続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

デュシャン『壜掛け』

2016-11-08 06:51:27 | 美術ノート

 『壜掛け』

 亜鉛メッキの鉄で出来たタワー状の形、段階的にある6つの円周には突起の棒が上に向かって数多等しく突き出ている。
 壜掛けは、空になった瓶を逆さにし、さらに乾燥(空)にするという仕掛けである。

 空(無)にするための装置としての存在物(有)は、その形のためか生き生きとした存在を主張しているかに見える。しかし、その役目は空になった壜をさらに空にするという存在目的の軽く薄い物に過ぎない。

 バランスを崩さないための重さは、見た目以上かもしれず、又このアイデアは納得に値するが、それ以上ではなく、空壜の清浄に至っては保証の限りではない。

 端的に言えば、存在しているが存在の意味を見いだせない《無》に等しい物ではないか。
《限りなく無に近い無の有形化》という失笑。

《有っても無くてもいい》と思える存在物に対する哀切、そして裏腹の存在感の重厚。
 この精神的な差異(空洞)の妙が、作品(レディメイド)提示の本意ではないか。デュシャンの作品提示は鑑賞者と作品の間の空気感にあり、常に思考を要求している。


(写真は『マルセル・デュシャン』美術出版社より)


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