goo blog サービス終了のお知らせ 

セレンディピティ ダイアリー

映画とアートの感想、食のあれこれ、旅とおでかけ。お探しの記事は、上の検索窓か、カテゴリーの各INDEXをご利用ください。

落語「百川」の舞台を歩く

2017年08月04日 | おでかけ

友人の誘いで、庭のホテルで開催された、江戸まち歩きのイベントに参加しました。

古典落語ゆかりの地を歩く

庭のホテルは、水道橋駅にほど近いこじんまりとしたおしゃれなホテル。こちらでは、江戸の文化や歴史の足跡が残るこの地域ならではのイベントが、折に触れ企画されているようです。

今回は、落語「百川」を鑑賞したあと、松花堂弁当のランチをいただき、ガイドさんの案内で「百川」の舞台となった日本橋まで歩くというもの。古地図片手に、ふだんなら見過ごしてしまいそうな江戸の面影に触れ、しばしのタイムトラベルを楽しみました。

***

落語を生で聞いたのは久しぶりですが、今回は観客が20人。息遣いや一瞬の”間”まで感じとれる貴重な体験でした。落語を聞かせてくださったのは、志ん朝さんの最後のお弟子という古今亭志ん陽さん。にこにこと柔らかなお人柄ながら、いざ落語が始まると緩急のテンポとリズムが心地よく、名人の話芸に酔いしれました。

演目は、古典落語の「百川」(ももかわ)。百川はかつて日本橋浮世小路にあった高級料亭で、1854年、日米和親条約締結の交渉が行われました。黒船艦隊への饗応料理は総額1億5000万円に上ったそうです。百川はもとは(長崎発祥の)卓袱料理屋だったそうで、そのためかこの日のお弁当にも九州由来のお料理が何品かありました。

お話は、百川の奉公人として雇われた百兵衛さんが、ひょんなことから着いたその日にお座敷の対応をすることになり、そのお国訛りゆえに、お客との間に勘違いが起こる騒動を描いたもの。百兵衛さんのとぼけたキャラクターと、ちぐはぐなやりとりに大笑いしました。

***

まち歩きは、神田ご出身で地域活動に従事されている立山西平さんがガイドを務めてくださいました。志ん陽さんと立山さんのトークのあと、庭のホテルのある三崎町から南下して、神保町~神田~室町~日本橋と歩きました。

百川は明治元年に廃業してしまいましたが、百川があった浮世小路(うきよしょうじ)は、今のコレド室町とその隣の日本橋室町野村ビル(YUITO)の間に今も残っています。その奥は小さな広場となっていて、ビルに囲まれるように(再興された)福徳神社が鎮座しています。かつて百川を訪れた客たちも、まずはここに参詣したそうです。

ちなみに小路を”しょうじ”と読むのは、当時この地に屋敷のあった喜多村家の出自である加賀の読み方だそうです。この辺りはよく訪れますが、今まで何気なく見ていた風景に新しい色彩が加わって、新鮮な感動を覚えました。


ブルーベリー狩り 2017

2017年08月03日 | おでかけ

今年も練馬区の観光農園にブルーベリー狩りに行きました。7月に入ってから猛暑日が続き、なかなか行く気になれなかったのですが、この日は朝からすごしやすい陽気でした。午後の予約を入れて、途中でお昼をいただくことにしました。

家族の希望でインドカリーを食べることになりましたが、あまり土地勘がないこともあって、荻窪ルミネの新宿中村屋さんへ。私は”彩り野菜とチキンのココナッツカリー”をいただきました。夏野菜たっぷり、スパイスの複雑な味わいでおいしかった♪

今年も「ファーム大泉学園」(練馬区大泉学園3-17-72 phone:090-6115-9168)さんにお世話になりました。7年前から毎年違う観光農園にブルーベリー狩りに行きましたが、こちらは2年前に初めて訪れて以来、この時期になるとDMを送ってくださるのです。こういう心配り、うれしいですよね。

今年は豊作か、はたまた訪れたのが早かったのか、例年に増して大粒のブルーベリーがいっぱいあって興奮しました。小さなバケツを受け取って、たわわに実ったブルーベリーを、端からどんどん摘んでいきます。

