永き日の俳句革命成就せず まほろば 最新作 即興
真の革命とは、元々レーニンの世界革命、トロッキーの永久革命、毛沢東の継続(文化)革命・・と人類の続く限り終わることのないもの。21世紀に至り、俳句形式もついに【定型性】を剥奪され、未知なる人間の意識の産物に変容しつつあるようだ。
ヤフオクで落札した坪内稔典著『過渡の詩』(牧神社1978)が到着しました。出品者はおそらく大阪の古書店でしょう。今夜中にザッと目を通すつもりですが、1970年代の後半に各誌で書かれた坪内氏の評論を集めたもので、私が俳句に入門したのはこの書が出た翌年の1979年のことなので、その時点では初出に目を触れることはなかったわけです。俳句にも【近代批判】や【俳句=定型論】があったわけで、短歌ではかなり前から前衛短歌というものがあったわけですから、当然のことだったと言えます。そして、その俳句批判の主体は70年安保世代の坪内氏らだったのですから、二重の驚きでした。俳句とは全然古臭い上に、俳句(結社)屋というお話にも何にもならない保守反動の輩のやっていることで、簡単に打倒出来たはずのものでした。ところが、この時まで戦後33年もの間、子規・虚子らの一行の《定型詩》としての【近代俳句】は延命し、前衛俳句や社会性俳句の激しい揺さぶりにもかかわらず【一億総中流】の《老化》の著しい長期化を支える【慰安】の道具の一つとして長らえました。ところが、80年代以降の若者文化の再生(サブカル)を支えた【おたく】という批評シーンの進化過程において、俳句の《近代》や《定型性》そのものが人間の精神の祖形(ベーシック)から遊離し、ただそこらへんをふわふわと浮遊するモンスターアイテムの一変種と成り果てています。坪内稔典(俳号 ねんてん)もまた、夏井いつきのトモダチキャラの一人ということなのでしょうか。・・・《続き》