八濱漂泊傳

ダラシナイデラシネ記

光華寮(旧洛東アパート)と戦略的互恵判決と・・・・

2013-05-29 01:09:11 | イケン!

 

本日は、

ご機嫌なユニックを走らせ、 

琵琶湖大橋(1964年開通)を渡り、

 

旧びわこタワーの、

錆びついた大観覧車を横目に

古巣の京都に向かう。

 

この大観覧車は、

108メートルの高さを誇り、世界一と評されたが・・・・

バブル期の煩悩を一身に背負い、今は廃墟と化している。

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ゴンドラをいくつかもらえないかな? と、

ユニックに乗っていると、ついつい図々しくなる。

 

京都北白川をまっすぐ下り、

まずは、懐かしい ますたに で腹ごしらえ。 

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ここは、

ファニーズ(後のザ・タイガース)も通った老舗ラーメン店。

 

そして、

京の七口のひとつ、大原口から 洛中に入り、

出町柳で瀬降り(せぶり)ができないか?と思案する。

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京都では、いくつかの用事を済ませ、

ずっと気になっていた 光華寮(旧洛東アパート) に行ってみる。

 

ガ~ン! フェンスで覆われている。

取り壊されるのだろうか?

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老朽化により危険! だという。

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思えば18歳の時、

このビルをはじめて見た時の衝撃は忘れられない。

 

朽ち果てたテラスで、

ヨレヨレのシミーズをまとった中国人老婆が

ボロボロの洗濯物を干していた。

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その、超かっこいい、九龍な光景に、

ハートを打ち抜かれて、

このビルに、どうしても住みたいと思った。 

 

何度も何度も潜入し、住人に出くわせば、

「ここに住みたい!住ませてくれ!」 と交渉したけれど、 

「日本人、ダメエ!」 と言われて断られた。

 

さすがに若い頃は、突撃するしか知恵がない。

 

当時、この建物の所有権をめぐって、

台湾と中国が訴訟を繰り返し、外交問題になっていた。

 

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訴訟の行方は、

最高裁で20年ほど塩漬けにされて、

2007年3月に判決が下されたが、

(提訴から、なんと通算40年!)

 

台湾側が負けたような・・・・

所有権は曖昧のままのような・・・・

中国に気を使ったような・・・・

 

よくわからない 戦略的互恵判決 に終わり、

 

時を同じくして、

日本と中国の関係は飛躍的に好くなった。

 

ちなみに、

このときの日中間の出来事(タイミング)は次のとおり。

 

 2006年10月 安倍総理 訪中

 2007年 3月 光華寮訴訟 最高裁判決

 2007年 4月 温家宝首相 訪日

 

日本の三権分立は、なんだか怪しい。

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国家のメンツも大切かも知れないが、

所有権を争うほど大切な建物なら、 

もっと愛する使い方もできただろう。

 

日本、台湾、中国の三国に翻弄された

光華寮(旧洛東アパート) の最期は気の毒で仕方ない。

  

 所在地:京都府京都市左京区北白川西町

 構造規模:鉄筋コンクリート構造、地上5階地下1階、

 延べ床面積:約640坪(約2,100平方メートル)

 居室:約100室

 竣工年:1931年(昭和6年)

 設計:土浦稲城

 管理者:京都華僑総会

 

※ 当初、民間運営の『洛東アパート』として建設され、

  その後、京都帝国大学の中国人留学生のための

  居住施設『光華寮』となる。

 

びっくりすることに、

設計者の 土浦稲城 とは、

タリアセン帰りの建築家 土浦亀城 の実弟である。

 

光華寮 は、

もうすぐ取り壊されると思うが、

 

きっと、誰か心ある研究者が、

この正統派モダニズム建築を記録して

アーカイブしてくれることだろう。

 

ここは京都だから・・・・

 

 

 


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