
『凌辱』
女性としては正視が辛い絵である。
何故か、裸婦という自然体を歪めてみせているからで、美しさは消え、侮蔑感が残る。
部位の一つ一つに問題があるわけではない、むしろ衰えもなく若い肉体の各位である。
ふさふさの髪、少女のような乳房、肌もなめらかであるにもかかわらず、醜悪に変貌しているのは、各部位が当然あるべき位置にないことに因している。
乳頭が目、臍が鼻、陰部が口を想起させる位置に置換されているという奇妙さは到底肯けないものである。
通念の破壊…あるべき姿の固定観念の変態…最も近しい《絶対》と思う形態の歪み。
「これは違う!」と思うのは、ある種の差別であるが、有り得ないほどの差異は怪奇である。
しかし、人間が考えられる範疇の差異である『凌辱』という作品を目の当たりにして、肯き難さを覚えるのは《絶対という観念》を破壊し、《貞節/良心》に烈しく揺さぶりを掛けているからである。
常識という精神に問いかけている。
イメージ(空想)はあくまで自由であるが、尊厳を冒す自由は許されうるだろうか。イメージに範疇という限界線を敷くことができるのだろうか。マグリットの煩悶である。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
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