神船 若宮丸【しんせん わかみやまる】
東区の山車は海中渡御する他の四区とは大きく違い、唯一船の形をしています。
建造年は寛政二年(1790年)と古く、昭和59年(1984年)に解体修復しています。
昭和30年代頃の写真
<動から静へ>
若宮丸が「面舵(おもかじ)」の掛け声で八剣神社、若宮神社の正面を向いた瞬間、4台の山車の音が止まり動から静へと変わります。
山車小僧が山車から全員降りると「ごへい」の掛け声でゆっくりと宮の中へ進んでいきます。
<引分け>
試楽と神幸の夜の最後を飾るのが若宮丸の引き分けです。引き分けの歌が歌い終わると八劔神社から若宮神社まで、若宮丸を全力で走らせて帰ります。
どれだけ速く帰っていけるのかで、その年の勢いよさにつながっています。また、この姿を見ないと祭りが終わらないと感激の涙を流す三谷祭りファンもいます
三谷祭の起源は・・・
今から約300年程前の元禄九年(1696年)八月の或る夜、三谷村の庄屋“武内佐左衛門”は、不思議な夢を見ました。その夢とは「この郷の産子神である八剱大明神が、村の東辺の若宮八幡(若宮神社)へ渡御なされた。」というもの。
まさしく神のお告げであると、早速神輿を設え、重陽の節句(九月九日)に神幸(じんこう・神の行幸の意。祭事や遷宮などで神体がその鎮座する神社から他所へ赴くこと)の儀式を行った。
これが「三谷祭」のはじまりと言われています。
三谷祭を分かりやすく説明しますと・・・
試楽祭(宵祭り、現在は土曜日)に「東区の神船若宮丸(応仁天皇)が八劔神社に赴き、日本武尊(やまとたけるのみこと)に東宮に遊びに来るよう挨拶に行き、神幸祭(本祭、現在は日曜日)に「前日応仁天皇から誘いを受けた日本武尊が快諾してお客に行く」というものである。
<過去に掲載した山車>
上区:剣の山車【つるぎのやま】 2012/4/2
西区:恵比寿の山車【えびすのやま】 2012/4/6
北区:三蓋傘の山車【さんがいがさのやま】2013/6/29
中区:花山車【はなやま】2014/1/30
東区の山車は海中渡御する他の四区とは大きく違い、唯一船の形をしています。
建造年は寛政二年(1790年)と古く、昭和59年(1984年)に解体修復しています。
昭和30年代頃の写真
<動から静へ>
若宮丸が「面舵(おもかじ)」の掛け声で八剣神社、若宮神社の正面を向いた瞬間、4台の山車の音が止まり動から静へと変わります。
山車小僧が山車から全員降りると「ごへい」の掛け声でゆっくりと宮の中へ進んでいきます。
<引分け>
試楽と神幸の夜の最後を飾るのが若宮丸の引き分けです。引き分けの歌が歌い終わると八劔神社から若宮神社まで、若宮丸を全力で走らせて帰ります。
どれだけ速く帰っていけるのかで、その年の勢いよさにつながっています。また、この姿を見ないと祭りが終わらないと感激の涙を流す三谷祭りファンもいます
三谷祭の起源は・・・
今から約300年程前の元禄九年(1696年)八月の或る夜、三谷村の庄屋“武内佐左衛門”は、不思議な夢を見ました。その夢とは「この郷の産子神である八剱大明神が、村の東辺の若宮八幡(若宮神社)へ渡御なされた。」というもの。
まさしく神のお告げであると、早速神輿を設え、重陽の節句(九月九日)に神幸(じんこう・神の行幸の意。祭事や遷宮などで神体がその鎮座する神社から他所へ赴くこと)の儀式を行った。
これが「三谷祭」のはじまりと言われています。
三谷祭を分かりやすく説明しますと・・・
試楽祭(宵祭り、現在は土曜日)に「東区の神船若宮丸(応仁天皇)が八劔神社に赴き、日本武尊(やまとたけるのみこと)に東宮に遊びに来るよう挨拶に行き、神幸祭(本祭、現在は日曜日)に「前日応仁天皇から誘いを受けた日本武尊が快諾してお客に行く」というものである。
<過去に掲載した山車>
上区:剣の山車【つるぎのやま】 2012/4/2
西区:恵比寿の山車【えびすのやま】 2012/4/6
北区:三蓋傘の山車【さんがいがさのやま】2013/6/29
中区:花山車【はなやま】2014/1/30