父親的生活

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8億円に思う

2005-01-13 22:38:17 | 出産・育児
今日のエントリは、少し反発があるかも知れませんが敢えて書きます。

「発明の対価は8億円」

ニュースでも沢山取り上げられていた青色発光ダイオードのニュースを見ました。
記者会見で発明された方は随分ご立腹の様でしたね。
8億円がどうなのか?裁判の内容も、実情も知らない私がどうのこうの書くつもりもありませんので、その事は書きません。
気になったのは「日本は腐っている」「実力のある科学者はアメリカへ」「実力主義のアメリカ万歳」みたいな発言があった事に思った事を書きます。

私が大学で勉強していた十数年前。
担当のF教授は東京大学卒の先生で当時ブームだった?ロシア(ペレストロイカ)新政権下の教育、文科研究の第一人者と言われていた人でした。
先生とのエピソードはこちらをそんな生徒との語らいが大好きで、素朴なF先生と、ある日、ゼミ後の居酒屋で戦後の学校教育について話した事がありました。
時はバブル崩壊直前、加熱する受験戦争に詰め込み教育。教育者の間ですら「ゆとりを」なんて話がちらほら出始めた頃でした。
当然学生たちは「ゆとり」の必要性を一生懸命議論していました。

話が一段落して会話が少し静まった時、先生が一言
「私は、そんな日本の学校教育にも良い面があったと思うのですよ」
私たちは驚きました。

確かに、戦後数十年で、焼け野原の日本が、世界有数の経済力を持つ国に成長できた一番の理由は教育にあったのかも知れません。
日本の教育の特徴の一つは「おちこぼれを作らない」事でした。
どんな家庭の子どもでも等しく教育を受け、成人で字の読めない人、漢字のかけない人、足し算、引き算、掛け算、割り算の出来ない人はほぼ皆無では無いでしょうか。
他国と比較する学力テストの成績は、随分順位は下がりましたが、おそらく今でも殆どいないと思います。
学校の授業ではこれでもかというくらいの反復訓練(詰め込みと言われた)で基礎学力を叩き込み、クラス全員が一定レベルに達するまでみんなが付き合う授業。
日本の教育にはそんな側面もあったように思うのです。

「村社会に通じる部分があると思うのです」と先生。

人からの干渉がわずらわしく、どこかドライな都会の暮らしに憧れていた当時の私には、なかなか納得できなかった事でしたが。

「村八分」という言葉があります。
仲間はずれを意味する言葉ですが、逆に残り2分と言うのがあるのです。
それは葬式と火事。
どんなにはみだした人で、村から疎まれた人でも、葬式と火事だけはみんなで協力しましょうという事なのでしょう。
それが”日本らしさ”なのかどうかはわかりませんが、村社会ってそんな風に成り立っていたのでしょう。

おちこぼれを作らない、完全に絶交される事は無い。


その後、当時もてはやされた「ゆとり教育」なる物が、どういう道を辿ったか、最近の教育現場で叫ばれている事は?を考えると、当時の私たちが思っていた事、その議論を聞きながらポツリと仰った先生の言葉が懐かしく思えます。

実力主義は確かに必要だと思います。
出来る人がグイグイ引っ張る様をみる時は、少しうらやましく思える事もあります。
でも、「落ちない安心感」に包まれる事も案外良いと思うのです。
もっともっと時間が経って、人々の考え方が変わってしまえば、今のこの思いなんて「古い」となるかも知れませんが、私が私の息子に望むとするならば
「トップになる事」よりも「落ちぶれない事」なのかも知れません。

物凄い能力を持った人がいても、それは”人”のものさしで見ているだけの事で、よっぽどすごい人で無い限りあまり差はないと思うのです。神様や宇宙人がみたらみんな大差ないかも知れませんよね。
まだものさしを持たない我が子や、水槽のメダカのものさしだったら、〇〇教授も、〇〇社長も、〇〇選手も私もきっと変わらないでしょう。
地球のものさしで見たら、地球を汚す我々日本人よりも、モンゴル遊牧民の方がきっと”好まれる人種”であるでしょうし。
人に”差”ってないと思うのです。

F先生からは今年も年賀状が届きました。
最近の大学生は、一時の大学生ほど落ちぶれてもいないのか、それとも先生が諦めたのか、生徒を嘆く文章はありませんでした。
生徒たちとイギリスにフィールドワークに行くのだと書いておられました。

8億円はうらやましいけれど、先日の記者会見を見て、何となく思い出したこと。
先生の思った”日本らしさ”が、果たして私の思うものと合っているかはわかりませんが、何となくこの年になって、子どもを持ってわかった様な気がするのです。
家に帰って「ただいま」「おかえり」のある今が、実は一番なのかな~なんて思います。

なんて書きながら8億円はうらやましい。
今週もロト6をせっせと買うのでした。