続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

DNAの影。

2012-12-25 06:58:50 | 日常
 誰に対しても親密度が低い。というか、わたし自身が忘れられたような存在である。

 母方の従姉妹などは「叔母さんは元気にしているかしら」とご機嫌伺いにちょっと立ち寄ったりしているけれど、わたしはそういう気遣いに欠けている。
 そんなだから、息子たちも頻繁にやって来ることはない。電話をしても「なに?」という感じで、こちらは(あっ、悪かったね)と、気分はぺしゃんこ。

 
 何年か前、通夜の席で会った父方の従兄弟は
「ああ昨日、7年ぶりにおふくろを見たけど、最初誰だか分からなかったよ」と言った。(7年ぶり?)
「おふくろも、もうダメだな。相当弱っているよ」と他人事のようにつぶやいたときには驚いてしまった。

 この血がわたしにも、息子たちにも流れている。冷たく寂しい血である。

 この従兄弟、執着も何もない。離婚後、海外主張を経ての居住(アパート)探しを友人に委ねた。寝に帰るだけという暮らしをしていたら、元妻の再婚後の所帯の二階に半年も住んでいたことが判明。
 他人から見たらストーカーそのもの。内実はストーカーとは真逆の無関心。
「だって子供の顔を見たら分かるでしょう」
「赤ん坊だったからな・・・」
「・・・」
「下水が詰まったんで下の階に行ってドアを開けたら前の女房だろう、びっくりしたよ」と笑い「もちろんその週末には引っ越したさ」と言った。


 信じがたい無関心、信じがたい愛情の希薄さ、・・・息子たちの無関心は息子たちのせいではなく、流れる血(DNAの影)のせいなのかもしれない。

(従兄弟のA兄に会ったのはそれこそ50年ぶりだったのに、ラッシュ時の電車の中で遠くにA兄の目を見たとき《父》を直感。降車後バス停に並んで初めてA兄であることを確認。A兄の咳き込みようは正に父そのものだったことにも驚かされた)

『洞熊学校を卒業した三人』44。

2012-12-25 06:48:05 | 宮沢賢治
 ちゃうどそのときはつめくさの端のさくころで、あの眼の碧い蜂の群は野原じゅうをもうあちこちにちらばって一つ一つの小さなぼんぼりのやうな花から火でももらふやうにして密を集めて居りました。

☆化(教え導く)が現れる璧(美しい玉、立派なもの)は宝の群(あつまり)也。
 言(言葉)に逸(かくれた)溢れる照(光)。
 果(原因があって生ずるもの)の過(あやまち)が満ちている衆(人々)の虚しさ。

『城』1134。

2012-12-25 06:20:09 | カフカ覚書
「このショールも、クラムからもらいましたの。それから、ナイト・キャップもね。さっきの写真とショールとナイト・キャップーこの三つは、わたしがもってるくらむの記念の品ですわ。

 ショール/Tuch→Tucke/悪意。
 ナイト・キャップ/haubchen・・・覆い、隠蔽。
 記念/Andenken→Undenken/考えられない。
 写真/Bild→Wilde/荒野。
 三つ/drai→drng/圧迫。

☆「この悪意も氏族からのものです。それから隠蔽もね。さっきの荒野と悪意と隠蔽、これらは考えられない圧迫です。