竹内しげやす 市政チャレンジ日記

新米議員から四期目を向えて市政にチャレンジする奮戦記。
一歩一歩目標に向け前進する日々の行動を日記風に。

西尾市議会議長 表敬訪問

2022年08月26日 | 各市町村議会等、各種団体等との意見交換・交流会
令和4年8月26日(金)
お早うございます。

話は少し遡りますが、8月24日(水)稲吉議長、鎌田議員、新実議員と私、竹内しげやすの四人で
西尾市議会議長へ表敬訪問いたしました。

西尾市議会議長 鈴木正章 氏、 副議長 磯部雅弘 氏、 神谷庄二議員、 渡辺信行議員の四名の方達が対応して頂きました。

名鉄西尾・蒲郡線存続の件や、西尾市のPFI事業の見直しの件、ウナギの養殖の件、自主防災会の件、
クリーンセンターの件など2時間ほど意見交換をさせて頂きました。

西尾茶(にしおちゃ)は、愛知県西尾市を中心とする2市で生産される茶であり、そのブランド名である。
西尾市と安城市を合わせた2市で約150ヘクタール(ha)、年間約400トン(西尾市単独では約350トン)の碾茶(てんちゃ)が生産されている。
これは全国生産量の約20%、愛知県の生産量の約70%を占める。
西尾市の北西部にある丘陵地の稲荷山を中心として、西尾市全体で149haの茶畑が広がっている。
稲荷山には茶園公園が設けられている。
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蒲郡市観光協会・自民党蒲郡市議団 意見交換会

2021年08月12日 | 各市町村議会等、各種団体等との意見交換・交流会
令和3年8月12日(木)
お早うございます。

話は少し遡りますが、8月4日(水)午後1時30分より、蒲郡商工会議所201会議室にて、
「蒲郡市観光協会・自民党蒲郡市議団 意見交換会」を行いました。

自民党蒲郡市議団団長である私、竹内しげやすがあいさつさせて頂きました。


蒲郡市観光協会会長 杉山 氏のごあいさつ


2019年延べ宿泊者数 802,925人
2020年延べ宿泊者数 372,975人
2021年1月~3月までの宿泊者数 50375人
宿泊者数は大幅に減少しています。





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蒲郡市医師会 会長&副会長と自民党蒲郡市議団との意見交換会

2021年07月07日 | 各市町村議会等、各種団体等との意見交換・交流会
令和3年7月7日(水)
お早うございます。

7月5日(月)午後8時より蒲郡商工会議所201会議室にて、
「蒲郡市医師会 会長・副会長と自民党蒲郡市議団との意見交換会」を今枝先生のお執成しで行うことが出来ました。



私、竹内しげやすは団長としてご挨拶させて頂きました。


鈴木市長のご挨拶。飛田県議も参加して頂きました。


近藤会長のご挨拶

・新型コロナウイルス感染対策やワクチン接種の状況について
・病診連携について
・市民病院新棟建設について
以上の項目について意見交換させて頂きました。

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東三河8市町村長を囲む新春懇談会

2021年01月08日 | 各市町村議会等、各種団体等との意見交換・交流会
令和3年1月8日(金)
お早うございます。

<1月8日今日は何の日>
1989(昭和64)年1月7日の朝の昭和天皇の崩御を受けて、7日午後の臨時閣議で次の元号を「平成」と決定し、翌8日から新しい元号がスタートした。

新元号を発表する小渕恵三内閣官房長官(1989年〈昭和64年〉1月7日)

「平成」は最初の年号「大化」以来247番目の元号で、初めて政令により新元号が定められた。
「平成」は「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味である。
日本において元号に「成」が付くのはこれが初めてであるが、「大成」(北周)や「成化」(明)など、外国の元号や13代成務天皇の諡号には使用されており、「平成」は慣例に即した古典的な元号と言える。


さて今日は昨日(1/6) 豊橋市のホテルアークリッシュ豊橋で開催された、2021年を展望する「東三河8市町村長を囲む新春懇談会」を紹介いたします。
毎年会場まで足を運び参加していましたが、今年は、新型コロナウイルス感染予防の為、ライブ配信にて拝聴させて頂きました。

東三河の政財官界などの関係者らが出席。
新型コロナウイルス感染症の流行を踏まえ、「ウィズコロナ」や「ポストコロナ」の時代に地域がどの方向に進むべきかを話し合った。


 豊橋市の浅井由崇市長は、コロナで打撃を受ける市民や事業者への支援をスピード感を持って行い、県と連携して病床を確保すると述べた。また、若者の転出を問題視し、食い止めるには魅力的な仕事が必要だとして農業の付加価値を高め地域を「食」のメッカにすることやスタートアップ支援に取り組む考えを示した。


 豊川市の竹本幸夫市長は、コロナの経済対策で実施した商品券配布や期間限定の幼保給食費無償化など「効果があるものは新年度予算にも反映させたい」とした


 三河湾に面する地理的特徴を、コロナ後の振興に結び付けたのは蒲郡市の鈴木寿明市長。海辺にベンチを設置するまちづくりに意欲を見せたほか、クルーズ船の受け入れや防災対応から海上自衛隊による港の利用にも期待を寄せた。


