八濱漂泊傳

ダラシナイデラシネ記

脱新暦論

2009-02-20 23:02:00 | イケン!

 

本日は!

 の話。

 

日本人は、

1月7日に 七草粥 を食べる。

 

でも、

1月7日は、まだ寒くて 七草 の新芽を摘めない。

 

だから、

 

スーパーで売ってる

ハウス栽培の 七草 を買って粥をつくる。

 

しかし、

 

旧暦の1月7日は、

新暦よりひと月遅れているから

まさに 七草 は旬の新芽が摘める。

 

  

要するに、

 

旧暦と新暦との混同から生じた 

無理のある風習 を 無理のある流通 で

補っているから、季節のリアリティーが無い。

 

リアリティーの無い習慣は

身体感覚として継承されず、

形骸化された義務でしかない。

 

桃の節句 も 七夕 も然り。

 

 

 

旧暦では 

 

満月、新月、大潮 もわかりやすい。

 

旧暦の 1日は、 新月

旧暦の15日は、 満月

 

海はどちらも 大潮 の日となる。

 

 

さらに、

 

太陽の動きを24分割した 

二十四節気 を熟知すれば

 

自然環境との共生が見えてくる。 

 

 立春  雨水  啓蟄  春分  清明  穀雨 

 立夏  小満  芒種  夏至  小暑  大暑 

 立秋  処暑  白露  秋分  寒露  霜降 

 立冬  小雪  大雪  冬至  小寒  大寒

 

 

旧暦は、

自然環境に対して無駄もなく、無理もない。

 

 

それに比べて、 

 

新暦は、

合理的でグローバルなのだけれど

自然環境に対して、まったくリアリティーが無い。

 

おまけに、

ずいぶんと無駄が多くて、無理が多い。

 

形骸化社会の温床である。

 

 

 

思い切った 脱新暦論 に

日本のサスティナブルな可能性が

ハッキリと見えてくるのだが・・・・

 

 

たぶん、

 

お天気ねえさんみたいな

眠い話は誰も聞かないだろう。

 

 

 

アーメン!

 

 

 

 

 

 

 


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