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セレンディピティ ダイアリー

映画とアートの感想、食のあれこれ、旅とおでかけ。お探しの記事は、上の検索窓か、カテゴリーの各INDEXをご利用ください。

没後40年 熊谷守一 生きるよろこび

2018年01月21日 | アート

東京国立近代美術館で開催中の「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」展(~3月21日まで)を見に行きました。

ポスターで見たポップでデザイン性のある作品に惹かれ、楽しみにしていました。本展は熊谷守一の没後40年を記念して開催される回顧展で、200点の代表作品に加え、スケッチや日記など多くの資料を展示しています。70年以上におよぶ守一の画業とともに、作風の変遷や激動の人生をたどりました。

蝋燭(ローソク) 1909

熊谷守一(くまがいもりかず・1880-1977)は岐阜県出身。1900年に東京美術学校に入学し、青木繁らとともに、黒田清輝らの指導を受けました。明るくポップな画風で知られる守一ですが、初期の作品はどれもダークトーンの写実画で、まったく画風が異なるのにびっくりしました。今日よく知られる画風を確立したのは70歳をすぎてからだそうです。

写真の作品は初期の代表作で、闇の中に浮かぶ不安な心を描いた自画像です。光と闇をテーマにしていた守一。私は本作を見て映画「沈黙」の隠れ切支丹を思い出しました。

日蔭澤 1952

その後の守一は、両親を亡くしたり、結婚して5人の子どもに恵まれるも貧しさの中で3人の子どもを次々と亡くしたり、苦労の日々が続きます。やがて、赤い輪郭線で縁取られる守一独特の画風が生まれます。この輪郭線は逆光の赤い線が山の端を彩っている様子を表現しているそうです。

ヤキバノカエリ 1956

長女・萬の遺骨を抱いて帰る家族3人の姿を描いた作品は、フォーヴィズムの画家アンドレ・ドランの「ル・ペックを流れるセーヌ川」を下敷きにしているといわれています。悲しいはずの作品ですが、なぜか弥次喜多道中を思い出しました。タイトルがカタカナというのも新しい感覚ですね。

稚魚 1958

マティスの「ダンス」の影響を受けて描かれた作品。なるほど!納得です。

たまご 1959

これもかわいい。デザイン性があってすごく好きです。

雨滴 1961

地面に落ちた雨滴がはね、同心円状に水紋が広がる様子を描いた作品。単純化した形の中にも科学的な観察眼が感じ取れます。

群鶏 1961

猫 1965

壁一面に猫の絵ばかり10点以上、ずらり~と並んでいる部屋があり圧巻でした。晩年は豊島区にある自宅から出ず、庭の花や虫、鳥などを明るいタッチで描き続けた守一。庭に出入りする猫もよくモデルとなりました。三毛猫、白猫、くろ猫など、どの猫もリラックスした表情を浮かべ、かわいかったです。

守一は同じモチーフでいくつも絵を描きました。時にカーボン紙を使って写して描くこともあり、輪郭の太さなどのわずかな違いで描き分けていました。同じ作品を2点ずつ並べてあるコーナーもあり、比べて見るのがおもしろかったです。絵はカンバスでなく、板に描いたものも多く、ソリッドな質感が感じられました。

最後は太陽を描いた作品が5点ほど並んでいましたが、朝日や夕陽がカラフルな同心円で抽象的に表現されていました。95歳になってなお「生きていたい」と語ったという守一。身近な世界に驚きと不思議を見出した守一の、前向きな生き方に励まされました。


生誕100年 ユージン・スミス写真展

2018年01月09日 | アート

東京都写真美術館で開催中の「生誕100年 ユージン・スミス写真展」(〜1月28日まで)を見に行きました。

ユージン・スミス(1918-1978)はアメリカのフォト・ジャーナリスト。太平洋戦争の従軍カメラマンとして、サイパン、レイテ、硫黄島、沖縄を訪れ、戦争の悲惨さや過酷な現実を撮影し、自らも沖縄戦で爆風を浴び、重症を負いました。

