八濱漂泊傳

ダラシナイデラシネ記

日比の松太郎、田井の才次郎、八浜の浮田幸吉、直島の高原次郎兵衛利定

2014-05-29 01:41:14 | シーパラダイス

 

文化2年(1805)、

日本はロシアの通商要求を拒絶。

 

文化3年、

ロシアはエトロフ島を攻撃し蛮行事件を起こす。

 

文化8年、

ロシア海軍少佐ゴローニン艦長日本に捕らえられる。

 

文化9年、

海商 高田屋嘉兵衛はクナシリ島沖で

ロシア軍艦ナディア号に捕らえられ、

カムチャッカに抑留される。

 

 

この事件の結末は、

 

高田屋嘉兵衛の真摯で誠実な交渉術によって

リコルド副艦長と日本政府を説き伏せ、 

ゴローニン艦長の釈放、両国の和解へと解決に至る。

 

いわゆる、ゴローニン事件である。

 

 

この時、

 

高田屋嘉兵衛と共に行動していたのが

児島郡日比村(玉野市日比)の

水主(かこ)松太郎である。

 

後にこの話は、

日比の松太郎の口述書として

『児嶋郡松太郎漂流記』にまとめられる。 

 

日比の港が

活き活きとしていた時代の話である。

Okayama_085a (大正2年頃の日比港)

 

 

話のついでに、

この1800年前後の時代には、

 

同じく児島郡八浜(玉野市八浜)金剛寺の檀家

田井村に住む水主 才次郎が、

千七百石積みの神力丸にて江戸へ向かう途中、

 

紀伊潮岬沖で船頭他18名とともに遭難して、

遥かフィリピン北のボゴス島漂着し、

  

バタン、ルソン、マカオ、広東、乍甫を経て、

1年半後、長崎に無事帰国した時代である。

          (神力丸バタン漂流記)

 

また、

 

同じく児島郡八浜(玉野市八浜)の

世界で初めて空を飛んだ鳥人幸吉こと

浮田幸吉岡山城下を所払いになって

水主をしていた時代であり、

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また、

 

直島高原氏の分家

福岡藩士 高原次郎兵衛利定が、  

幕府によって取り潰された高原氏の

かつての島の繁栄を偲び、

直島 極楽寺山門に懸額を寄進した時代である。

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日比の松太郎・・・・ 

田井の才次郎・・・・

八浜の浮田幸吉・・・・ 

直島水軍末裔 高原次郎兵衛利定・・・・ 

 

同じ時代を生きた海の男たちが、

同じ海域で遭遇していた可能性は高い。

 

 

  

 

 

  


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