文化2年(1805)、
日本はロシアの通商要求を拒絶。
文化3年、
ロシアはエトロフ島を攻撃し蛮行事件を起こす。
文化8年、
ロシア海軍少佐ゴローニン艦長が日本に捕らえられる。
文化9年、
海商 高田屋嘉兵衛はクナシリ島沖で
ロシア軍艦ナディア号に捕らえられ、
カムチャッカに抑留される。
この事件の結末は、
高田屋嘉兵衛の真摯で誠実な交渉術によって
リコルド副艦長と日本政府を説き伏せ、
ゴローニン艦長の釈放、両国の和解へと解決に至る。
いわゆる、ゴローニン事件である。
この時、
高田屋嘉兵衛と共に行動していたのが
児島郡日比村(玉野市日比)の
水主(かこ)松太郎である。
後にこの話は、
日比の松太郎の口述書として
『児嶋郡松太郎漂流記』にまとめられる。
日比の港が
活き活きとしていた時代の話である。
話のついでに、
この1800年前後の時代には、
同じく児島郡八浜(玉野市八浜)金剛寺の檀家
田井村に住む水主 才次郎が、
千七百石積みの神力丸にて江戸へ向かう途中、
紀伊潮岬沖で船頭他18名とともに遭難して、
遥かフィリピン北のボゴス島漂着し、
バタン、ルソン、マカオ、広東、乍甫を経て、
1年半後、長崎に無事帰国した時代である。
(神力丸バタン漂流記)
また、
同じく児島郡八浜(玉野市八浜)の
世界で初めて空を飛んだ鳥人幸吉こと
浮田幸吉が岡山城下を所払いになって
水主をしていた時代であり、
また、
直島高原氏の分家
福岡藩士 高原次郎兵衛利定が、
幕府によって取り潰された高原氏の
かつての島の繁栄を偲び、
直島 極楽寺山門に懸額を寄進した時代である。
日比の松太郎・・・・
田井の才次郎・・・・
八浜の浮田幸吉・・・・
直島水軍末裔 高原次郎兵衛利定・・・・
同じ時代を生きた海の男たちが、
同じ海域で遭遇していた可能性は高い。