限りなき知の探訪

45年間、『知の探訪』を続けてきた。いま座っている『人類四千年の特等席』からの見晴らしをつづる。

【座右之銘・11】『往者不追、来者不拒』

2009-11-18 13:37:01 | 日記
孟子は孔子とともに儒教では双璧の人物だ。しかし、孔子と並列ではなく、すこし劣ると言った意味で亜聖(聖人に次ぐ)と呼ばれている。革命思想がたたり、平安時代には、孟子の書を舶載した船はかならず沈んだという噂もあるぐらいだ。

孟子という本は、論語のような断片的な文章の寄せ集めではない。有名な性善説だけでなく、ほとばしる情熱、他派、つまり邪教への攻撃など、孟子の主張がしっかり表現されている。全編を通して、孟子の舌鋒の鋭さが印象に残る。弁論家という面から、中国の古典を評価したとき、私は孟子、韓非子、墨子の三人が第一級であると感じる。

孟子が中国社会に残した影響で、最も大きなものが『不孝有三、無後爲大』(離婁章句上)であろう。つまり、『親不孝のうちで最大のものが、子孫、それも男系の子孫を残さないことである』と言うのだ。この影響は、二千数百年年たった現在でも中国人の社会に牢固と残っている、と私は見ている。それ故、現在中国政府が唱えている『一人っ子政策』は早晩、必ず完全に破綻すると断定できる。なぜなら、息子を一人以上を生まないといけない、ということは確率論的に言うと、娘も一人以上生まれるわけである。つまり、必然的に子供が二人以上になる。



さて、孟子の言葉に『往者不追、来者不拒』(往く者は追わず、来たる者は拒まず)というのがある。この意味は『私の所には誰でも弟子入りできるし、一旦弟子入りした者で、思想的に合わなくて別の宗派に移るのは、差し支えない。出て行った人を私は恨まない』。人は、よく弟子だから、師匠の思想を引き継いでいるはず、と固定観念で断定しがちであるが、私は、思想というのは個人の成長とともに変わっていって当然だと考えている。それ故、その自由を無条件に認めたこの言葉に孟子の大人の風格を感じる。
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