この日は朝は晴れていましたが、午後から雲が広がって、農園に着いた頃にはひと雨来そうな気配でした。途中でカミナリがごろごろ鳴り始めたので、お互いに口もきかずに大慌てで摘みました。

やがて雨がバラバラと降り出したので、ブルーベリー摘みはこれにて終了。それでも3人がかりで摘んで、過去最高の4.1kg!になりました。持ってきたプラスティックコンテナに入りきれなくて、残りはビニール袋に入れてもらいました。

すぐに食べる分は冷蔵庫に、残りは冷凍庫に保存します。来年の春くらいまでもつかな? 早速、チアシードとはちみつといっしょに、ヨーグルトに入れていただきました。

【関連サイト】ブルーベリー観光農園(練馬区公式サイト)
【関連記事】ブルーベリー狩り 2016


京急油壷マリンパーク

2017年07月24日 | おでかけ

三連休の最終日、数十年ぶりに京急油壷マリンパークを訪れました。子どもの頃に行って以来で、すっかり記憶の彼方にありましたが、最近SNSで度々目にすることがあって気になっていたのです。ちょうどこの日の朝、公式アカウントの3割引クーポンを受取ったので、思い立ってでかけてみることにしました。

場所は三浦半島の南端、三崎港や城ケ島の近くです。都内から横浜横須賀道路・三浦縦貫道路を経由して、行きは渋滞で2時間近くかかりましたが、帰りは1時間ちょっとでもどってこれました。素朴な海と緑豊かな三浦の自然にほっとする、気持ちのよいドライヴになりました。

来年開園50周年を迎えるという油壷マリンパーク。レトロといっていい水族館ですが、とにかくたくさんのお客様でにぎわっていてびっくりしました。近くに八景島シーパラダイスや、新江ノ島水族館という強豪があるのに、なかなかの健闘ぶりです。その人気の秘密はハードの老朽化をカバーする、ソフト面での努力にあると訪れてみて感じました。

まずは一番目当てのペンギン島へ。日本の水族館はフンボルトペンギンが多いですが、ここにはめずらしいキタイワトビペンギンがいるのです。最初の9羽から繁殖に成功し、今は約40羽もいるそうです。目の上の黄色い羽飾りが個性的でかっこいい♪ 羽毛がまだらに残った子どもペンギンもかわいかったです。

さすがの暑さで、よしずの陰に隠れているペンギンが多かったですが、元気に泳ぐ活発なペンギンたちの姿を見ることができてよかったです。間にガラスがなく、間近で観察できました。

屋内大海洋劇場ファンタジアムでは、ミュージカル仕立てのイルカとアシカのショーを見ました。日本の昔話を取り入れた子ども向けのストーリーながら、脚本がうまく練られていてラストのオチもあり、感心しました。もちろん、息のぴったりあったイルカのパフォーマンスもすばらしかったです。

お話の進行役を務めるのは、ペンギンの着ぐるみをきたペン太郎。どことなく野球のヤクルトのマスコット、つば九郎に似ています。立ち見が出るほどの盛況で、子どもたちも大興奮でした。

DJアシカが登場♪ ピアノを上手に弾くアシカくんもいました。算数の得意なアシカくんは、最後の問題はどうやって答えがわかったのか...う~ん、不思議です。

展望台から鎌倉方面の眺め。この日は薄曇りでしたが、お天気がいいと富士山や伊豆諸島も見えるそうです。

水槽は、特にサメのコレクションがマニアの間で定評があるようです。沖縄の美ら海水族館から出張?異動?してきている魚たちもいました。上は美しいミノカサゴ。回遊水槽も大迫力でした。

かわうその森では、ビオトープが再現されているほか、泳いだり遊んだりするカワウソたちの姿をつぶさに観察することができました。動きや表情がかわいくて、いつまで見ていても飽きません。写真もたくさん撮っちゃいました。

じゃれ合うあずきちゃんと、あられちゃん(どちらもメス)。

予約制で、イルカやペンギンはじめ動物たちとのふれあい体験など、いろいろなプログラムが用意されているようです。詳細は公式サイトをチェックしてみてください。

 