戦後は「LIFE」のカメラマンとして活躍したのち、1961年、日立の企業PR写真の撮影のために来日。晩年は、水俣病の実態を写真に収め世界に伝えることをライフワークとし、患者たちとともに戦いましたが、会社側から暴行を受け、脊椎損傷・片目失明の重傷を負いました。

本展では、初期の作品から太平洋戦争、LIFE 時代、そして水俣までの代表作品約150点が展示され、ユージン・スミス氏のジャーナリストとしての足跡をたどることができました。

水筒を手にする前線の兵士 1944

”太平洋戦争”の作品から。戦争の悲惨さを描いた作品が多い中、兵士の力強い横顔が印象的だった一枚。

楽園への歩み 1946

ユージン・スミスを代表する作品ですが、私は今まで勘違いしていたことを知りました。私は楽園=南の島と短絡的に考えて、この作品が、戦地の南の島で見た、つかのまの平和なひと時を撮影したものだと思っていたのです。

実際には、終戦後初めて発表した作品...すなわち、スミス氏が沖縄戦での負傷後、2年の療養ののちにニューヨーク郊外の自宅近くで、2人のお子さんを撮影したものだと知りました。スミス氏にとって楽園=故郷であり、終戦、快復、家族、そして平和な日常を意味する記念碑的な作品なのでしょうね。

司祭に老人の危篤状態を電話で伝えるセリアーニ、傍らで小声で話す女たち 1948

LIFE の仕事で、コロラド州で撮影した”カントリー・ドクター”というシリーズから。セリアーニという一人の医師の姿を追っています。どの作品も医師の眼差しが優しくて、ノーマン・ロックウェルの絵を思い出しました。写真はドラマティックな構図が心に残った一枚。

ウェールズの三世代の炭鉱夫 1950

これも LIFE の仕事から。イギリスやスペインで、貧しくもたくましく生きる人たちの姿を写真に収めました。LIFE のカメラマンといえば誰もが憧れる仕事ですが、題材をめぐっては何度も衝突し、必ずしもスミス氏が希望する写真が誌面に選ばれたわけではなかったようです。

赤ん坊をとり上げるモード助産婦 1951

LIFE の仕事で、サウスカロライナ州で撮影した”助産婦モード”のシリーズから。モードはスミス氏に全幅の信頼をよせ、どこに行くにも同行を許したそうです。それでふつうはなかなか撮影できない出産の現場にも立ち会う機会がありました。

巨大な鉄製埋設管の検査 1961

来日して、日立のPR写真を撮影しました。まさに日本の高度経済成長時代を肌で感じてこられたのですね。

チッソ工場から排出される廃液 1972

しかし日本の高度経済成長は、一方で公害病という副産物を生むこととなりました。水俣の公害病のことを知り、”行かなければならない”という気持ちに突き動かされたスミス氏は、日本人の血を引くアイリーン夫人とともに水俣市に家を借り、患者や家族たちに寄り添い、ともに戦いながら、写真を世界に発信しました。

沖縄戦で日本軍によって重症を負い、後遺症に苦しみながら、なぜ再び日本のために戦う生き方を選んだのか。スミス氏の作品の足跡をたどりながら、氏が常に弱い人たちの立場にたち、彼らの声を届けようと苦心してきたことに気づかされました。


北斎とジャポニスム

2017年12月17日 | アート

上野の国立西洋美術館で開催中の「北斎とジャポニスム HOKUSAIが西洋に与えた衝撃」展(~2018年1月28日まで)を見に行きました。

19世紀西洋美術における日本美術の影響、いわゆるジャポニスムについては3年前に世田谷美術館で大規模な展覧会を見ているので、今回はどうしようかな~と迷っていましたが、ドガの踊り子と北斎の力士のポーズを並べたポスターを見て、その愛らしさにひと目で惹かれ、やっぱり見に行こうと決めました。

