teeter-totter

志野の映画やTVや本や旅行や美味しいモノに関する与太話。
日常つぶやきはtwitterです。ブックマークから。

ブダペストから帰国

2005-01-20 02:01:16 | 海外旅行
3泊したブダペストともおさらばです。空港で3時間15分も時間をつぶし(思わず中欧ガイドブック読破してしまった。旅行が終わってから詳しくなっても)。ブダペストからガトウィック空港までたったの2時間です。なんて近いんだヨーロッパ。そしてルートン空港にしなくて良かった。ガトウィックならウィンブルドンまで乗り換え1回です。重たいトランクをさすがにタクシーで家まで運び(往路は丘の上から運びましたよ!)21:15無事帰宅。あ~疲れた。明日一日休んであさってから学校です。
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東欧旅行その7・Budapest(ブダペスト)ハンガリー

2005-01-20 02:00:39 | 海外旅行
さて年末年始を過ごすブダペストに到着です。ネットでホテルを探したときはスパ付き、部屋でネット可という言葉にひかれて決めたHotel Studion・・・うそつき。サウナしかないし、ネットのジャックはあれども使用不可だし。ネットのホテル予約サイト「ホテルクラブ」を信用してはいけません。ブダペストは温泉が有名な町なのに!!!それがあるからこそここに来ることにしたのに!
これはなんとしても公衆浴場のスパに行かねばなりません。そしてやはりここもポットは借りられず、ラウンジでコップにお湯を入れてくれるのみ。年末に「どん兵衛きつね」を年越しそば代わりに食べようと持ってきたというのに~。
翌日はまずコンサートチケットを確保しにツーリスト・インフォメーションへ。しかしこの時期はやはり他のイベントがもうないのでコンサートも皆完売。インフォメーションで出逢った東京から来ていたおじさんと近所のチケット・オフィスへ行くがそこも完売。おじさんは温泉へと去っていきました。私たちはオペラ座へ直接行ってみることに。チケットがあることはありましたが、
その日の(つまり大晦日の)年越しコンサートのチケット約£200。20:00~真夜中までフルコースディナー付き。高い。高いですがブダペストのオペラ座でコンサートを聴きながら年を越すなんて二度とあり得ないし・・・・逡巡したあげく、キャッシュのみだったので向かいの銀行へ走る(笑)。こういうのをまさに清水の舞台から飛び降りる、って言うのでしょうねー。
夜までは時間があるので年始には殆ど閉められているであろう観光地を見て回る。聖イシュトバーン教会では王様の右手が大事そうに箱に仕舞われていました。ブダペストはブダとペストという町に川をはさんで別れているので、くさり橋を渡って王宮のある地区へ。ケーブルカーで丘へ上ると、町が見渡せます。目的は王宮ではなく地下迷宮。道を訪ねたお巡りさんが迷宮に行きたいというと何故か「プッ」という笑いが。不審に思いつつ行ってわかりました。笑いの意味が。まさに「プッ」。もとは本当に地下迷宮だったのかもしれませんが、妙なオブジェが点在し(コンクリート?についたノートパソコンの跡、とか「ワインの泉」とか。)ているだけ。ううう損した。
せめて王宮、と思ったら大晦日は13:00に閉館していたので外観しか見られず。仕方ないので丘を降り、夜のコンサート用のフォーマルを探そうとしたのですが、16:00にしてすべて閉店。だから大晦日って!繁華街ヴァーツィ通りはお店は閉まっていたものの露店が所狭しと並んでいて、角のたくさん出たカラフルな帽子とか、「ブーッ」とすごい音のでる棒のような笛とか爆竹とか。ブダペストの新年のお祝いの仕方はどうも路上で爆竹を鳴らし、「ブーッ」と所かまわず吹きまくるようです。歩いていて突然横で爆竹が鳴ったりするのですよ。乱暴な祝い方だなー。この騒々しさにちょっとついて行けそうもないと思い、オペラ座にして良かったと思いました。
一旦ホテルへ戻り、着替える合間の17:00日本の両親へ電話。なんと日本は早新年。こちらはまだ大晦日。2004年から2005年の未来へと電話です。これをやってみたかったのだー。