 新城市の穂積亮次市長は、デジタル化で医療・健康・産業の新たな価値創造を目指す「奥三河メディカルバレープロジェクト」を、日本で不足しているとされるデータ保護などの仕組みの構築につなげる考えを示した。


 田原市の山下政良市長は、昨年掘削した温泉やサーフィンを通じて、関係人口や定住人口を呼び込みたいと述べた。


 設楽町の横山光明町長は、過疎化の問題を逆手に取り、奥三河の広々とした空間や豊かな自然、人と接する機会の少なさをコロナ下に都市部から移住を呼び込む売りとしてとらえる、地域を「安心地帯として発信することが必要だ」と提案した。


 東栄町の村上孝治町長は在宅勤務などの「リモートワーク」や休暇を楽しみながら働く「ワーケーション」の流れを受け、町内の廃校に拠点の整備を進めていると説明。


 豊根村の伊藤実村長は、コロナの影響で人口が過密な大都市から地方に移住する人が増えていることを好機に「受け皿づくりをしたい」と述べた。

鈴木寿明 蒲郡市長は、「市長就任以降、新型コロナ対策に奔走した1年だった。3月上旬に初めて市内で感染者が出て、観光がダメージを受けた。しかしそれを試練ととらえ、市民が助け合う気持ちが生まれたのは大きな収穫だったと、蒲郡市民にエールを送っていました。
 




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JA蒲郡市青年部と市議会議員 情報交換会

2019年08月22日 | 各市町村議会等、各種団体等との意見交換・交流会
令和元年8月22日(木)
お早うございます。

<8月22日今日は何の日>
1875年 - 樺太・千島交換条約批准。

署名 1875年5月7日(サンクトペテルブルク)効力発生 同年8月22日

樺太・千島交換条約(からふと・ちしまこうかんじょうやく)は、明治8年(1875年)5月7日に日本とロシア帝国との間で国境を確定するためにサンクトペテルブルクで署名され、同年8月22日に東京にて批准され締約された条約。
千島・樺太交換条約や、署名した場所からとってサンクトペテルブルク条約(英: Treaty of Saint Petersburg、露: Санкт-Петербургский договор 1875 года)と呼ぶ場合もある。

日本とロシアとの国境は安政元年(1855年)の日露和親条約において千島列島(クリル列島)の択捉島と得撫島との間に定められたが、樺太については国境を定めることができず、日露混住の地とされた。
1856年(安政2年)にクリミア戦争が終結すると、ロシアの樺太開発が本格化し、日露の紛争が頻発するようになった。
箱館奉行小出秀実は、樺太での国境画定が急務と考え、北緯48度を国境とすること、あるいは、得撫島から温禰古丹島(オネコタン島)までの千島列島と交換に、樺太をロシア領とすることを建言した。徳川幕府は小出の建言等により、ほぼ北緯48度にある久春内(現:イリンスキー)で国境を確定することとし、慶応2年(1867年)、石川利政と小出秀実をペテルブルクに派遣し、樺太国境確定交渉を行った。
しかし、樺太国境画定は不調に終り、樺太はこれまで通りとされた(日露間樺太島仮規則)。
これにより幕府とロシアは競うように樺太に大量の移民を送り込みはじめたので、現地は日本人、ロシア人、アイヌ人の三者間の摩擦が増えて不穏な情勢になった。
日露間樺太島仮規則では、樺太に国境を定めることができなかったため、明治に入っても、日露両国の紛争が頻発した。
こうした事態に対して、日本政府内では、樺太全島の領有ないし樺太島を南北に区分し、両国民の住み分けを求める副島種臣外務卿の意見と、「遠隔地の樺太を早く放棄し、北海道の開拓に全力を注ぐべきだ」とする樺太放棄論を掲げる黒田清隆開拓次官の2つの意見が存在していた。その後、副島が征韓論で下野することなどにより、黒田らの樺太放棄論が明治政府内部で優勢となった。
明治7年(1874年)3月、樺太全島をロシア領とし、その代わりに得撫島以北の諸島を日本が領有することなど、樺太放棄論に基づく訓令を携えて、特命全権大使榎本武揚はサンクトペテルブルクに赴いた。
榎本とピョートル・ストレモウホフ(ロシア語版)ロシア外務省アジア局長、アレクサンドル・ゴルチャコフロシア外相との間で交渉が進められ、その結果、樺太での日本の権益を放棄する代わりに、得撫島以北の千島18島をロシアが日本に譲渡すること、および、両国資産の買取、漁業権承認などを取り決めた樺太・千島交換条約を締結した。



さて、話は少し遡りますが、8月19日(月)午後7時より、JA蒲郡市 本部3階会議室にて、

「JA蒲郡市青年部と市議会議員 情報交換会」を行いました。

市議会側は、自由民主党蒲郡市議団、総勢7名、青年部側は事務局を含め25名です。

主な議題は
(1)農業について

(2)地域について

(3)農業用ハウスの償却資産税について

有意義な意見交換会が出来ました。・・・ありがとうございました!

追伸 8月22日~23日の両日、今枝宗一郎衆議院議員の御計らいで、衆議院会館にて勉強会と、国土交通省、財務省に要望書を提出してまいります。
誠に勝手ながら、8月23日のブログはお休みいたします。
ご迷惑をお掛けいたしますが、よろしくお願いいたします。

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