裏磐梯・会津若松旅行の続きです。
2日目は会津若松を観光し、あまり遅くならないうちに東京にもどることにしました。従業員の方たちに見送られながらお宿を後にし、最初に向かったのは 會津藩校 日新館 です。
会津若松では行く先々で、会津藩、白虎隊、そして大河ドラマ「八重の桜」のモデルになった (同志社を創設した新島襄の妻) 新島八重 を抜きにして会津を語れないことを実感しました。
日新館は人材育成を目的に1803年に建設された会津藩の最高学府で、白虎隊のほか、後世に残る逸材を輩出しました。藩士の子弟は10歳で入学して学問や武道に励み、心身の鍛錬に努めました。
実際の日新館は戊辰戦争で焼失しましたが、1987年に会津の精神文化を後世に伝えようと、完全復元されました。約8000坪の敷地に武道場や天文台、日本最古のプールといわれる水練場などがあります。
戟門 (げきもん)。戟という武器をもった衛兵に監視させたことから戟門とよばれたそうです。またここで太鼓を打ち鳴らして時を知らせていたそうです。
正面に見えるのは孔子像を祀る大成殿、その右に見えるのは大学 (講釈所) です。素読所を修了した生徒のうち成績優秀者だけが大学への入学が認められました。
東塾。この反対側に西塾があり、あわせて素読所といいました。10歳で入学すると生徒は素読所に入り、論語を中心とする漢文の読み方を勉強しました。
水練場。日本で初めて作られたプールといわれています。生徒たちは甲冑をつけ、向井流という泳法を学びました。
高台となっている天文台の上から、日新館の全景が見えました。
日新館では、会津藩の教育制度のほか、戊辰戦争や白虎隊に関する展示がありました。こうした悲劇を教訓にせず、第2次世界大戦でも学徒出陣や特攻隊で若い命を死に追いやったことにやり切れない思いを抱きます。彼らの悲劇を美談にしてはいけないと強く思いました。
天文台から見る雄大な会津磐梯山
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この後は、会津若松の町を一望できる飯盛山 (いいもりやま) を訪れました。
飯盛山には、白虎隊十九士の墓と白虎隊自刃の地、また珍しい木造建築で知られる さざえ堂 があります。ふもとから長い石段を上りますが、有料のエスカレーターも併設されています。石段の途中から横道を抜けて、さざえ堂に向かいました。
さざえ堂 (旧正宗寺・円通三匝堂)
一見何の変哲もない古いお堂に見えますが、六角形三層の建物の中は、上りと下りが別々の螺旋形の階段となっています。灯台などにはよく見られる作りですが、木造建築としては日本唯一、世界でも例を見ない珍しい建築だそうです。
上りの通路。
上までのぼったら、今度は下りの通路です。1796年に郁堂和尚が考案したというこのお堂。今は観光名所になっていると知ったら、和尚さんも喜んでいるかもしれません。