結局フォーマルは手に入らずエセフォーマルでオペラ座へ。生演奏の室内楽を聴きながらウェルカム・ドリンクはチェリーの入ったカクテル。入り口から別世界です。皆フォーマルのゴージャス・ドレス。くやしい~(>_<;コンサートはオペラにオーケストラにダンスにバレエにと趣向を凝らしてあって飽きません。22:00からはオペラ座の舞台の上で(!)ディナーです。ハンガリー料理かなと思っていたらフレンチのフルコース。どこで作って持ってくるのでしょうか、とっても美味しい。食べている間もダンサーが踊ってくれるのですが私の席は舞台の奥で残念ながら見えず。オペラ座の舞台は奥行きが43mあるというその長さを実感。だって8人が座れるテーブルを33席置けるのですよ!24:00にはシャンパン片手にカウントダウンして乾杯。風船が天井からたくさん降ってきて、皆でそれを踏んづけて割るのです。ちょっとやってみました私も。楽しい。その後は何時終わるとも知れないダンスタイムの始まりで、ドレスを来た方々が踊る踊る。最初はワルツだったのがだんだんジルバありサルサありとラテン風に。うーん、こういう時にダンスを踊れたら優雅にこの輪に加われるのに、残念。
夜中の1時になっても終わりそうもないので、踊れない私たちはお先に失礼することに。各テーブルに飾り付けられていた月や星のガス入り風船を貰い(私は月1個だったけどTちゃんはなんと4個!)ブダペストの町を真夜中風船を掲げてふらふら。なんてデンジャラス。でも出逢う人達皆新年をお祝いしてハッピーなようで私たちの風船を見ては「ハッピーニューイヤー!」と言ってくれるのです。すごくフレンドリー。ちっちゃい子まで。あまり良い印象のなかったブダペストだったのですが、爆竹と笛の騒音までそんなに気にならなくなってしまいました。結構良い町じゃないかと。タクシーのお兄さんも笑いながら助手席に風船を詰め込んでホテルまで運んでくれましたし。夜中の2時にホテルに帰り着くと、ホテルでもどうやらパーティーがあったようで、あたり一面クラッカーのあと。なんだか素敵な新年になりそうな?
と思ったのもつかの間。あれは翌元旦のことでした・・・。朝のんびりしたあと、念願のスパへ。大きなホテルの中にあるゲッレールト温泉が綺麗だし安全かなーと行くことにしました。場所によっては危ないそうなので(特に男性が(笑))。
ゲッレールト温泉の向かいにある洞窟教会が例の地下迷宮よりも面白かったです。無料だし。クリスチャンの友人が後日どうして洞窟に教会を造るのか、神様が窮屈だ、と言っておりましたが。
温泉に到着するとものすごい人混み。危うく定員オーバーで閉められる所でしたがなんとか滑り込む。Tちゃんは風邪気味で入らなかったので私一人人混みに突入しました。プールとお風呂が一緒になっていて、お風呂が思ったより温くてがっかり。源泉の温度が低いようです。やはり火山大国日本の温泉が一番です・・・。温さのあまり出るに出られず1時間。周囲をふと見渡すと男女居るんだけど明らかにゲイの人が~。お膝に乗せないで~男性を(>_<;結局最後にシャワーのお湯で暖まって(意味ないじゃん)出たのですが、ホテルへ帰る地下鉄駅でやられました。観光客目当ての検察に罰金を要求されてしまいました~。回数券買ってちゃんと持って居たのですが、駅員が誰もいなくて検印がないまま持っていたのです。それを違反だ違反だと・・・じゃあ駅員置けよ。どの駅にも駅員がいないのですよ。これって違反を誘発するためでは?ものすごく文句を言ったのにお金を払うまで離してくれませんでした。悔しい~!しかもお金を払った途端、「終わり終わり、じゃあね」とか言われ怒り心頭に達す。公務員のすることがこれですか!?こんな国二度と来てやらねーよ!!!!!!!一気に評価はマイナスです。しかも微妙に払える金額(2000円)なところが見え透いていていやらしい。聞いた話では乗り換えのホームを間違うだけでも違反扱いされるらしいですよ。元旦にこれですよ!この旅行は本当に何かに祟られているのではないかと真剣に思います。
く     や     し     い      ~ !!!!! 
その上その夜食べたどん兵衛はぬるいお湯でつくったから激不味だし。もう踏んだり蹴ったりつまづいたり転んだり。
 
