昨日まで見慣れた、この先もずっと変わらないと信じていたものが、ある接点を持って消失し不在になるという恐怖、驚愕…哀しみ。
自分の中でどう解釈したら納得できるのか。
答えは見つかるべくもない。
成熟した女の身体である、「お母さん」と呼びかければ開きそうな唇、涙がこぼれそうな潤んだ瞳。
母の突然の死を受け入れられなかったであろう少年の日のマグリット。いつまでも、いつの日も胸に残る疑念は消えず問い続けたのではないか。
存在(生)と不在(死)をつなぐもの。
最後に見た光景は納められた棺のみだったかもしれない。目に焼き付いた棺の木目模様は、母の死と結びついて幻影と化していったと思われる。
背景の淀んだ深緑は現世の空気ではないという律ではないか。
この裸婦は性欲の対象でも神秘化された偶像でもない。ただひたすら温かい肉体が死へと変容していく決別の、マグリット個人の惜別のリアルを凝視したものだと思う。
(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)
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