9月10日。
大分県 蒲江 で 対庵 に暮らす。
蒲江 の図書館で、
家船系の水上生活者の資料を探すが、見当たらず。
しかたなく、
1ヶ 110円!の 緋扇貝(ひおうぎがい) を3ヶ買って
対庵 で焼いて美味しく食べる。
ビンボー旅なのに、
なぜか食べるものは、美味しいものばかり。
安いんだから仕方ない。
9月11日。
朝早く 佐伯 葛港 に向かう。
市場食堂 の 刺身定食500円! で朝ごはん。
鮮魚好きの私にとって、
大分 佐伯 は恐ろしいい町だ。
安いし、鮮度はいいし、美味いし、移住したい!
そんな 佐伯 をあとにして、
臼杵 に向かう。
臼杵 は醤油の町である。
フンドーキン!
カニ醤油!
フジジン!
あれ?
フジジン は、ガソリンスタンドも経営してるんだ!
醤油と石油で、油つながりなのだろうか?
そして、
臼杵 での最大のミッションは、
シャア と呼ばれた
家船(えぶね)=水上生活者 を調査?すること。
シャア の集落 津留(つる) を訪ねる。
シャア のルーツをひも解くと、
平家の落人という伝承もあり・・・・
中国福建省のシャ族という研究もあり・・・・
私的には 家船 の本拠地である
広島県三原市幸崎の 能地 から
流れてきた 家船漁民 ではないかと思う。
しかし、
現在の 津留 には、
家船 の痕跡は見つけられない。
シャア の漁民は、
禁止されていた鰮刺網を使用して、
しばしば、流血の惨事を引き起こしていたという。
占有する地先海面を持たない漁民は
周囲から迫害されていたのだろうか?
津留 には、
かつて シャア が、建てたであろう
魚介類の供養塔だけが、ひっそりと残る。
また、
近代になって、
津留 の人たちは、
北九州や大阪の工業地帯へ
移住していった者も多いという。
シャア・・・・、 津留・・・・、 家船・・・・、 能地・・・・
そういえば、
わが町、玉野市の田井にも
能地 の 家船漁民 が移住したという。
そのうち、
能地 の 家船漁民 の檀寺である
三原市幸崎の 善行寺 の過去帳を調べてみたい。