本日は、
ご機嫌なユニックを走らせ、
琵琶湖大橋(1964年開通)を渡り、
旧びわこタワーの、
錆びついた大観覧車を横目に
古巣の京都に向かう。
この大観覧車は、
108メートルの高さを誇り、世界一と評されたが・・・・
バブル期の煩悩を一身に背負い、今は廃墟と化している。
ゴンドラをいくつかもらえないかな? と、
ユニックに乗っていると、ついつい図々しくなる。
京都北白川をまっすぐ下り、
まずは、懐かしい ますたに で腹ごしらえ。
ここは、
ファニーズ(後のザ・タイガース)も通った老舗ラーメン店。
そして、
京の七口のひとつ、大原口から 洛中に入り、
出町柳で瀬降り(せぶり)ができないか?と思案する。
京都では、いくつかの用事を済ませ、
ずっと気になっていた 光華寮(旧洛東アパート) に行ってみる。
ガ~ン! フェンスで覆われている。
取り壊されるのだろうか?
老朽化により危険! だという。
思えば18歳の時、
このビルをはじめて見た時の衝撃は忘れられない。
朽ち果てたテラスで、
ヨレヨレのシミーズをまとった中国人老婆が
ボロボロの洗濯物を干していた。
その、超かっこいい、九龍な光景に、
ハートを打ち抜かれて、
このビルに、どうしても住みたいと思った。
何度も何度も潜入し、住人に出くわせば、
「ここに住みたい!住ませてくれ!」 と交渉したけれど、
「日本人、ダメエ!」 と言われて断られた。
さすがに若い頃は、突撃するしか知恵がない。
当時、この建物の所有権をめぐって、
台湾と中国が訴訟を繰り返し、外交問題になっていた。
訴訟の行方は、
最高裁で20年ほど塩漬けにされて、
2007年3月に判決が下されたが、
(提訴から、なんと通算40年!)
台湾側が負けたような・・・・
所有権は曖昧のままのような・・・・
中国に気を使ったような・・・・
よくわからない 戦略的互恵判決 に終わり、
時を同じくして、
日本と中国の関係は飛躍的に好くなった。
ちなみに、
このときの日中間の出来事(タイミング)は次のとおり。
2006年10月 安倍総理 訪中
2007年 3月 光華寮訴訟 最高裁判決
2007年 4月 温家宝首相 訪日
日本の三権分立は、なんだか怪しい。
国家のメンツも大切かも知れないが、
所有権を争うほど大切な建物なら、
もっと愛する使い方もできただろう。
日本、台湾、中国の三国に翻弄された
光華寮(旧洛東アパート) の最期は気の毒で仕方ない。
所在地:京都府京都市左京区北白川西町
構造規模:鉄筋コンクリート構造、地上5階地下1階、
延べ床面積:約640坪(約2,100平方メートル)
居室:約100室
竣工年:1931年(昭和6年)
設計:土浦稲城
管理者:京都華僑総会
※ 当初、民間運営の『洛東アパート』として建設され、
その後、京都帝国大学の中国人留学生のための
居住施設『光華寮』となる。
びっくりすることに、
設計者の 土浦稲城 とは、
タリアセン帰りの建築家 土浦亀城 の実弟である。
光華寮 は、
もうすぐ取り壊されると思うが、
きっと、誰か心ある研究者が、
この正統派モダニズム建築を記録して
アーカイブしてくれることだろう。
ここは京都だから・・・・