかなどに気をとらわれず、MYにちを、少しでも自分の目指す形に近づけていく方を選びます。勿論、万が一の時に備えて、最低限の準備を施して。

それでも、どうしても神(神がいたとして)の気に障り、実際に空のかけらが落ちてきたとしたら...

その時は、そこに残されたもので、そこからやり直すしかありませんから。



ハツカネズミノートには

2012-01-16 00:28:41 | Weblog
まず、今ある全財産を(ローンも含めて)丹念に書きこみます。
それから、死ぬまでに発生するであろう、費用を出切る限り見落としのないように注意深く拾っていきます。
あとは、余裕資金をどれだけ欲しいか、それで何をしたいか、そのために、肝心の資金をどう捻出していくかを順々にリストアップしていくつもりです。
当てなんて、あとから考えます。まずは、ノートを埋めていくのです。

ハツカネズミノート

2012-01-15 07:49:39 | Weblog
人生の下山に絶対に欠かすことのできないものです。
自分だけのこのノートを携えて行きます。


少し自虐的なタイトルですが、上りの自分は、確かに世界を飛び回ってはきましたが、感覚的には、ロバートキヨサキの言うラットレース中のハツカネズミでした。
毎日カゴの中でホイールを回して一歩も前に進まないような。
それは、それで「MYにち」でしたから後悔はしていませんが。
でも、これからは、「ネクストステージ」は、違います。

このノートは、カゴから出るための、そして出てからの唯一の支えになるはずですし、その決意を表したものでもあります。


すでに、数頁埋まりましたが、誰にも見せられません。

登山道

2012-01-05 17:21:43 | Weblog

火野正平のおっちゃんが自転車で坂道を駆け下りながら、言っていた。
「人生、下り坂、最高!」って。
最高かどうかは別にしても、下り坂は人生になくてはならない。

そもそも、「そこに山があるから」とわざわざ御託を並べずとも、人間は誰しも、生まれた時から勝手にそれぞれの人生登山を始めてるんだ。

ピーク(山頂)をどこに設定するかは、それこそ人それぞれだろう。
最高峰を目指す人もいれば、高尾山辺りが好きな人もいよう。

むしろ肝心なのは、きちんと下山することなんだ。
頂上を極めた後で、誰にも迷惑を掛けることなく、自分の足で麓に辿り着くことだ。
どれだけ、名クライマーとして名を成しても、遭難してしまったら元も子もない。
たとえ伝説になろうとも、命を落とすことは、そのmissionの失敗以外の何物でもない。
ハヤブサが、旅路の果てに大気圏中で光り輝きながら砕け散っても、それは彼が遥か彼方の地球まで帰還を果たしたからこそ意味がある。(しかもmissionを完遂して)

人生もSo。登山と下山が対になって始めて完結する。

ならば、下山にも万全を期さねばならない。
体力や気力を使い果たしてからでは、リスクが多すぎる。
上り以上に綿密で周到な準備が必要だ。

確かに、頂上からの眺めは絶景だ。
なかなか去り難いものがある。

が、しかし。
山の天候は変わり易い。
余韻に浸り過ぎて出発が遅れると、途中でビバークの場所すら見失うかもしれない。