根岸子規庵と、恐れ入谷の鬼子母神

2017年05月21日 | おでかけ

レストラン香味屋さんで食事をした後は、以前から訪れたいと思っていた根岸の子規庵に足を運んでみました。香味屋さんから下町情緒あふれる住宅街を通って歩いて10分ほどのところにあります。

ここは、明治の俳人・正岡子規が、上京してから住んでいた場所です。もとは旧前田候の下屋敷の御家人用二軒長屋で、子規はのちに故郷松山から母と妹も呼び寄せました。子規はここで句会歌会を開き、高浜虚子や夏目漱石をはじめ、多くの友人、師弟が訪れました。

子規が結核で亡くなった後は、家族や師弟たちがこの家を守っていましたが、昭和20年の空襲で焼失し、のちに門下生たちによって復元されました。周囲の様子はすっかり変わってしまいましたが、ここだけは子規がいた頃の明治の面影がそのまま残っています。

以前、司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」がきっかけで、子規の人生を追いかけていた時期がありました。ドラマ(のセット)で見る子規庵は、弟子たちがずらりと勢揃いする広いお座敷だったので、思ったよりこじんまりとしていて驚きました。

でも四季折々の花が咲く風流なお庭は想像した通り。好奇心旺盛で海外にも興味があった子規ですが、病に伏してからはここから見る風景が子規にとっての全世界でした。そして病に苦しみながらも亡くなる直前まで創作意欲が衰えることなく、情熱をもって作品を作り続けました。

これは子規が愛用していた座机の復元です。根岸の指物師に作らせたもので、曲がって伸びなくなった左足のために、立膝を入れられるくぼみがついています。

【関連記事】
坂の上の雲 (2012-03-10)
坂の上の雲ミュージアム (2012-04-02)
横須賀美術館「正岡子規と美術」展 (2012-04-15)
伊集院静「ノボさん 小説正岡子規と夏目漱石」(2014-06-26)

***

ところで、江戸言葉の「恐れいりやした(=恐れ入りました)」をよく「恐れ入谷の鬼子母神」といいますが、鬼子母神といえば雑司ヶ谷なので、どうして入谷の鬼子母神というのか不思議に思っていました。行きの電車の中でふとググってみたところ、入谷にも鬼子母神があり、それが語源となっていると知りました。(Wiktionary)

子規庵のあと、入谷駅にもどりがてら入谷鬼子母神(真源寺)によってみました。途中、お豆腐懐石で有名な「笹乃雪」さんの前を通ります。

見たところ新しいお寺ですが、創建1659年と歴史があり、安産・子育の守り神として知られています。下谷七福神のひとつで、毎年7月にはここで入谷朝顔市が開かれるそうです。

入谷駅近くから正面にスカイツリーが見えました。この道をまっすぐ行くと浅草です。


浜離宮恩賜公園

2017年04月21日 | おでかけ

築地でお寿司を楽しんだ後、歩いてすぐのところにある浜離宮恩賜公園を散策しました。 

汐留のビル群やウォーターフロントを借景にして、四季折々の花々や樹齢300年の黒松、鴨場、御茶屋、潮入りの池などを見て回れる、江戸時代の回遊式庭園です。甲府藩の下屋敷、徳川将軍家の別邸を経て、明治維新後は皇室の離宮となり、戦後から東京都の公園として一般公開されています。

ここを訪れるのは20年ぶりですが、前回は浅草から水上バスに乗って、ここに渡ってきたのでした。東京とは思えないトリップ感に、わくわくしたことを思い出します。今も水上バス発着場のほか、その昔、15代将軍徳川慶喜が鳥羽・伏見の戦いの果てにお忍びで降り立ったという船着き場があり、歴史の一幕に思いを馳せました。

潮入りの池は、都内唯一の海水の池。東京湾から海水を引き入れ、潮の干満による眺めの変化を楽しめるようになっています。ソメイヨシノは終わってしまいましたが、池の周りに、さまざまな種類の桜が植えられていて、遅咲きの桜を愛でることができました。

