田端義夫といえば 昭和21年の♫帰り船や昭和37年の♫島育ちが耳に馴染んだ曲でしょうか ギターを弾きながら歌う姿が印象的でした 昭和時代の長寿番組 日曜日昼の「ロッテ歌のアルバム」なんかで聞いていた覚えがあります 今はYouTubeで聞いたりしていますが
歌というのは本当に不思議です 竹馬の友を思い出したり 恩ある人を思い出したり その頃の生活を思い出したりします 毎度前職のデイの話で恐縮ですが「笑い塾」ではそこに居合わせた職員にも歌ってもらうことがありました ♫ハナミズキ歌うときは恋しているとき 失恋の後は♫ラブイズオーバー そんなMさんでしたが 今は姉妹でスナックを開いているとか 又 古い話ですが 自治会活動をしていた頃 思い出すのは私が地域活動にオルグされた元会長の♫おまえに 私とバトンタッチした前々会長の♫赤と黒のブルース そして私の後を引き継いでくれた前会長の♫明治一代女 私の前から後まで長い間副会長の♫泣かないで それぞれが十八番だった歌と歌声と笑顔をよく思い出します そういえば今の会長の歌は聞いたことがありません 長くお付き合いさせて頂いていますが これは不思議です 他方私は「笑い塾」で歌ったり 「歌声喫茶」で司会しているわりには十八番もなく しいてあげるなら♫ふるさとの話をしよう でしょうか ついでに告白するとオンチです 前置きが長くなりました では♫島育ち よかったらご一緒に
随分前に自治会でバス停に置いた傘
3435世帯 外周を歩くと3キロの団地でしたので
常時20本ぐらい置いていました
「助かった」と好評の置き傘でしたが
しかし返さない方もいて 補充しなくてはなりません
助け船は♫泣かないでの副会長
廃棄処分になるバスに置き忘れた傘で補充してくれていました
バス会社勤務でしたので あらためて感謝です
では 人の動きが目立って多くなりそうなこれからの季節
お互いにマスクしながら頑張りましょうか
幸せになるという宮崎のJRの駅を今日のラストにあなたに。