マンゴーしいたけのつぶやき

いわゆる団塊の世代です。40年余の東京暮らしを経て、生まれた古里で織りなす珍道中の「つぶやき」になりそうです。

あえて いつでも夢を

2020年07月10日 11時41分00秒 | 日記

 

前回 長原・旗の台・中延を「心の駅」と記しました

「一浪」という世間受けする天下の素浪人になったのが18才 この頃は 大きな夢もなく 小さな夢(目標)がアパート住まい 早く家を出て一人住まいしたかったということが理由であります

上京し最初が新聞販売店の2階に住み込み 4畳半の2段ベッド やがて先輩と二人で6畳住まい 住所は〇〇方 長原駅前(学業が主で新聞配達の身では 経済的にこれが精いっぱい)

やっと一人で住めたのは3畳間 〇〇方 旗の台近辺 そして念願のアパート住まいが中延駅近くの〇〇荘 といっても借主はカミさん 勝手に転がり込んだだけ あれからずっと未だに帰らないのよと言われたりして(実家は売って 今は他人が住んで帰るところがありましぇん❢)

やがて長女が誕生して田園都市線奥沢駅近くのアパートへ引っ越し そして高嶺の花といわれた公団住宅の抽選に当たり藤の台団地に転居して小さな夢は完結 ここで団地野球部に加入して大きな夢の扉に遭遇 部員として運動会を手伝ううち自治会役員に口説かれたのがチャレンジャーとしての始まりかつ目覚め 

その一つが「地域福祉」人様の評価はともかく夢を形にする土台作りは出来たよう「お食事とおしゃべり会」「たすけあいの会」など 以上が今までの夢の総括 現在の夢はやはり「一夜の歌声喫茶」と「笑い塾」の再開 何が何でも辿り着きたいもの ささやかな夢です。

 

こちらも ささやかな懐かしい写真 です

居候を決めた田園都市線中延駅近くのアパートにて

高校三年生 バルコニーにて級友と 右から6番目の控え目

一度だけ娘たちと「登校」 1990年12月30日とあります

小学一年生 担任(福留八重子先生)の左後ろ ローカル色豊か

盛永会の運動会でインタビューされる長女 1991年お盆

「お食事とおしゃべり会」参加者二人を誘い大野山ドライブ

自治会役員を経て町田市議会議員に転身したKさん(右)

では老若男女問わず ♫いつでも夢を ご一緒に

東京では大変な感染者数ですね。

お互い大雨にも気を付けて過ごしましょうか。

夢は追い続けて。

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