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東欧旅行その6・Vienna(ウィーン)オーストリア

2005-01-20 01:57:29 | 海外旅行
8:00の電車でウィーンへ向かうことになっていたので5:45起床・・・。ねむい。着いたのがウィーン南駅。実はホテルは西駅に近かったのでトラムに乗ってえんやこらと移動。トラムの乗車口ってとても高いのでトランクを持っての移動は大変です。
星4つなのにこのホテルはポットを貸してくれませんでした。お湯を頼んだらなんとガラスのティーカップ二つにお湯を入れてお盆にのせて渡してくれたのです。客に運ばせるでしょうか普通。しかも割ったらどうするの??エレベーターのボタンも押せやしない。そろそろ東欧の星に対する認識が大いなる間違いであることに気づいてきました。たぶん私なら今までのホテル全部星一つですよ。そのうえシャワーが水しか出ない!結局その問題のせいで2時間くらいホテルから出られませんでした。その日地下鉄で中心地へ出て出来たことはウィーンのオペラ座のチケットを取ったのみ。
ああ、でもうっかりとっても良さ気な日本料理屋さんを発見してしまい、入ってしまいました。だってイギリスより安いんだもの。その上本当に美味しかった。ありがとう「天満屋」さん!気分は少し早めのお正月料理。茶わん蒸しですよ!天ぷらですよ!ううう涙が出ちゃう。
翌日はシェーンブルン宮殿と王宮で一日の大半を費やし、皇妃エリザベートにやたら詳しくなる。顧みられなかった勤勉なる夫の王様に同情(一目惚れしたのにほぼ生涯別居生活ですよ。そして彼は朝の5時から夜中までお仕事をしていたのですよ。「倒れるまで働くこと」とは彼の言。なんて素晴らしい王様だ!)そしてやはりハプスブルグ家は半端じゃない勢力を誇っていたのだとは
コレクションの数からも想像出来ます。バッキンガムなんか目じゃないよー。
そして本場ウィーンにてDEMELのザッハ・トルテを食べる。こことホテル・ザッハが本家争いをしているらしいので両方食べたいなーと。
夕食は豚カツ・・・じゃなくてヴィエナー・シュニッツェルとウィーン版グローシュ。このグローシュがとっても私の口に合いました。美味しい!ミネストローネとビーフシチューを混ぜたような。シュニッツェルは巨大。食べ切れません。そしてやはり豚カツソースが欲しくなるのは日本人だから。お店に来ていた常連さんが私に何度も「豚カツ、豚カツ」と言っていました。
そして日本語が見られるネットカフェへ!やはりウィーンは大都会です。なんでもあります。前の2カ国から来ると余計にそう思います。ネットのニュースでスマトラ沖大地震の詳細を知る。クリスマスになんて大惨事が起こるのでしょう!神様も何もないという感じです。
翌日は疲れていたので一人朝寝をしてからウィーン南駅で焼栗を買って(プラハよりこっちの方が美味!)ヴェルヴェデーレ宮殿へ。ここは現在美術館になっているのですが、私の目的はクリムトとモネ。2時間も堪能してしまいました。3回くらい行ったり来たりしちゃった。クリムトのゴールドの使い方はやはり生で見るとまるで迫力が違いました。モネの色彩がとても綺麗でハンカチか何か買って帰りたかったのにここのメインはすっかりクリムトで、モネのグッズが何もなく残念。他にもエゴンシーレやココシュカ、ゴッホなど逸品揃いです。
その後は市内に戻ってシュテファン寺院の観光。目的はカタコンベだったのですが、ツアーの時間が決まっていたので先に塔に上る。眺めは良いのですが寒くて寒くて長居不可能。しかもここの料金の支払いは塔へ上るエレベーターの中。もし払わなかったらそのまま降りてくるのかな(笑)カタコンベツアーは結構人数居ました。ハプスブルグ王家の方々の棺に女性達の内蔵の入った壺などが所狭しと。安置・・・というより放置に近いのですが・・・。代々の大司教の棺もあるのですが、入ったとき最初に見たのは真新しい棺とお花。ガイドさん曰く「一番新しい棺は9ヶ月前のものです」だって・・・しかもツアーまでしておいて「写真は撮らないで下さい。死者に敬意を」っていうのもどうかしら?そして大きな部屋にはうずたかく骨が積み重ねられて上の方は見えないくらい。どうしてクリスチャンはこういうことをするのでしょうか?死者に敬意をとかのレベルではないと思うのですが。日本人からみたらそれこそ成仏出来なさそう・・・。日本式ではありますが、拝んで来ましたとも。
そしてクリムトついでにクリムト最大の作品を見にセセッシオンへ。ここの壁にはベートーベンの第九から着想を得たクリムトの壮大な壁画があるのです(未完成)。部分的にしか見たことがなかったので、全景を見たら感動します。なかなか部屋を出られなかったもの。実はセセッシオンへ行く途でちょっと迷ってしまったのですが、帰り途はものすごく簡単でした(・・・)。
ホテル・ザッハのザッハ・トルテとアプフェル・シュトゥルーデル(りんごパイ)を一人で注文したもののさすがに全部は食べられないなーと別行動していたTちゃんを携帯で呼び出すとなんとすぐ近くに。お陰で半分ずつ味見が出来ました!うーん、私はホテル・ザッハ本家説に一票!カカオの濃厚さとアルコールの強さが絶妙。そしてりんごパイ(笑)も美味しかった。買って帰れるものなら・・・。
さて、いよいよオペラ座です。バレエかオペラだったので単純にオペラ座だし、と選んだのですが。バレエの方が良かったかも。演目は「GESUALDO」というおそらく古典オペラなのですが、演出が全て現代版になっていて、音楽も現代音楽。男性は背広だし、女性もワンピース?だし、バックでシェフの格好をした人が玉乗りや綱渡りするようなオペラってどう????ボックス席が異常に安かったのって演目のせいだったのかなあ~(そう、ボックス席だったのですよ!)。はあ~がっかり。
徒労感を覚えながらオペラ座を出るとお店は大半が閉まっていて夕食はマクドナルドか?と思っていたらなんと天満屋さんが24時までオープン。なんて勤勉な日本人だ、ブラボー!というわけで二度目の日本食は牛丼とほうれん草のお浸しでした。
4日目、Cちゃんはパリで年末を過ごす為に一足先に去ってしまったので、私たちはのんびりブダペストに向かうことにしてスペイン乗馬学校へ。白馬たちの曲芸を見ようと思っていたのですがなんとソールドアウト!残っているのが130ユーロの席だけだったのでさすがに諦めDVDだけ購入(笑)。Tちゃんとチョコレート屋さんを探して迷い込み、なんだか市内を一周してしまう羽目に。トラムで一部ドナウ川支流まで見ちゃったよ(笑)。そんなこんなでブダペストへ向かう列車に乗るため預けていたトランクをホテルで受け取りウィーン西駅へ。Tちゃんの靴擦れもよくならないのにここで私が今度は負傷。ホームのタイルに(何故波型タイルをホームに!)トランクの車輪が取られてバッタリ。両膝強打に右手の指2本をどうやらやっちゃったようだったのですが、そのとき私の頭には自分の負傷よりも倒れた拍子に転がっていったデジカメの行方の方が気に掛かってしまいました。あああなんかもう満身創痍。これのせいで一枚ズボンがパーに。でも向かいに座ったおじいさんがとってもフレンドリーで私のけがを心配してくれたので良いですもう。
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東欧旅行その5・Prague(プラハ)チェコ

