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まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

【俳句の此岸】彼らは新たな《現在》と闘っていた!/私とは誰か~プレおたく世代の現在(15)

2017-03-21 03:48:10 | エッセー・評論

俺は酔っ払ってぶっ壊してやるのさ 春空   まほろば  

70年代の最後の1979年に、大学を卒業(中退。後に通信制に編入)するに当たって、裏学園祭という位置づけで、音楽イベントを開いた。それまでに方々で知り合った超ジャンルのミュージシャンたちを一堂に会して、何か新しいものをという試みであった。結局のところ大失敗だったが、その最大の理由が【統一テーマ】の不在と、当時、ロンドンから東京にも飛び火していた【パンク・ニューウェイブ】の2バンドを含めたからであった。まず、彼らは与えられた演奏時間を守らなかった。2バンド間の対立とメインのメジャー系バンドへの当て付けである。彼らは、前年にメジャーレーベルからオムニバス盤を出してはいたが、依然アンチ・メジャーを旗印としていた。驚くべきことに、1979年の《現在》にあって、彼らは何者かと闘っていたのだ。彼らは、私たち70年安保直後の世代に比べてわずか4、5年ほどしか歳の差はなく、大学でいえば一回り(入学と卒業)しか違わなかったはずなのにである。思えば、私たちは前の世代を踏襲して、資本主義と帝国主義に象徴される非人間性の満ち溢れた大きな世界と闘おうとして、敵を見失っていた。なのに、わずか数年後の彼らは確かに等身大の何かと闘おうとしていた。彼らはいったい何と闘っていたのか?彼らは何者だったのか?空虚という語とは別に【空無】という言葉がある。私たちにとっては、1979年も70年代であり、それに先立つ60年代末のあの巨大な闘いを背にしていたのではなかったのか?答えはノーであった。わずか5年ほどの断絶の後、彼らは私たちとは全く別の《空虚》と対面していたのだ。何ものも引き擦ることなく、本当の《いま・ここ》しかあり得ない【空無】としての《現在》の直中に実在していたのである。・・・《続く》

「セックスピストルズ」の画像検索結果

THE SEX PISTOLS 『ANARCHY IN UK』  1976

https://www.youtube.com/watch?v=ICXdQR1VVhw&feature=player_embedded#t=61


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それはベンチの片隅で冷たくなったわたしのぬけがら/J-POP論・POP詩の宇宙

2017-03-20 07:42:21 | J-POP論/POP詩の宇宙

いま昭和歌謡が大ブームだという。10代の高校生がレコード店に70年代や80年代のアイドルソングを求めて群がっている。演歌など歌謡曲の世界では他人の曲あるいは過去の名曲を歌うことは日常茶飯事のことである。オリジナル曲に恵まれなくとも、カバー曲によって思わぬ才能を見出されることもある。1980年前後から日本発信文化として全世界に拡大した【カラオケ文化】は、ますますそのことを強調した。ここに『アカシアの雨が止むとき』という有名な曲がある。1960年4月に発売された西田佐知子の名曲だが、60年安保闘争というわが国の戦後の分岐点となった巨大な歴史の流れと人間の運命をわずか数分の歌唱で人々の前に顕にした。それ以後、半世紀にわたって多くの演歌の天才たちに歌われ、その世界を深めていったのだろう。今しがたYOU TUBEで1971年という時点で歌われた野路由紀子のカバーを発見した。1960年の原曲と1971年のカバーの間の断絶は、後世の人間には決して計り知ることの不可能な飛躍を示していよう。そのあまりにあからさまな突出の仕方はこの表現自体の製作者にでも聞き質さなければ永遠の謎に終わってしまうだろう。残る方法は、わたしを含め2017年3月20日の現在を生きる者の感性で撹拌して、自身の記憶の奥深く止めて置く他に途はない。この時、確かにこの曲を聴いたのだと。・・・《続く》

 
アカシアの雨が止むとき
青空さして鳩がとぶ
むらさきの 羽の色
それはベンチの片隅で
冷たくなった わたしのぬけがら
あの人をさがして
遥かに 飛び立つ影よ
(詞 水木かおる)
 
 イメージ 1
 
野路由紀子 『アカシアの雨が止むとき』  カバー 原曲 西田佐知子 1960・4

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昭和の死またも彼岸の透き通る/新雑句雑感(191)~プロローグ5の終わり

2017-03-19 05:32:16 | 新雑句雑感

昭和の死またも彼岸の透き通る(渡瀬恒彦死す)  意味の無き爆竹彼岸入の街  我れもまた有馬の末裔彼岸入  救国政権微動だにせず彼岸入(森友問題)  オカルトとカルトの違い彼岸入  入り彼岸ベランダの猫押し黙る  どぼどぼと夢追い酒に彼岸入(渥美二郎の大ヒット曲)  極盛りの二郎ラーメン彼岸入(若者に人気)  彼岸道帰宅困難区域とあり  父の死に近づく齢彼岸入  卒業のなぜか遠のく彼岸入  虚子句集まさかの蒼さ彼岸入  フラワーアレンジメント教室彼岸来る  報恩の空回りして彼岸入  未読なる金槐和歌集彼岸入

 

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アルバムにお前も入れ卒業す/新雑句雑感(190)~プロローグ5の終わり

2017-03-18 04:25:12 | 新雑句雑感

体育館裏の乱闘卒業す  校章の絵柄遠のき卒業す  裏山の竹林騒ぐ卒業日  卒業証書灰塵と化し卒業す  お礼参りの噂懐かし卒業す  東京に心が飛んで卒業す   好きといふ気持を背中に卒業す  十八年の白積み重ね卒業す  牛皮のカバンずしりと卒業す  好きな人呼び捨てのまま卒業す  ヒッチハイクの手を振り上げて卒業す  集団の異常な熱気卒業す  卒業式出る暇無く空港へ  編入の三年過ぎて卒業す  アルバムにお前も入れ卒業す

 

   

高橋優 『卒業  2012

 

 
銀のメッキが剥がれ落ちた後の
地金姿で尚も生く僕ら
流した涙のその上に立って
絆も恥もぶら下げたままで
明日へ踏み出す

 


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誰かのために何かをしたいと思えるのが愛ということを知った/J-POP論・POP詩の宇宙

2017-03-18 03:15:01 | J-POP論/POP詩の宇宙

今年も3月半ばを過ぎ、全国あちこちで卒業式が行われている。私の住む町でも、駅前公園などでいつもは見かけない生徒の集団が名残を惜しむかのように円陣を組んだり、ゲームをしたりしている。・・このシンガーの前かがみに歌い込めるような情感溢れる曲はこの季節にピッタリである。卒業というと、いつも卒業式のあと皆何をしているのかが気になって仕方が無い。一部の仲の良かった仲間は何度でも会うのだろうが、それほどでもない間柄ならもう会うことはないのかもしれない。そのようにして、私も卒業から何十年もの月日が流れた。卒業式にもし雪が降っていたなら、その雪こそがすべてを見届け、語り継いでゆくに違いない。・・・《続く》

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中島美嘉 『雪の華』   千葉県立生渓高校卒業式
 
舞い落ちてきた 雪の華が
窓の外ずっと
降りやむことを知らずに
ボクらの街を染める
 
誰かのために何かを
したいと思えるのが
愛ということを知った

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