【関連記事】ボストン美術館 華麗なるジャポニスム展 @世田谷美術館 (2014-07-15)

場所が上野なので混雑が心配でしたが、最初の展示室を抜けてからは比較的余裕があり、じっくり鑑賞することができました。今回も、西洋美術の作品と影響を与えたとされる北斎の作品が並べられ、ひと目で影響がわかるよう展示が工夫されていました。西洋美術220点と北斎の作品110点、絵画以外に彫刻、美術工芸もあり、至福の時間がすごせました。

(左)エドガー・ドガ「踊り子たち、ピンクと緑」1894年
(右)葛飾北斎「北斎漫画」十一編 刊年不詳

力士のポーズから踊り子のポーズを発想するなんてすごい!と思いますが、そもそもこういう何気ないポーズを描くというのが、西洋絵画にはこれまでにない斬新なことだったようです。ピンクと緑は私も大好きな色の組合せですが、特にピンクの愛らしさに心を奪われました。展示室も同じローズピンクでした。

(左)メアリー・カサット「青い肘掛け椅子に座る少女」1878年
(右)葛飾北斎「北斎漫画」初編(部分) 1814年

北斎による影響以前は、絵に描かれる女の子はお行儀のよいポーズをとっていたそうです。リラックスした自然なポーズにリアリズムを感じました。メアリー・カサットはパリで活躍したアメリカ人画家で、浮世絵の影響を受け、女性の何気ない日常を数多く描きました。

【関連記事】メアリー・カサット展 @横浜美術館 (2016-09-13)

(左)ポール・ゴーギャン「三匹の子犬のいる静物」1888年
(右)葛飾北斎「三体画譜」1816年

ゴーギャンらしからぬ?愛らしい作品ですが、丸みを帯びた平面的な3匹の子犬は、北斎の影響と考えられています。

(左)クロード・モネ「陽を浴びるポプラ並木」1891年
(右)葛飾北斎「冨嶽三十六景 東海道程ヶ谷」1830-33年

木々が作るリズム感は、北斎の影響とされています。木の間から見る風景というのも、それまでにはなかった描き方だったようです。

(左)ジョルジュ・スーラ「とがったオック岬、グランカン」1885年
(右)葛飾北斎「おしをくりはとうつうせんのづ」1804-07年頃

北斎の波と同じ構図で岬を描いています。近くで見ると点描の繊細さ、色の美しさに引き込まれました。

(左)カミーユ・クローデル「波」1897-1903年
(右)葛飾北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」1930-1833年頃

ロダンの恋人だった彫刻家カミーユ・クローデルも北斎の影響を受けていたのですね。このほか、やはり同じ「神奈川沖浪裏」にインスピレーションを受けて作曲されたドビュッシーの「海」の楽譜(表紙に神奈川沖浪裏の模写が描かれている)も展示されていて感激しました。

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他に印象に残ったのは、クリムトが北斎の春画の影響を受けていたということ。また北斎の影響によって、それまで西洋美術では宗教画に比べて各段に地位の低かった動植物画が注目されるようになったそうです。動植物をモチーフにしたエミール・ガレやドーム兄弟の美しいガラス工芸にもうっとりしました。

「冨嶽三十六景」に影響されたという、アンリ・リヴィエールの「エッフェル塔三十六景」も楽しかった! また北斎が富士山を様々な角度から描いたのに影響されて、セザンヌはサント=ヴィクトワール山を繰り返し描いたのだそうです。北斎の魅力に改めて気づかされた企画展でした。


オットー・ネーベル展

2017年10月24日 | アート

渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで開催している「オットー・ネーベル展 シャガール、カンディンスキー、クレーの時代」(~12月17日まで)を見に行きました。

6月にBunkamuraに「ソール・ライター展」を見に行った時に、予告のポスターに惹かれ、楽しみにしていた展覧会です。パッチワークのような色彩と構成。オットー・ネーベルという名は知りませんでしたが、幾何学的な作風に、ピンとくるものを感じました。

