啓蟄の六百三十四メートル揺れ続け 女医さんの夫も医者か啓蟄日 啓蟄や地上天国見てあをし 啓蟄の地面から見た空の青 啓蟄や洗濯物の山となり 啓蟄やかまやつひろしのやうな街 啓蟄のアジフライ否カキフライ 啓蟄の意外に長き十七音 啓蟄や大黒摩季のラララララ 啓蟄のエスカレーターもっと上 啓蟄や平成の母少しだけ 啓蟄や初台騒(がや)を這い上がる(1970年代のフリージャズ専門ライブスポット) 啓蟄や四十六億年は長すぎた 啓蟄の日本国憲法消滅す
1970年代に入ると学生運動やカウンター・カルチャーは一気に下火になった。70年安保を主導した新左翼(3派系全学連)や大学解体を叫んだ急進的な学生運動(全共闘)など閉鎖的なセクト(党派)争いに明け暮れ、60年代末のような拡がりは無くなった。陰惨な内ゲバや国内外のテロがマスコミを賑わしていた。若者文化も1969年のウッドストックを頂点に、ロック&ヒッピー・ムーブメントは消え去った。アメリカン・ニュー・シネマの『イージーライダー』『バニシング・ポイント』『明日に向かって撃て』などに象徴されるように、既存の体制の大きな壁にアッサリと阻まれた。にもかかわらず70年代に入って新たに盛り上がったものに【フリージャズ】がある。ジャズの世界では、60年代末にロックの影響をもろに受け、文字通り「クロスオーバー」(越境、超ジャンル)という先鋭な形態が生まれ、後に「フュージョン」に結実した。また、チック・コリア、キース・ジャレットなどのエスニックや逆にヨーロピアン・トラディショナルを取り入れ、ニュー・エイジやワールド・ミュージックにつながる新たな流れが生まれた。しかし、それらとは全く別にジャズの演奏フォーム(ブルーノートなど)そのものを壊し、人間の内面の最深部に降りて行くような方向性が生まれつつあった。60年代の継承である。1976年の秋頃だったか、東京の1970年代の若者文化の発信地となっていた中央線(JR東京~八王子・高尾)沿線の西の行き止まりの八王子駅からほど近い繁華街の外れにあったのが、希少なフリー(前衛)ジャズ専門のLIVE SPOT八王子アローンであった。・・・《続く》