続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

もう四月も半ば過ぎ。

2016-04-16 07:18:10 | 日常

 四月も半ば過ぎ、月日の経つ早さに驚いている。
 一瞬の瞬きにも等しい人生かもしれない。欲も得もなく無に帰していく心構えでいるのに時としてざわつく胸のうちの鼓動、良くも悪くも生きて在る証拠なのだと肯定し、可否を問わずにやり過ごしている。

 それでも、外に出なくてはという思いは、強迫観念に近い。いろいろなイベントに眼を通しながら、こんな老体では無理かもしれないと躊躇してしまう。

「『大丈夫?』と声をかけられたら、退け時よ」と先輩から教えられている。

 ズシリと重い教訓が、行動のストッパーになっている。団体行動に甘えは禁物、誰かがどうかしてくれるなどと考えてはいけない、自分ができる範囲をしっかり把握していく。

 そういう瀬戸際だから、あんまり早く月日が経過し、どんどん年を重ねていく自分を図りかねている。

 四月の眩しさ・・・落花の哀れ・・・、わたしはどこにいるの、どこへ行こうとしているの?
 神様おしえて!!


マグリット『桟敷席』

2016-04-16 06:43:12 | 美術ノート

 『桟敷席』
 普通の席ではない、高みに設えた箱の中(一部屋)である。
 特別なエリアから眺め下す劇場。
 髪の長い少女の劇場を見下ろす後ろ姿。
 手前には双頭の成人女性が椅子に腰を掛け、こちらを向いている。彼女に髪はなく、手足は身体に比して非常に小さい。生命感あふれる活動的な手足とは言い難い。
 椅子や床面は木目が波打つようである。

 この部屋は既に現世を離れつつある空間に違いない。見降ろす劇場は現世であり、現世への憧憬・未練ではないか。
 すでに髪を失った婦人の千千に乱れた心情、彼女の分解である分身の少女は、時空の高みで現世を回顧している。

 何もない部屋・・・空漠の時空は、やがて無に帰していくプロセスかもしれない。(水色の着衣は海や空を、白い足は空の雲、ベージュのコートは大地…自然への回帰を暗示してる)

 彼女は現世(劇場)に背を向けているが、完全ではない。引き寄せられるような椅子の角度である。

 現世への未練、現世を見ていてほしいと願うマグリットの亡母への思いが描かせた一枚ではないか。


(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)


『城」2288。

2016-04-16 06:09:06 | カフカ覚書

というのは、あの子は、本当のところ美人とは言えないのですもの。ところが、あの沈んだような顔つきーあの子は、あれ以来そんなふうな眼つきをするようになってしまいました。ー


☆彼女は、すでに本来の姿ではありませんでした。
 暗黒の光景、それ以来、彼女はこんな性質になりました。