オットー・ネーベル(1892-1973)はベルリン生まれ。建築と演劇を学び、スイスとドイツで画家として活動しました。日本初の回顧展となる本展では、同時代に活躍し、ネーベルに影響を与えたシャガール、カンディンスキー、クレーの作品とともに、彼の画業を紹介しています。

アスコーナ・ロンコ 1927年

初期の作品から。兵役中にフランツ・マルクの作品に出合い、画家になることを決意したネーベルは、ナチスの弾圧を逃れ、他の芸術家たちとともにスイスに移住します。この作品はスイスのアスコナで描かれましたが、当時憧れていたシャガールの影響が見て取れます。

また妻がバウハウス(ドイツの芸術・建築学校)でアシスタントとして働いていたことが縁で、バウハウスで教鞭をとっていたクレーやカンディンスキーとも交友を深め、彼らから多大な影響を受けました。

聖母の月とともに 1931年 

建築を学んでいたネーベルは、都市の景観を、単純化した形と色彩のコントラストで構成しました。私はこの都市の建築シリーズが特に気に入りました。大聖堂のステンドグラスや石積みの様子を幾何学的にとらえた一連の作品もすてきでした。

「イタリアのカラーアトラス(色彩地図帳)」より ナポリ 1931年

「イタリアのカラーアトラス(色彩地図帳)」より ポンペイ 1931年

ネーベルは1931年にイタリアを旅し、景観を自身の視覚感覚によって色や形で表現した色彩の実験帳を作ります。ネーベルにとって、ナポリは黄色、ポンペイはグレーの街なのですね。会場ではスケッチブックの各ページが液晶ディスプレイに表示され、めくるようにして見ることができたのが楽しかったです。

地中海から(南国) 1935年

イタリアの風景から。この頃のネーベルの作品はクレーの作風に似ていますが、よく見ると、方向をそろえた短い線や細かい点で何層にも重ねて描かれていて、織物のような風合いを感じました。

ムサルターヤの街 IV:景観B 1937年

近東の風景でしょうか。土を感じさせる、赤みがかった色彩の構成が美しい。

輝く黄色の出来事 1937年

後半生、スイスに移住してからは、敬愛するカンディンスキーと同じように、抽象絵画に取り組むようになります。自らを指揮者に例え、音楽の世界を絵画で表現したり、ルーン文字(ゲルマン諸語の古い文字体系)や近東のイメージを取り入れたり。ネーベルの関心が内なる世界へと向いていったことが、作品の変化から感じ取れました。


川俣正「工事中」再開

2017年09月19日 | アート

代官山を通ったら、ヒルサイドテラスの上が材木だらけになっていました。

あれ?と思って間もなく、少し前に雑誌 Casa Brutusで見た記事を思い出しました。現代美術家 川俣正さんの「工事中」というインスタレーションで、9月24日まで開催されているそうです。

実はこのインスタレーション、33年前の1984年にもヒルサイドテラスで開催されたそうですが、その時はテナントからの理解が得られず、1週間で撤去することになったそうです。ほんとうに工事中だと思われて、お客さんが来ないと困ると心配されたとか。そういえば、当時はこうした大掛かりなアートは、まだ珍しかったかもしれません。

代官山もヒルサイドテラスはあったものの、他にはまだお店はほとんどなく、商業地というよりは閑静な住宅街だった記憶があります。今は旧山手通りや八幡通りのみならず、裏道にもお店がたくさんできて、ずいぶん賑やかになりました。

もう少しよく見てみようと、角の歩道橋に上ってみました。知らないと、ただ雑然と材木を重ねているようにも見え、道行く人もあまり気に留めていないようでしたが...。この歩道橋が今年いっぱいで撤去されることになり、33年ぶりにこのインスタレーションが再開されたということです。

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ついでに寄ったインテリアショップのunicoさんで、秋らしい箸置きを見つけました。