2005-01-20 01:54:33 | 海外旅行
朝の7:25に列車がプラハに到着しました。夜中に起こされて寝直したので眠い眠い。到着の15分前起床ですよ。しかも車掌さんに起こされ(笑)。とにもかくにも荷物を置きにホテルへ。三星なのにレストランもないところだったので、朝食バイキングの分だけ支払って朝ご飯。駅からも中心地からもそう遠くないのが救いです。ポーランドほど寒くないので帽子がなくても歩けました(笑)。”プラハの春”音楽祭会場であるスメタナホールのある市民会館がホテルから近く、火薬塔の下をくぐって行くと一番にぎやかな旧市街広場。ここのクリスマス・マーケットは賑やかです!ここの天文時計が有名なのですが、毎時からくりが動くようになっていて、時計の下には人が鈴鳴り。広場には観光馬車がたくさん走っています。ポーランドから来たので余計にそう思うのかもしれませんが、観光都市だなーと。ポーランドに殆ど居なかった日本人の集団が。おばさまの集団が多いのはボヘミアングラスと琥珀とガーネットを求めて?
観光したのはディーン教会、ヤン・フス像、旧市庁舎、聖ミクラーシュ教会、ユダヤ人地区、聖アネシュカ修道院、芸術家の家、新市街市庁舎、聖キリルと聖メトディウス教会。とはいえ殆ど外観ばかりの観光です。なぜならばクリスマス時期は教会はクリスマスミサや行事があって入れないのです(涙)
夜は旧市街広場のチェコ料理の店へ。蒸しパンみたいなクネドーリキと酢キャベツのザウアークラウトのついたダックを食べましたがダックのソースが美味しい。Tちゃんは伝統料理のスープ、グローシュを飲んでいました。レストランから出ると、広場の中央でクリスマス・コンサートが。皆クリスマスをエンジョイしていますねー。私もちゃっかり混ざりましたが。クリスチャンの人々は24日の今日がクリスマス礼拝本番なので夜中に教会に行くそうですが、もちろんクリスチャンではない私はとっととホテルに帰って寝たのでした(笑)。
翌日は捻挫に靴擦れを併発したTちゃんの休養日にして、夜のスメタナホールのコンサートチケットだけ購入。せっかくプラハまで来ているのにホテルで休むだけは勿体ないのでせめてコンサートならと。私はCちゃんと新市街のプラハ城まで。観光したのはカレル橋(含む塔)、クレメンティヌム、プラハ城(聖ヴィート大聖堂、王宮、聖イジー教会、火薬塔、Golden Lane)
プラハ城だけで半日費やします。それと、私はここで焼栗を発見し、ハマる。滞在中3回買った気がします・・・・。少々焼きすぎなんだけどこの際それでも可!イギリスにはないんだものマロンが!
コンサートの前にホテル横の駅で発見したコンビニ(のようなもの)で食料を仕入れる。何故かというと24-26日は殆ど全部のお店が閉まってしまうのですよ!おみやげ物やさんを除き。水も買えないなんて!20年前の日本のお正月か!しかもこんなに観光客が居るというのに。ここのホテルもやはりポットがなかったのでフロントに行ったら翌日返却を条件に貸し出してくれました。
滞在中返さなかったけど(笑)。
そしてスメタナホールのコンサートはスメタナとドボルザーク。地元で聴くのはまた格別です。これでコンサートにハマった私はフォーマル服を持ってこなかった事を激しく悔やむのでした・・・。
滞在3日目は疲労の溜まってきていた私は駅で翌日のウィーン行きの切符を買った後ホテルでTちゃんとのんびり休息。Cちゃんはショッピングへ。私は現地通貨もすっかり使い切ってしまっていたのでミュシャ美術館を諦める。(後でショップに行った時はカタログ欲しくてしょうがなかったですが!)
そういえば同じ時期に学校の知り合いもプラハに来ていたとか。皆考える事は同じなのですねークリスマスをプラハでというのは。
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東欧旅行その4・Krakow(クラクフ)ポーランド

