10数年前、
『鉄くずキラリ』 というドキュメンタリー番組で、
鈴木俊輔 という人を知り、強く感動した。
その 鈴木俊輔 という人に
会いに行くべく、ご機嫌なユニックを走らせ、
中仙道を東に走り、
揖斐川を渡り、長良川を渡り、
木曽川沿いに遡り、飛水峡を目指す。
といっても、
アポを取ってるわけでもなく・・・・
住所を知っているわけでもなく・・・・
とりあえず町役場に行って、
聞く。 聞く。 聞く。
そして、
あこがれの すゞきエンジニアリング へ!
ここまでやってきて、
本人に会えなかったら、それはそれでよし。
宝石のようなガラクタをかき分けて、
そのまた奥の奥へ・・・・
ということで、
念願の 鈴木俊輔 さんに出会えた。
ちょうど、
東京のテレビ(所さんの・・・)の収録から帰ってきて、
次の作品を造っている最中だそうで・・・・
しばし、
無礼ながら、アトリエの見学をさせてもらう。
「岡山から、はるばるやって来た?
夫婦で? あの錆び錆びのユニックに乗って?」
嗅覚鋭く、私たちに同じ匂いを嗅ぎ取ったのか、
とってもやさしい 鈴木俊輔 さん。
作品の数々を見せてもらいながら、
作品の奥底にある意図をお聞きした。
飄々とした、とぼけたユーモアで
他人を笑わせる行為の源については、
私が長年、勝手に抱いていた
鈴木俊輔 像と一致していたどころか、それ以上だった。
近代から、
打ち捨てられた 物 へ・・・・
近代から、
打ち捨てられた 者 へ・・・・
惜しみなく注がれる愛情とペーソス。
センチメンタルな余韻。
街頭でハーモニカを吹く
鈴木俊輔 の哀愁。
世間は、彼にさじを投げるが、
彼は、世間に決してさじを投げない。
鈴木俊輔 は、
ひたすら、やさしい。
泣けるほど、やさしい。
この頃、
バラエティー番組に取り上げられて、
「岐阜のエジソン」 とか、
「ロボットおじさん」 とか、と呼ばれて
お笑い の対象となっているが・・・・
バラエティー番組は、
鈴木俊輔 という人の
奥の奥にある やさしい眼差し については、
けっして、
触れようとしない。
あるいは、
まったく気づいていない。
時代の意味の解る、いいキュレーターに
鈴木俊輔 が発見されることを願うが・・・・
日本では難しいだろう。
実は、
10数年前の感動が引き金となって、
鈴木俊輔美術館 なるものを設計したことがある。
もちろん、
建設される前提のないコンセプト作品。
近代から打ち捨てられた物(者)と、
物(者)を打ち捨てた近代とが、
繊細に軋み合う悲しいノイズ・・・・
(2003年)
帰路、
そんな昔のことを思い出しながら、
アトリエの外壁に書かれていた文字のことを考えた。
We Didn't Start the Fire
俺たちが火をつけたんじゃねえ!