最近は有田焼や波佐見焼、砥部焼など、伝統的な焼き物が、今の生活に合わせたモダンな食器を出していますが、この箸置きも、なんと沖縄の焼き物”やちむん”なんです。シンプルですが温かい風合いがあって、ひと目で気に入りました。

ちなみにこちらは、やちむんの伝統柄の大皿。6年前に沖縄で買い求めました。素朴で優しい風合いがあって、こちらも気に入っています。


ジャコメッティ展

2017年07月20日 | アート

国立新美術館で開催中の「国立新美術館開館10周年 ジャコメッティ展」(~9月4日まで)を見に行きました。

スイスで生まれ、パリで活躍した20世紀を代表する彫刻家、アルベルト・ジャコメッティ(1901 - 1966年)。針金のように細い人物の彫刻の印象が強いですが、本展を見て、アーティストとしての出発点は絵画であったこと、彫刻作品においてもさまざまな変遷があったことを知りました。

本展は日本で11年ぶりに開催される回顧展。フランスのマーグ財団美術館のコレクションを中心に、初期から晩年までの作品132点(うち彫刻約50点)が展示されています。ギャラリーは広々として混雑なく、じっくり鑑賞できました。

女=スプーン 1926/27年

初期の頃の彫刻作品は、意外にも立体感、重量感があり驚きました。パリに出てきた頃のジャコメッティは、キュビズムやアフリカ、オセアニアのプリミティブ・アートの影響を受けたそうです。上はアフリカのダン族の女性を模したスプーンから着想を得た作品。丸くえぐれた女性の体は子宮を表しているように感じました。

鼻 1947年

30年代、ダリやブルトンらと交流し、一時的にシュルレアリスムの影響を受けました。枠は檻、頭は頭蓋骨を表しているのでしょうか。横からのシルエットは銃のようにも感じられました。”死”を連想させる作品です。

小像 1946(1980)年

シュルレアリスムと決別してからは、作品はどんどん小さくなり、しまいにはマッチ箱に入るほどのミニミニサイズの彫刻になりました。イコンのようにも感じられ、以前、東京都庭園美術館で見た内藤礼さんの小さな人形のインスタレーションを思い出しました。

3人の男のグループI(3人の歩く男たちI) 1948/49年

小像時代のあとは、反動するかのように1mを越える細長い女性立像を作る時代が続き、次に訪れたのは”群像”の時代です。3人、7人、9人...とありましたが、それぞれの人物には個性がなく、ピクトグラムのような印象を受けました。

ディエゴの胸像 1954年

共同でアトリエも構えた、弟ディエゴの胸像。弟といういことで特別の思い入れがあったのでしょうか。めずらしくモデルの個性を感じさせる作品でした。

犬 1951年

人物をモデルにした作品が続く中、「犬」と「猫」が目を引きました。どちらも骨組だけでそれぞれの特徴をとらえているのがおもしろい。エジプトの壁画にある象形文字を思い出しました。

圧巻だったのは、「ヴェネツィアの女」全9体。1956年、ヴェネツィア・ビエンナーレのために制作された作品で、ボウリングのピンのように3角形に配置され、大迫力でした。モデルは妻のアネットだそうです。

(手前) 頭部 1959年 (奥) 女性立像 1959年

チェース・マンハッタン銀行のプロジェクトから。3つの大型作品が展示され、ここだけ撮影可能でした。銀行前の広場のモニュメントとして制作依頼され、当初は針金の骨組に石膏をつけて削り取るという方法で作られましたが、できあがりに満足できず断念。広場への設置は実現しませんでしたが、その後ブロンズで鋳造され、数々の賞を受賞しました。

歩く男 1959年

ポスターにも使われているこの作品は、新たな一歩を踏み出そうとする、人間の勇気と力強さが感じられ、特に心に残りました。


世界報道写真展2017 

2017年06月28日 | アート

東京都写真美術館で8月6日まで開催中の「世界報道写真展2017」を見に行きました。この後、大阪・広島・埼玉・滋賀・京都・大分に巡回します。(スケジュールはコチラ)