2005-01-20 01:52:13 | 海外旅行
さて次はクラクフへ電車で移動です。こちらは全部個室に分かれているゴージャス仕様の列車。車内も綺麗にされています。イギリスの電車と大違い(笑)。イギリスのはゴミが散乱しているから。実は宿泊を決めていなかったクラクフ。なぜならクラクフからプラハへの寝台列車の切符が取れるかわからなかったので何泊するかわからなかったのです。ツーリスト・インフォメーションで探して貰ったホテルはすこーしばかり駅からは遠かったのですが(石畳をトランクで移動するのは地獄を見ます)、なんと部屋にネット完備。パソコンを担いで行っていたのでかなりうれしかったです。あまり時間はなかったけどメールチェックはできました。日本では友人達が私の居ぬ間にチゲ鍋パーティしてるし(私はチゲが食べられません)、思わずポーランドからコメント入れちゃった。
さて、クラクフと言えば90%がWWⅡで破壊されたというポーランドにおいて破壊を免れた貴重な町です。そしてあの「シンドラーのリスト」の舞台のゲットー(カジミエージュ地区)があった場所でもあります。そしてアウシュビッツに最も近い町でもあります。
まずは世界遺産の岩塩採掘場に。岩塩でできた彫像やシャンデリアや地下のチャペルなど、延々を歩かされましたが大変興味深かったです。大きなホールでは実際に軍人さんたちがパーティーを開いていたし。
夜は織物会館のある広場でクリスマス・マーケットが開かれていたのでそこの屋台でつまみ食い。ワッフルが美味しかったv
翌日はカジミエージュ地区へ路面電車で向かいました。ユダヤ人博物館や教会などへ行きましたが・・・ただ祈るのみです。
ヴァヴェル城が15:00までだというので大急ぎで(30分で!)観光。途中で追い出された感じです。入るのも嫌がられたし・・・。荷物は預けてから入れというから預けていったら、今度は靴の雪を払ってから入れと箒を渡され(T_T;
クラクフ2日目の夜は寝台列車でプラハへ出発です。トランクは駅に預けてあったのを受け取り、待合所で待つこと4時間(!)22:53出発です。部屋は3段ベッドに洗面台付き。スパークリング・ウォーターが付いています。狭いけど豪華。二人だったらもう少し身動き出来たのでしょうが3人だとどうにも動けません。もう眠るのみ。そして夜中の1時にチェコの入国管理官がチェックに。軍人さんのような怖い人でしたが、寝ぼけ眼でパスポートを渡す私・・・。寝台車なんて小学校以来です。
ゴトゴト揺れる振動が意外に心地よい眠りに誘われます。
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東欧旅行その3・Warsow(ワルシャワ)ポーランド

