竹内しげやす 市政チャレンジ日記

新米議員から四期目を向えて市政にチャレンジする奮戦記。
一歩一歩目標に向け前進する日々の行動を日記風に。

1945年6月17日はこんな日だった。

2023年06月17日 | 日本の歴史
令和5年6月17日(土)
お早うございます。

<1945年(昭和20年)6月17日の出来事>
第二次世界大戦: 日本本土空襲: 鹿児島大空襲。
 鹿児島大空襲(かごしまだいくうしゅう)は、第二次世界大戦末期にアメリカ軍によって行われた、鹿児島県鹿児島市と周辺に対して行われた都市無差別爆撃の総称。
鹿児島市に対する空襲は1945年(昭和20年)の3月から8月にかけて8回行われており、合計で死者3,329人、負傷者4,633人の被害を出した。
 6月17日、120機のB-29がマリアナ諸島から発進し、午後11時、鹿児島市上空に飛来。6月17日の空襲で死者2316人、負傷者3500人、市街地の44.1パーセントが損壊し、最終的な死者は3300人、市街地の93パーセントが焼失した。
 鹿児島市に対する空襲の中では同年6月17日に行われた空襲は鹿児島市内一円に対して行われ最大の被害を与えた。
 鹿児島県は本土最南端に位置しているうえ、知覧、万世、串良などの特攻基地を設けられていたため、地方都市の中でも鹿児島市は特に空襲が激しかった。



空襲によって焼け野原となった鹿児島市街



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