シグナルつきの電信柱が、いつかでたらめの歌をやめて、頭の上のはりがねの槍をぴんと立てながら眼をパチパチさせていました。
「えい。お前なんか何を言うんだ。僕はそれどこじゃないんだ」
――宮沢賢治「シグナルとシグナレス」
今日は、ゼミの前に篠原進氏の「世之介の黒歴史」(『日本文学』)を読むところから始めた。我々の人生はだいたい黒歴史である。――自分で自分の過去を抹消したい人ばかりで、――長すぎるからだ。カフカよりも中上健次よりも長生きしてしまったので大江健三郎よりも長生きしよう、とか思うわたくしの人生は果たして意味があるのか。
そういえば、ゼミで学生と一緒に比較的長く続いている作品論史をながめていると、――ある論文によって論点があまりにひろく出ていて、その広さ自体が主張と堅く結びついているために、後の人が精密さの代わりに全体としてのテーマを見失い堕落するという現象があることに気付く。これも黒歴史の一種である。
植民地主義は終わっていないし、これからも続くのであろうが、例えば、宗主国が植民地から影響を受ける、そんなこともあるからである。ポストコロニアリズムとは笑わせる。そもそもまだポストではないではないか。宗主国も植民地も一蓮托生で、全体として黒歴史である。