竹内しげやす 市政チャレンジ日記

新米議員から四期目を向えて市政にチャレンジする奮戦記。
一歩一歩目標に向け前進する日々の行動を日記風に。

英霊の言乃葉 吾等は最善をつくしました

2023年08月27日 | 英霊の言乃葉
令和5年8月27日(日)
お早うございます。

今日は久しぶりに「英霊の言乃葉」を紹介いたします。
<吾等は最善をつくしました>
海軍大尉 細田 春中 命 
ペタン島第四分遣隊長
昭和20年8月23日 
ペナン島にて責任自決
東京外国語学校卒
山梨県大泉村出身 二十八歳 

正義の戦と確信し最終の勝利を確信した私の信念も、終に破れました。
思へば昭和18年6月12日、再度南方勤務の命をうけ昭南に飛来して着任した当時は、
此の信念にいささかも変りなかったのですが、
第十方面艦隊通信部隊長と云ふ学徒出身将校としては異例の抜擢を受け、
ペナン市の司令部に着任して敵国の無電を傍受する様になってから、
八ヶ月を経るに従ひ戦局に不安を感ずる様になりました。
しかし斯くも無慙な、斯くも悲痛な敗戦の幕を閉じようとは信じられない現実です。
が、吾等は最善を尽くしました。
今更、戦争の指導者も、戦争財閥も恨みますまい。
要は科学兵器に対し精神力兵器が敗れたのです。
井中の蛙大海を知らずを、如実に物語って居ります。
元より私は一点の濁りもない崇高な気持ちで昇天の精神を以って、
従容死に着くのみでありますから、一掬の泪で満足致します。
ではお父さん、お母さん、永々の御薫陶を万謝致しますと共に天寿を全うせられ、
幼き弟妹を立派に御訓育下さいますよう、切に切に御願い致します。
ではこれでお訣れといたします。


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英霊の言乃葉 硫黄島だより抄

2023年05月25日 | 英霊の言乃葉
令和5年5月25日(木)
お早うございます。

今日は久しぶりに「英霊の言乃葉」を紹介いたします。
<硫黄島だより抄>
陸軍中尉 折口 春洋 命 
独立機関銃第二大隊
昭和20年3月17日 
硫黄島にて戦死
東京都品川区出身 三十八歳 

 もう寒に入っているのですから、東京などはすっかり霜がおりて寒々とした日々がつづいているでしょうに、こちらは明けてもくれても青々とした荒草の原にいつも変わらぬ鳥どもが、ほんとうに年中同じ鳥どもが鳴いていることです。琉球などではあんなに美しい仏桑華なども見られたのに、こちらは又何とも言い様のない味のないところです。
 新聞など読んでいると若い人々の勇ましい戦いのあとが偲ばれて、こんなにまでして戦っているのに、今年こそ本道に神々の天降りがあって、日本の輝やきが現れるのだと、自信を持ちたくなって来ます。
 東京で御想像下さっている様なこちらの戦局ですが、敵の動きがどういう風に来ますか、その時こそ我々の戦うべき時が来る訳です。それもいつになりますことやら、来るか来ぬかは神ならぬ身の知る限りではありませんが、そうなれば日本人として恥じない程のことは、皆覚悟しているつもりです。

栗林中将が起草し全軍に配布した『敢闘ノ誓』のビラ。
アメリカ軍は島内の至る所でこのビラを発見した。
上は戦後の遺骨収集団が地下陣地跡で回収したものである。

一 我等ハ全力ヲ奮テ本島ヲ守リ抜カン
一 我等ハ爆薬ヲ抱イテ敵戦車ニブツカリ之ヲ粉砕セン
一 我等ハ挺進敵中ニ斬込ミ敵ヲ皆殺シニセン
一 我等ハ一發必中ノ射撃ニ依ツテ敵ヲ打仆サン
一 我等ハ敵十人ヲ斃サザレバ死ストモ死セズ
一 我等ハ最後ノ一人トナルモ「ゲリラ」ニ依ツテ敵ヲ悩マサン
特に最後の「一 我等ハ敵十人ヲ斃サザレバ死ストモ死セズ」と「一 我等ハ最後ノ一人トナルモゲリラニ依ツテ敵ヲ悩マサン」は、長期持久戦を隷下将兵に徹底させる旨の一文であり、この誓いは実際の戦闘で生かされることとなる。
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英霊の言乃葉 部下と共に散らん

2023年01月29日 | 英霊の言乃葉
令和5年1月29日(日)
お早うございます。

今日は久しぶりに「英霊の言乃葉」を紹介いたします。
<部下と共に散らん>
陸軍少佐 市川 清義 命 
歩兵第215連隊
昭和21年7月15日(27歳没) 
ビルマ・ラングーンにて法務死
福島県出身 

