探 三州街道 

伊奈備前守、高遠保科家、信濃国など室町時代・戦国期の歴史。とりわけ諏訪湖と天竜川流域の歴史の探索。探索者 押田庄次郎。

府中(松本)の豪族達・・

2014-02-26 17:13:41 | 歴史

 府中小笠原氏に反抗か!従属か!

桐原氏

 ・・・桐原城 案内板クイックすると拡大し、内容が読めます)

桐原城
所在地:松本市入山辺

長野県松本市にあった山城。寛正一年(1460)ごろに、小笠原清宗に属した桐原真智(犬甘城主の犬甘政徳の弟)により築城。小笠原氏に属した城の中で、とりわけ規模が大きく、石組みの技法を駆使した大規模な石垣のあった城郭である。1460年から桐原五代に亘って相伝したといわれる。天文十九年(1550)、甲斐の武田晴信は小笠原長時の属城を次々と攻撃したが、林城、深志城、岡田城、山家城とともに自落した。長時は村上義清の塩田城に逃れ、周辺の諸城の城主が次々と武田氏に降伏する中、桐原城の桐原氏は長時に忠誠をつくし、一時期長時を城に迎えた後、村上吉清を頼ったといわれる。長時の小笠原勢力をくだした武田勢は深志城に入城し、晴信は同城を武田氏の拠点として馬場信房、日向是吉を城将とした。このとき、桐原城は遠山長左衛門に与えたとする伝承があるが定かではない。

島立氏

 ・・荒井館(清水ケ城)

荒井館(清水ケ城)
場所; 松本市島立荒井381
歴史・・
小笠原氏の一族島立氏の居城といわれる。・・築城年代は未詳。
・・・荒井城は永享二年(1430)に小笠原氏の一族である島立貞時が築いたとされる。島立氏は小笠原氏に仕えてその領国経営を支えており、島立貞時の子貞永は永正元年(1504)に松本城の前身となる深志城を築き、荒井城から居城を移している。天文十九年(1550)の武田勢の侵攻により荒井城も蹂躪され落城の憂き目を見ている。島立氏は武田氏に降り、天正十年(1582)の武田氏滅亡後は旧領を奪回した小笠原氏に再び仕え、元和3年(1617)に小笠原氏の国替えに従い松本の地を離れている。

島立氏の祖・・・

溝口右馬助氏長は、島立氏の祖として知られ、『百家系図稿』巻六所載の「溝口系図」では、氏長の子の三郎太郎重長が島立右馬助と号し、その三郎次郎貞長が溝 口土佐守と号し、永享七年(1435)十月の常州佐竹の永倉遠江守追討のときに従軍したとある。以下、その子の「貞勝-貞信-長信、その弟長友」(貞長と 貞信の間に一代欠落があるか)と続いて、長友の子に「彦左衛門勝政-秀勝」と記される。なお、この信州溝口の系図は、『姓氏家系大辞典』記載の系図よりは 信頼性があるか。