竹内しげやす 市政チャレンジ日記

新米議員から四期目を向えて市政にチャレンジする奮戦記。
一歩一歩目標に向け前進する日々の行動を日記風に。

1945年8月15日 終戦(鈴木貫太郎内閣総辞職)

2023年08月15日 | 日本の歴史
令和5年8月15日(火)

78年前の1945年8月15日、日本標準時正午に、昭和天皇の肉声で読み上げられた終戦詔書が、ラジオで放送される(玉音放送)。
日本国民にとって敗戦の日となる(終戦の日)。

 正午に昭和天皇はラジオ放送(玉音放送)をもって、日本の全国民と全軍にポツダム宣言受諾と日本の敗戦を表明し、ここに全ての日本軍の戦闘行為は停止された。
 玉音放送終了後、直ちに終戦に伴う臨時閣議が開催され、まず鈴木首相から「阿南陸軍大臣は、今暁午前5時に自決されました。
謹んで、弔意を表する次第であります」との報告があり、阿南の遺書と辞世の句も披露した。
閣僚たちは、1つだけ空いた陸軍大臣の席を見ながら、予想していたこととはいえ大きな衝撃を受けた。
 また午後に、大本営は大日本帝国陸軍および大日本帝国海軍に対して「別に命令するまで各々の現任務を続行すべし」と命令し、自衛のための戦闘行動以外の戦闘行動を停止するように命令した。
しかし、日本の敗戦を知った厚木基地の一部将兵が16日に徹底抗戦を呼びかけるビラを撒いたり、停戦連絡機を破壊するなどの抵抗をしたが、まもなく徹底抗戦や戦争継続の主張は止んだ。
他は大きな反乱は起こらず、外地や占領地を含むほぼ全ての日本軍が速やかに戦闘を停止した。
 大任を終えた鈴木内閣は8月17日、「閣内の意見を統一できず、聖断を仰ぐに至った責任を取る」として、内閣総辞職。
後継に、東久邇宮内閣(東久邇宮稔彦王首相)が成立した。

<宮城事件>
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