2005-01-20 01:49:41 | 海外旅行
ワルシャワには2泊しました。中心部にデンと建ったホテルは観光には便利です。バスタブあるし!外は雪で視界も時には10メートル以下くらいになってしまうくらい見えないし、激寒です。帽子がなければ凍死してます。
移動は地下鉄(メトロ)を利用しての観光でしたがかなりよく歩いた。行った場所は王宮、バルバカン、キュリー夫人博物館、ワルシャワ蜂起記念碑、現大統領邸のラジヴィウ宮殿、ヴィジトキ教会(ショパンが日曜オルガニストだったのです)、聖十字架教会(ショパンの心臓があります)、コペルニクス像。
ショパン博物館は14:00閉館(!)で入れず。あまりの寒さに途中の教会で水筒のあったかいお茶を三人で分け合ったりしました。ビバ水筒。これなかったら凍え死んでる。でもホテルには湯沸かしポットがないのです。これはこの後の旅路でもずっと付いて回る問題。どうやら東欧にはホテルの部屋にポットを置くという習慣がない模様。ラウンジまでお湯をもらいに行きましたよ。そしたら
魔法瓶に入れて貸してくれました・・・。そしてポーランドにはミルクティーを飲む習慣もないようです。紅茶を頼むと問答無用でレモンがついてきます。ピザハットでミルクティーを頼んだらお姉さんに「紅茶にミルクを入れるの??」とびっくりされました。こっちがびっくりしたよ。
夜はホテルで訊いたポーランド料理の店「Polska」へ。餃子みたいなピエロギとスープのズーレック、グリルしたグースの足などを食す。ピエロギは美味しいです。餃子と小龍包をミックスしたような。
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東欧旅行その2・慌ただしい出発・波乱の旅の幕開け?

2005-01-20 01:48:24 | 海外旅行
ロンドン・ルートン空港は半端じゃなく外れにあります。ウィンチェスターから3時間かかった・・・。
北アイルランドで捻挫していたTちゃんの足も心配だし、急遽仲間に加わる事になったハウスメイトのブラジルガールCちゃんは出発予定時刻の10分前に空港に来るし。ポーランドの航空会社WIZZは出発が1時間遅れるし。なにか不吉な予感が・・・。
と思ったら大風邪を引いていた私がなんとWIZZ機内で失神してしまいました(!!)機内温度が異常に高くておそらく熱のあった私は貧血と脱水症状?かなにかを起こしたらしく。あやうく飛行機を止めるところでしたよ。救急車を空港に呼んだ方が良いかと聞かれたもの。無理矢理水とチョコを食べさせられましたが(気分悪いときにチョコはやめて~(>_<;)機内温度を下げて貰ってなんとか回復。乗務員のお兄さんが親切で結構ハンサムだったことだけはしっかり覚えております(笑)。
飛行機を降りる時も何度も「病院行くのよー」と言われたのでてっきり空港にお医者さまでも待機しているのかと思いきや別に誰もいませんでした。放置?ともあれ降りたワルシャワ飛行場は雪で真っ白でございました・・・。
どうやら波乱の旅の幕開けのようです。
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EU加盟記念奉祝東欧旅行

2005-01-20 01:47:00 | 海外旅行
12月20日-2005年1月2日
勝手に名付けてみました今回の旅行。プラハとブダペストは決まっていたのですが、「地球の歩き方 中欧」を見て動き易そうな位置関係で最終的にポーランドとウィーンも行くことに。「地球の歩き方」がなかったらこの旅行は不可能でした。日本から買ってきてくれたUさん、有り難う(^_^)!2004年にEUは25カ国体制になったばかりなんですよね。ポーランドにチェコにハンガリー、EUになれども通貨は未だ各国通貨。ある意味貴重な時期に旅することになったのではないかと。
以下、写真は割愛しつつ旅行の記録を。
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