オランダで毎年開かれる「世界報道写真コンテスト」で選ばれた、8部門45人の受賞作品が展示されています。今年も戦闘地域や難民の現状をはじめ、過酷な作品が数多くありましたが、ここでは比較的刺激の少ない作品からいくつかご紹介させていただきますね。

ポスターの写真は、自然の部・単写真1位に選ばれた、スペインのフランシス・ペレス氏の作品。カナリア諸島テネリフェ島沿岸で、漁網に絡まり泳げずにいるウミガメをとらえています。アカウミガメは国際自然保護連合から絶滅危惧II類に指定されていますが、放置された漁具による死が頻発しているそうです。

大賞を受賞したのは、トルコ・AP通信のブルハン・オズビリジ氏による組写真です。2016年12月19日、トルコ・アンカラの美術館で起こった駐トルコ・ロシア大使暗殺事件の瞬間をとらえています。犯人(トルコ人警察官)は「アレッポを忘れるな。シリアを忘れるな。」と叫び、駆けつけた特殊部隊によって射殺されました。

人々の部・単写真1位に選ばれたスウェーデンのマグナス・ウェンマン氏の作品。イラク北部デバガ難民キャンプで母親に慰められる少女マハ(5歳)の悲しみの表情をとらえています。ISによって故郷の街が制圧されて薬と食料が残りわずかとなり、マハたち市民は1週間前にこのキャンプにやってきました。

 

現代社会の問題の部・単写真1位に選ばれたアメリカ・ロイターのジョナサン・バックマン氏の作品です。この写真はSNSで何度も見て、私も強く心に残っていました。

2016年7月5日、バトンルージュで白人警官が至近距離から黒人のアルトン少年を射殺する事件が発生。度重なる警察官による黒人射殺事件に抗議して、警察官たちを前に静かに歩み寄る黒人女性イエシア・エバンスの毅然とした姿をとらえています。

日常生活の部・単写真2位に選ばれた中国の王鉄軍氏の作品。中国・徐州の体操学校で、つま先の圧力のトレーニングを行う少女たちの姿をとらえています。中国には2000を超える体育学校がありますが、そこでは過酷な訓練が行われています。

人々の部・単写真3位に選ばれたロシアのクリスティーナ・コミリツィーナ氏の作品。2016年11月25日、キューバ元国家元首フィデル・カストロ氏が永眠しました。写真はキューバ中部カマグエイの警察署にて。全国を巡回していた氏の葬列がちょうどカマグエイを出たところを、テレビで見守る母娘の姿をとらえています。

例年にならって、最後に気持ちが明るくなる写真を。スポーツの部・単写真3位に選ばれた、ドイツ・ロイターのカイ・オリバー・プファッヘンバッハ氏の作品です。

ブラジルで開催されたリオデジャネイロ夏季オリンピックで、100m準決勝で勝利し、ふり返りながら笑顔を見せるウサイン・ボルト氏の姿をとらえています。ボルト氏は100mおよび200m競技において、オリンピック3大会連続金メダルを受賞しました。

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今年の受賞作品はこちらのサイトで見ることができます。
WORLD PRESS PHOTO 2017

他の年の感想はこちら。
世界報道写真展2019
世界報道写真展2018
世界報道写真展2011-2016


ソール・ライター展

2017年06月15日 | アート

渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで開催している「ニューヨークが生んだ伝説 写真家 ソール・ライター展」(~6月25日まで)を見に行きました。

足跡 1950年頃

1月にBunkamuraに「マリメッコ展」を見に行った時に、上のポスターにひと目惚れし、楽しみにしていた写真展です。本展は、ニューヨークで活躍した伝説の写真家ソール・ライターの日本初となる回顧展。写真、絵画、資料など、200点以上が展示されています。

