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涅槃会の巨大な空虚頓挫せり まほろば
1980年を前にして、私の新時代への参入は頓挫した。70年代後半の変化は凄まじく、70年前後の余波を一掃しようと躍起になっているかのように見えるほどであった。あの時代は一時の夢であり、一日も早くそれを払拭しないと先へ進めないといった風潮が世界を蔽い尽していた。70年代後半のとば口にあって、突然巻き起こった【パンク・ニューウェイブ】旋風は60年代末の世界的ムーブメントの残滓を指の先ほども受け入れようとしなかった。私自身に対しても、まだやってるの、暗い、勝てなかったじゃない・・などと嘲笑の的になるだけだった。決して私自身がやったわけでもないのにである。私たちはやりたくても、もうどこにもやる場所は無かった。それを説明してもおなじことだった。もう何もかもが遅すぎたのだ。追い討ちを駆けるように、そんな私には、わずか5歳ほどの違いしかない彼らの目指すものが理解出来なかった。と言うより、彼らには目標というものは最初から何も無く、ただ身近に迫りつつあった得体の知れない《空虚》が許せなかったのに違いない。そして、その等身大の《空虚》は次第に巨大化し、個々人にはどうにも手の施しようのないものに変貌し、彼らもまたその渦中に呑み込まれて行った。彼らは、現在50歳代後半になっているはずである。その後、彼らがどこで何をしていたのか全くわからない。もちろん、同世代の我々ポスト70年安保世代【キリギリス】【モラトリアム】たちも雲散霧消していった。・・・《続く》