皆さんおはようございます。
三徳山は、曇っています。
気をつけて、お出かけ下さい。
さて、今日は佛教の言葉をご紹介します。
まずは、慢過慢です。
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慢過慢とは、自分より優れている相手に対して、素直にその事実を認められず、相手の欠点を探して、私のほうが上だと思う心のことです。
例えば、テストで相手は九十点、自分は八十点だった時、
「勉強が少しできるかもしれないけど、スポーツはまるでダメだね。その点、私は両方できる」と自分に都合のよい理由をひっぱり出して、
相手の上に立とうとする心です。
相手の優れた点を認めて、学ぼうと思えば、どれだけ向上できるでしょうか。
人はとかく、相手の優れているところや実力を認めたくないものです。
私たちは学校や職場、地域などで、たくさんの人に囲まれて生きています。
その中で、 「自分とあの人はどっちが上か下か」と考えて、イライラしたりギスギスしたりしていないでしょうか。
そんな時、慢、過慢、慢過慢の「うぬぼれ」で相手を見下していないか、自分の心を見つめる努力をしてみましょう。
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人生の中で必ずありますよね。
そして、
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過慢とは、同じレベルの相手に対して、自分のほうが優れていると威張る心のことです。
例えば、テストの成績で相手が七十点、自分も七十点で同じとすると、
「相手は親が金持ちで家庭教師がついている。でも、私は塾にも行かずに独りで勉強している。条件が同じなら、本当は私のほうが成績は上だったのに」と思う心です。
同じ成績なら、ライバルだと思って切磋琢磨すれば、お互いの向上になるのですが、
「条件が同じなら」という言い訳を付けて、本当は自分が上だと相手を認めることができない心ですね。
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これも、人間であるならば、当然のようにわき上がる気持ちです。
しかし、このような心を少しでも無くす努力をする事が、大事だといわれています。
佛教には、正しい道を歩むことで、全てを素直に受け入れて感謝が出来る生き方を進めています。
例えば「八正道」などは、皆さんの生活には欠かせない生き方だと思います。
一度検索してみて下さい。
では、明日も、あなたにとって良い日でありますように。
ツイテル。ツイテル。
ありがとう。感謝。感謝。
喜べば、喜び事が、喜んで、喜び連れて、喜びに来る。