映画「Beyond the Fringe」のキャスト(ダドリー・ムーア、ピーター・クック、アラン・ベネット、ジョナサン・ミラー)とモデル「Esquire」  1962年頃

1923年、ピッツバーグでユダヤ教の聖職者の息子として生まれたソール・ライターは、神学生として学ぶも、画家を志してニューヨークに移住。その後、写真と出会い、1950年代に Harper's BAZAAR、ELLE、VOGUEなどのファッション誌で、カメラマンとして活躍しました。

床屋 1956年

しかし徐々に仕事が減少し、1981年にスタジオを閉鎖。表舞台から姿を消します。その後しばらく忘れられた存在でしたが、2006年、ドイツのシュタイデル社から写真集「Early Colors」を発表。その後、展覧会、作品集、ドキュメンタリー映画も作られ、再び脚光を浴びるようになりました。

雪 1960年

ファッション・カメラマン時代のモードな写真は、50年代のエレガントなファッションに身を包んだモデルがニューヨークの街角に佇み、洗練された美しさにうっとりしました。ケイト・ブランシェット主演の「キャロル」の映像も、ソール・ライターの作品にインスパイアされたと知り、納得しました。

郵便配達 1952年

1990年代に入って発表された作品は、ライターが50年代に撮影したものです。当時、カラー写真の現像は難しく、お金もかかったため、ライターは撮影した写真をフィルムのまま、現像せずに残していたのです。数十年の時を越えて、それらの写真が現像され、初めて披露された時は、まさに”歴史的瞬間”だったそうです。

ライターの作品は、アンバランスな独特の構図、ガラスに反射した像、雨に滲んだガラスの向こうの風景など、日常のひとコマをそのまま切り取った情景が実に魅力的。ポスターの写真は、ひと目見て、広重の浮世絵を思い出しましたが、ナビ派からも影響を受け「ニューヨークのナビ派」とよばれているそうです。

【参考記事】オルセーのナビ派展 @三菱一号館美術館 (2017-03-10)

自宅のあるイーストヴィレッジ周辺で、名もなき街角や市民の日常を、独自の視点で捉えたライターの作品。ニューヨークの街の息遣い、詩情と物語が感じられて、私はとても気に入りました。傘が好きなライター、雨や雪の情景が印象的でした。


ミュシャ展

2017年05月02日 | アート

国立新美術館で開催中の「ミュシャ展」(~6月5日まで)を見に行きました。

アルフォンス・ミュシャは、チェコで生まれ、パリで活躍したアールヌーヴォーを代表する画家。女性を描いた優美なポスターや装飾画で人気を博しましたが、彼はその後、思うところあって50歳の時に故郷チェコに帰国し、16年の歳月をかけて、チェコとスラヴ民族の歴史を題材にした渾身の大作「スラヴ叙事詩」を仕上げました。

これまでの作風とは全く異なる、縦6m×横8mもの巨大なキャンバスに描かれた20点の油彩画からなる大作。しかしその作品は時代遅れとみなされて受け入れられず、ほとんど人の目に触れられぬまま、幻の傑作となりました。本展では、その「スラヴ叙事詩」をチェコ国外で初めて、全20点をまとめて公開しています。

当初ひとりで行くつもりでしたが、めずらしく息子が見たいというので、日程をあわせて朝一番に出かけてきました。混雑を覚悟していましたが、展示室は広々とスペースが取られていて、じっくり鑑賞することができてよかった。壮大なスケールと世界観に圧倒され、気がつけば3時間も会場にいました。

原故郷のスラヴ民族 (1912)

スラヴ式典礼の導入 (1912)

ベツレヘム礼拝堂で説教をするヤン・フス師 (1916)

ヴォドニャヌイ近郊のペトル・ヘルチツキー (1918)

チェコとスラヴ民族の歴史にはまったく疎いですが、会場では各作品にていねいな説明がついていて理解を深めることができました。興味のある方は、公式サイトのこちらの解説をご覧になってみてください。

