神戸の西側(西区、須磨区)の丘陵地に、
無表情に均質に広がるニュータウンがある。
須磨ニュータウン と 西神ニュータウン
このような大規模なニュータウンの開発では
都市計画法、都市計画法施行令によって、
教育施設 の配置が定められている。
地図で確かめてみると、
約0.5キロピッチ毎に神戸市立○○小学校があり、
約1.0キロピッチ毎に神戸市立○○中学校があり、
そして高校も約1.0キロピッチ毎にある。
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高密度に管理された西神ニュータウン。
このニュータウンの高校で
1990年7月6日 期末試験の日、
神戸校門圧死事件 が起こった。
校門で遅刻指導を行っていた教師が
午前8時30分のチャイムが鳴ると同時に、
重さ約230キログラムの門扉を勢いよく閉めた。
ひとりの女子生徒が門扉と校門の壁との間に挟まれ、
頭蓋骨粉砕骨折、脳挫滅により死亡した。
本校生徒が死亡したにも関わらず、
当日の試験は予定通り実施され、
校門を閉めた教師本人は試験監督を務めていたという。
校長は朝礼で、
「あと10分早くみなさんが登校すれば、
今回のような事故は起こらない」
と無神経なことを言ったという。
事件の10日後、
DPクラブ(反管理教育中高生ネットワーク)と名乗る
10代の若者3人がヒッチハイクで東京から神戸に駆けつけ、
事件現場の校門前で挑発的なビラ配りをはじめる。
ビラに書かれた文章は、
女子生徒を死に追いやったのは、
学校の管理主義の秩序を支えている
オマエら自身ではないのか?
という挑発的な内容である。
ビラ配りは、たちまち生徒たちの反感を買い
「帰れ!帰れ!」のシュプレヒコールを浴びる。
後日、
このDPクラブを主宰する19歳の高校中退生が、
『校門を閉めたのは教師か』 という本を執筆する。
この本の中で、
19歳の高校中退生は次のように書いている。
「教育」をするとなると「教育目標」の設定なり、
あるいはどのように「教育」するかの方向づけが必要になる。
そうすると、その「目標」や方向づけから外れる部分がないかを
常に監視し、もし外れたならば、その外れた部分を抑圧して、
矯正しなければならない。これを「管理」と呼ばずして何と呼ぼう。
「差別、抑圧、監視、矯正、管理・・・・」
イヤな言葉が並んだが、これこそが「教育」というものの本質だ。
「教育」なんかいらない。「教育」なんかクソくらえだ。
そして、 その恐るべき「教育」を、
制度として具現化するものとして「学校」がある。
・・・・
「学習」 という 「学校」とか「教育」の根幹のように
言われていることに関してさえ、
生徒は「学ぶ側」などという主体的なものではなく
「学ばせられる側」という非主体的なものであることが
分かるだろう。
このように「学校」において、
いろんなことが生徒の主体性を奪う方向で進むのは、
先に述べたとおり、
「学校」が「差別・抑圧装置」である以上、当然である。
差別・抑圧のしくみに順応させるためには、
主体性は邪魔だからである。
「学校の論理」の中で、これらは全く矛盾しない。
「学校」 や 「教育」 は、1日も早く廃止すべきであるし、
こんなムチャクチャがまかり通っていると同義である
「学校の秩序」などは破壊することにこそ正統性がある。
事件から23年経った現在、
この時の19歳の高校中退生は
どのように成長したか? というと・・・・
2007年の東京都知事選に立候補し、
見事落選する男になっていた。
諸君!私は諸君を軽?蔑している!
このくだらない国を、そのシステムを支えてきたのは
? 諸君に他ならないからだ!
正確に言えば、諸君の中の多数派は私の?敵だ!
私は諸君の中の少数派に呼びかけている。
少数派の諸君、今?こそ団結し立ち上がらなければならない。
・・・・
彼はこの選挙で15,059票得たものの、
有効得票数の10分の1を得られず
供託金300万円は没収された。
しかし、見方を変えれば、
300万円というお金で公共放送のアナウンサーに
「反管理教育運動を出発点に
異端的極左活動家となり、
今時、政治犯として2年投獄され、
現在に至るも反体制知識人」 と紹介させ、
5分間も挑発的メッセージをしゃべり、
複数回放送させただけでなく、
政見放送の動画を、瞬く間にネット上にあふれさせた。
彼はこの政見放送を機会に
前衛政治家 として名を馳せてゆく。
この男のファシズムの心得方はニクイ。
ひょっとしたらこの男、
ひょっとしたら・・・もありえる。
話は戻るが、
1990年、西神ニュータウンで起こった
神戸校門圧死事件 から7年後、
1997年、須磨ニュータウンで
神戸連続児童殺傷事件 が起こる。
ふたつの事件現場の直線距離は、
わずか10キロメートル。
無表情に均質に広がるニュータウンを
支えているのは何者だろうか?
19歳の高校中退生が言った
差別、抑圧、監視、矯正、管理・・・・
きっと、
大規模なニュータウン開発=都市計画 に、
「学校」と同じ構図が潜んでいるに違いない。
完璧に管理されたニュータウンには、
私が推薦する トシケーカク を実施する隙間がない。
※ 参考
実は、大学時代に彼と一緒に語らったことがあります。まさか、このブログで出会おうとは・・・。当時、発言するたびに、敵を増やしていた。
しかし、彼の言葉は、実に的を得ていて今でも鮮烈です。教師になって、ますます実感が沸くのです。私たちは教育という名で、何をしているのだろうかと。
日々余裕がないなかで、何かに追いまくられながら、生徒の人生にとって何が大切なのかを考える間もなく、ただただ、生徒が言うことを聞くようしつけていれば、それがすばらしい教育だと勘違いして突っ走ってしまう。
学校を荒れさせないことが第一目標となってしまう。しかし、それが“唯一”の目標になってしまっていないかとも思う。そんな空気が中学校教育の現場に蔓延している気がしてならない。
離島勤務を決めたのも、そんな環境から飛び出して、全く違う教員生活をしてみたかったから。
彼は、破壊する方向でしか行動しなかった。でも、彼の「破壊」はあくまで、「そんな空気」の「破壊」であり、世の中の「空気」へのアンチテーゼである。これは、今でも一貫していることが、彼の事跡をインターネットで追ってみてわかった。ここまでくると、すでに生き方自体がアートの世界だ。
彼の行動も、言動も、とても真似する気にはならないが、時に、うらやましくおもうこともあるのである。
大杉栄を彷彿とさせるんだなあ。危ないなあ。大杉栄の寓話「鎖工場」を彼に歌ってもらいたい。僕は鎖に巻かれないように社会から距離をとってひっそり生きているけど、彼は自分から鎖工場のど真ん中に街宣車で乗り込み拡声器で大声を出している。きっと、棍棒で叩かれても叩かれても彼は叫び続けるんだろうなあ。危ないなあ。
外山さんとは面識がないけど、この先も面識の無いままでいたい。だってビビるし、胸騒ぎ多し。