友岡さんが次の本を紹介していました。
『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)
出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。
さっそく図書館で借りて読んでみました。
一部、引用します。
■第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
■第1部「福祉との出合い」
□第2部「司法と福祉のはざまで」
□第3部「あるろうあ者の裁判」
□第4部「塀の向こう側」
□第5部「見放された人」
□第6部「更生への道」
□第7部「課題」
□第2章 変わる
□おわりに
第1部「福祉との出合い」
=2011年7月2日~8月2日掲載=
(つづきです)
10)2人の幸せ
誰かのために生きる
「彼女のために、二度と盗みはしない」と決めた中村雅人(39)=仮名=だったが、その気持ちは長続きしなかった。同じ障害児施設にいた先輩、岸本澄華(41)=仮名=と交際を始め約3カ月後、再び過ちを犯した。
4年前の7月。映画館からの帰り道。澄華の目の前で、雅人は警察官4人に突然取り囲まれ、逮捕された。隣家への住居侵入の容疑がかけられていた。
「彼女に毎日会えず、寂しかった」。
これまでの人生で味わった深い孤独を思い出した雅人は、取調室で正直に罪を認めた。結果は、起訴猶予で済んだ。だがこれで澄華は、雅人の過去を知った。雅人は彼女が離れていく、と思った。
しかし、澄華はそうはしなかった。
「不幸になる」「別れなさい」という周囲の忠告に、澄華はなぜか従う気持ちになれなかった。怖さや嫌悪感がなかったと言えば嘘になる。ただ、澄華は何となく、雅人が抱えていた寂しさや、つらさが分かる気がした。
同じ障害者だからなのかは分からない。でも
「私が信じてあげないと、と思った」と澄華は言う。
南高愛隣会の更生支援施設「あいりん」で、雅人は約2年間、贖罪学習などの「再訓 練」を受けた。訓練中、恋人と会うのは制限された。
「待ってるから」。
澄華の言葉が雅人の支えになった。誰かのために生きる―そんな気持ちが芽生えたのは、初めてだった。2人は今、雲仙市内のグループホームで暮らしている。縫いぐるみが飾られた居間の壁には、「約束事」とワープロ書きされた紙が張られている。 「嘘をつかない」
「夜9時から朝6時までは外出しない」―
全部で8項目ある。これを破ると、また「再訓練」が待っている。
「あいりん」の管理者、阿部百合子(53)は言う。
「愛する人との生活はきっと更生につながる。でも、幸せを手にするためにはまず、社会のルールを知らなければなりません」
ルールに縛られた生活は窮屈だ。でも、それが生きることだ、と雅人はだんだん分かってきた。 二度と罪を犯さないか、今も自信はない。 ただ、澄華がそばにいる間は、道を踏み外さないと思えるようになった。
「それでいいのだ」と周りは言ってくれる。
多くの人の助けを借りながら、2人の日常、2人の幸せが続く。
「あっ、このスーパー、前に行ったね」。
居間の掘りごたつに並んで腰掛け、澄華はテレビを見ながらあれこれ、話をつむぐ。 雅人はそんな彼女をにこにこと見詰めている。
【解説】
知的・精神障害があるのに、福祉の支援を受けられず、結果的に犯罪を繰り返す人たち……
福祉の網からこぼれ落ちたこうした「障害者」たちの多くは、社会で孤立し、生活に困窮した挙げ句、罪を重ねている。
福祉の網からこぼれ落ちたこうした「障害者」を支えるのは、法律でしょうか。
制度や組織でしょうか。
ボランティア活動でしょうか。
地域の人々でしょうか。
宗教でしょうか。
友岡さんは、どういうアプローチができると考えていたのでしょう。
獅子風蓮