ミュシャ展 「スラヴ叙事詩」作品紹介

周辺諸国から常に侵略、支配の危機にさらされながら、文化と信仰の自由を求めて戦ってきたスラヴ民族たちが力強く描かれていますが、その表現には神話やファンタジーを思わせるものもあり、色彩の美しさに目を奪われました。一部の展示室は撮影可能となっていました。

イヴァンチツェの兄弟団学校 (1914)

スラヴ菩提樹の下でおこなわれるオムラジナ会の誓い (1926)

スラヴ民族の賛歌 (1926)

「スラヴ叙事詩」に続いて、アールヌーヴォー時代の代表作はじめ、パリ万博やプラハ市民会館のための作品約80点が展示されていました。

四つの花 「カーネーション」「ユリ」「バラ」「アイリス」 (1897年)

ミュシャというとやはりこのイメージですね。大作に圧倒された後で、ほっと人心地つきました。


オルセーのナビ派展

2017年03月10日 | アート

丸の内の三菱一号館美術館で開催中の「オルセーのナビ派展:美の預言者たち―ささやきとざわめき」(~5月21日まで)を見に行きました。

こちらの美術館では毎月第2水曜日の17時以降、女性は1000円で入場できます。開館時間も20時までとなっていて、女性にかぎらず男性の姿もありました。夜の美術館はほのかにライトアップされ、いつもとひと味違うしっとりとした雰囲気でした。

ナビ派は19世紀末のパリで、ゴーギャンから影響を受けて結成された前衛的な芸術家集団です。ナビとはヘブライ語で預言者という意味。彼らは自らを”美の預言者”と称しました。代表的な作家は、ボナール、ヴュイヤール、ドニ、セリュジェ、ヴァロットンなど。本展は、オルセー美術館のナビ派コレクションから約80点を紹介する、国内初の展覧会です。

ポール・セリュジエ「タリスマン(護符)、愛の森を流れるアヴェン川」 1888年

ナビ派結成のきっかけとなった作品。ブルターニュを訪れたセリュジエが、ゴーギャンに教わって描いた風景画は、単純化した形、大胆な色彩とまるで抽象絵画のようでした。パリにもどったセリュジエがアカデミーの仲間たちにこの教えを伝え、共鳴した画家たちによってナビ派が結成されました。

   

ピエール・ボナール「庭の女性たち」(左から)白い水玉模様の服を着た女性、
猫と座る女性、ショルダー・ケープを着た女性、格子柄の服を着た女性  1890-91年

ナビ派は日本文化の影響も多大に受けています。この作品は掛け軸のように細長いキャンパスを使い、春・夏・秋・冬を表した連作となっています。構図や女性たちのポーズ、植物のあしらいに、浮世絵の影響が見て取れます。私事ですが、私もボナールのTable Set in a Gardenという絵が好きで、家に飾っているんですよ。

アリスティード・マイヨール「女性の横顔」 1896年

これもすてきな作品。柔らかい色彩が好みです。どことなく(昔流行った)カシニョールの絵を思い出しました。彫刻家として知られるマイヨールですが、もとは画家として活動していたそうです。

フェリックス・ヴァロットン「ボール」

赤いボールを追いかけている少女をとらえた作品。背後に広がる影、遠く離れたところにいる母親たち。少女が駆けだしていった先は、見知らぬ世界とつながっていて...ジブリのようなストーリーがふと浮かびました。

エデュアール・ヴュイヤール「ベッドにて」 1891年

これも心惹かれる作品。抑えた色調とデザイン性に魅せられますが、十字架の一部や白いベッドリネンなど、信仰上のメッセージも感じ取れます。

モーリス・ドニ「ミューズたち」 1893年

9人のミューズたちに加え、中央奥にうっすらともうひとりのミューズが見えます。

装飾画として人気を博したというナビ派の作品は、個人の邸宅を思わせるクラシックな美術館のギャラリーに、まるであつらえたようにマッチしてすてきでした。贅沢で心豊かなひと時でした。