前略 不肖戦犯者としてラングーンの獄に投ぜられしより早や半年を過ぎ連日枕辺に雨ダレの音を聞く雨期の候と相成候。
その間ラングーン初頭の裁判に絞首刑の宣告を受け、中隊長(部下)三名と今は其の執行を待ちをる次第に御座候。
朝に咲き夕に散るは世の慣ひ今南国の獄に死すとも自己の過去を貫く誠の心は、信念に生きた足跡は、自らの心を静かならしめ、亡ぶる肉体のさだめは敗戦の犠牲として唯運命として、武人の諦めの裡に有り、父上母上、兄上、弟よ悲しみ給はざる可く候。
多数の部下達の戦死せし戦場に当然散るべき身なりと諦め被下度候。
元より我々の行動たる死生を超越し自らを捨て戦争目的達成の為に邁進したる事に有之、何等恥づる所無之候。
親子の情愛も交はさず疎き事八年に至り候へ共国家の為一身を捨てたる事、考の最大なるものと自認致し居り候。
亦連日不肖の武運長久を祈り給へる父母の恩に対しては深謝措く能はざる次第に御座候。
先づは此の世の別れに一筆心境御報らせまで如斯に御座候。
敬具

第二次世界大戦当時のラングーン(現在のヤンゴン)の風景
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英霊の言乃葉 遺す言葉

2022年10月03日 | 英霊の言乃葉
令和4年10月3日(月)
お早うございます。

今日は久しぶりに「英霊の言乃葉」を紹介いたします。
<遺す言葉>
陸軍中将 山崎 保代 命 
北海守備第二地区隊
昭和18年5月29日(51歳没) 
アリューシャン列島アッツ島にて戦死
山梨県出身 

玉手箱帰る時迄保管され度し
栄子へ遺す言葉
一、部隊の長として遠く不毛に入り、骨を北海の戦野に埋め米英撃滅の礎石となる。
真に本懐なり、況や、護国の神霊として悠久の大義に生く、快なる哉。
一、思ひ遺すこと更になし、結婚以来茲に三十年良く孝貞の道を盡し内助の功深く感謝す。
子等には賢母、私には良妻、そして終始変らざる愛人まりき。
衷心より満足す。
一、健康に留意し老後を養ひ、子供達は勿論、孫共の世話迄せられ度し。

保之 保久 和子 正子へ遺す言葉
一、行く道は何にても宜し、立派な人になって下さい。
一、兄弟姉妹お互に協力し、元気に愉快に活動しなさい。
一、母に孝養を盡すことが、父の霊に對する何よりの供養と存ぜられ度し。
父より


山崎 保代(やまさき やすよ、1891年10月17日 - 1943年5月29日)は、日本の陸軍軍人。
最終階級は陸軍中将。
太平洋戦争(大東亜戦争)中、アッツ島の戦いを指揮し17日間の激しい抗戦の後戦死した。
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英霊の言乃葉 肉親への愛情絶ちがたく

2022年07月23日 | 英霊の言乃葉
令和4年7月23日(土)
お早うございます。

今日は久しぶりに「英霊の言乃葉」を紹介いたします。
<肉親への愛情絶ちがたく>
海軍大尉 町田 道教 命 
神風特別攻撃隊第五筑波隊
昭和20年5月11日 沖縄周辺にて戦死
九州帝国大学卒
長崎県生月町出身 二十五歳

雨戸がしめられて明り取りに一枚あけられ、その近くで母上は良く縫物をしてをられた。
俺達は所在なさに何か食物をねだっていたものだ。
そのうちきっと母上は何かこさえて下さったものだ。
ああ幼き頃の思い出は実に遠いものになってしまっている。
我等の為に苦労して来られた母上にその報いもせず、老後の楽しみも見せず、散りゆくのは残念である。
素直に元気で大きくなってくれることをひたすら望む。
それから若い盛りの綾子にも大分苦労をかけました。
化粧もせず、着物もきず、ただ家の為に働いてくれるのを思うと全く頭が下がります。
よい婿さんを見つけてやって下さい。
サエ子ちゃんも素直によい子になる様お願いします。
私も靖国神社からそれを祈って居ります。

5月11日 「菊水六号作戦」発動、第五筑波隊突入。

5月11日、空母バンカーヒル大破


菊水六号作戦中の5月11日、特攻機2機の命中で大破炎上した正規空母バンカーヒル

 菊水作戦(きくすいさくせん)は、太平洋戦争末期の天号作戦中、沖縄に来攻する連合国軍に対し特攻攻撃を実施した日本海軍の作戦。
作戦名の「菊水」は楠木正成の旗印に由来する。
 第一機動基地航空部隊(第三航空艦隊、第五航空艦隊、第十航空艦隊)によって1945年4月6日の菊水一号作戦から6月22日の菊水十号作戦まで行われ、これらに策応し、海軍の第一航空艦隊や陸軍の第六航空軍、初期には第八飛行師団も総攻撃を行った。
これらの作戦において、海軍機は940機、陸軍機は887機が特攻を実施し、海軍では2,045名、陸軍では1,022名が特攻により戦死した。



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