獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

『居場所を探して』を読む その6

2024-08-02 01:10:07 | 犯罪、社会、その他のできごと

前回、友岡さんが次の本を紹介していました。

『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)

出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。

さっそく図書館で借りて読んでみました。
一部、引用します。


■第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
 ■第1部「福祉との出合い」
 □第2部「司法と福祉のはざまで」
 □第3部「あるろうあ者の裁判」
 □第4部「塀の向こう側」
 □第5部「見放された人」
 □第6部「更生への道」
 □第7部「課題」
□第2章 変わる
□おわりに 

 


第1部「福祉との出合い」

=2011年7月2日~8月2日掲載=

(つづきです)

6)葛藤
 「理想」と迷いを胸に

五島市の障害者向けグループホームに、NPO法人県地域生活定着支援センターから1本の電話があったのは、年が明けて間もないころだった。
「受け入れを考えてもらいたい人がいるのですが」
高村正吉(60)=仮名=、前科11犯。「余生を古里で過ごさせたい。力を借りたい」と電話口で言われ、生活指導員の春野太一(30)は心を揺さぶられた。ただ「触法障害者」の受け入れなど経験がない。不安はあった。
議論になった。
「放火とかそういう犯罪じゃないから大丈夫でしょ」
「でも他の利用者がどんな反応をするか……」。
結論は出ない。黙っていた理事長の林田輝久(56)が口を開いた。
「受け入れてみなければ、何も分からないんじゃないか?」
林田は、触法障害者に福祉の手助けが必要だと常々考えていた。
「貧困や孤立を解消すれば、更生への道は開ける」。
受け売りの「理想」が現場でどこまで通用するか。林田の胸にも、一片の迷いはあった。
一方の送り出す側。更生保護施設「雲仙・虹」の施設長、前田康弘(55)にもまた、葛藤がある。
「高村がもう罪を犯さないか? それは分かりません。福祉は更生のプロでも、万能でもないですから。高村がこの先、たとえ失敗しても、諦めず、手を差し伸べ続ける。われわれができることはそういうことだと思うんです」
高村が持参した貼り絵を見て、理事長の林田は腹を決めた。
「こがんきれか貼り絵ばする人に、悪か人はおらんよ」。
自分も、周囲も納得させた。受け入れが決まった。後日。のほほんとしている高村の傍らで、付き添いの職員たちは深々と、何度も頭を下げた。

同じころ。
「あいつが刑務所を出て、戻ってくるらしい」―
高村の実家がある五島市の集落では、そんなうわさが飛び交っていた。過去の高村を知る人たちは「障害? それでも罪は罪だ」とそっぽを向いた。
誰もが高村を敬遠した。本人もそれを分かっていた。だが、昔から彼を見てきた女性は、別の「顔」を知っている。
ある時。腹をすかせていた彼に米を1升持たせた。すると高村は「おばちゃん、食べて」と釣った魚を置いていった。お返しにたばこ代を300円渡すと、今度は「飾って」と鮮やかな花の貼り絵を持ってきた。
「あの子は根は悪か人間じゃなか。お金がなくて、世間から見放されて盗みばしよっと。誰かが助けてあげんば生きていけんとやけん……」。
高村をもし見掛けたら、あのころと同じように言葉を交わそう、と女性は思っている。

(つづく)


解説
知的・精神障害があるのに、福祉の支援を受けられず、結果的に犯罪を繰り返す人たち……
福祉の網からこぼれ落ちたこうした「障害者」たちの多くは、社会で孤立し、生活に困窮した挙げ句、罪を重ねている。

福祉の網からこぼれ落ちたこうした「障害者」を支えるのは、法律でしょうか。
制度や組織でしょうか。
ボランティア活動でしょうか。
地域の人々でしょうか。
宗教でしょうか。
友岡さんは、どういうアプローチができると考えていたのでしょう。

獅子風蓮



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