一葉(イチヨウ)。淡いピンクが愛らしく、八重の花がバラのような華やかさでした。

淡いグリーンが目を引く鬱金(ウコン)桜。この隣に、よく似た御衣黄(ギョイコウ)という緑の桜もありました。

名まえわからず。調べてみると、笹部桜(ササベザクラ)かと思われますが...。すっきりとした白い花弁がさわやかでした。

そして、一番の注目を集めていたのがこちらの桜。名まえがわからないので、ポンポン桜と呼んでいました。かわいい、かわいいと大人気でした。^^

お花畑には菜の花が。そろそろ花が終わりかけでしたが、きれいでした。ビルの背景とのギャップがまた楽しい。こちらの隣にボタン園があり、これから花を咲かせるところでした。

枝をのびのびと伸ばす大きな木を見ると、おおらかな気持ちになってきます。


目黒川の花筏

2017年04月14日 | おでかけ

しばらく目を楽しませてくれた桜もいよいよ満開を過ぎて、小さな葉っぱが芽吹いてきました。家の近くの桜並木は、風が吹くたびにものすごい花吹雪。春風に乗って舞う花びらの美しさに目を細めながら、一抹の寂しさも感じています。あと1、2週間もしたら、すっかり葉桜になっているのでしょうね。

そんな中、目黒川に名残の桜を見に行きました。満開まではものすごい人出に気おされて、通りがかりに横目でちらりと見るに留めていましたが、週末が開けてからいつもの静けさがもどってきました。何度かの雨でだいぶ散ったかと思いきや、まだまだ美しい姿に感激しました。桜はやはり、青空の下で見るのが一番ですね。

ふっくらとした花びらが愛らしい。

清掃工場の前は道の両側に桜の木があって、みごとな桜のトンネルになっています。自転車で駆け抜けるのが気持ちよさそう!

青空の下、元気よく咲く桜。

この時期は、花筏(はないかだ)を見るのも楽しみです。目黒通りと駒沢通りの間を歩きましたが、このあたりは川下に近く流れがほとんどないので、ひらひらと舞う桜の花びらが、そのまま川にとどまって、美しいマーブル模様を描いています。

その様子は星くずの夜空を思わせ、まるで天の川のようでした。

桜吹雪に花筏。まだしばらく桜の余韻を楽しみたいです。


世田谷 砧公園の桜

2017年04月11日 | おでかけ

雨上がりの午後、世田谷区の砧公園に桜を見に行ってきました。

桜の季節にここを訪れるのは久しぶりです。満開の桜を迎えて、園内はたくさんのお花見の人でにぎわっていましたが、それ以上に公園が広大なので、あまり混雑を感じることなくゆったりと散策できました。

前回ここで桜を見たのは、かれこれ20年以上前。グリーンの芝生にピンクの桜が映えて、それはそれは美しかったと心に残っています。その頃に比べて、木がだいぶ大きくなったような気がします。さえぎるものなく、のびのびと枝を伸ばし、豊かに広がった木陰が人々に憩いの場所を提供しています。

ここはその昔、ゴルフ場だったということもあり、ゆるやかな起伏があって、歩き進むごとに変化に富んだ風景が広がるのが楽しい。あいにくの曇り空でしたが、美しい花の下、なごやかな笑い声が聞こえる平和なひと時でした。

園内には桜のほかに、こんなすてきな花も咲いていました。

紅白咲き分けのハナモモで、ゲンペイモモ(源平桃)という名まえがついていました。ひとつの幹から、赤い花、白い花、ピンクの花、紅白絞りの入った花とあって、とてもにぎやか。愛らしい姿に気持ちが華やぎました。


横浜 三渓園の梅

2017年02月13日 | おでかけ

熱海に梅を見に行こうと家を出たら、渋滞で3時間近くかかりそうだったので、急遽、行先を横浜本牧の三渓園に変更しました。三渓園は子どもの頃、写生などでよく訪れた懐かしい場所。駐車場がすでにいっぱいだったので、裏手の横浜市民公園の駐車場に停めて、南門から入りました。

横浜の姉妹都市・上海から贈られた緑萼梅(りょくがくばい)がお出迎え。

三渓園は、生糸貿易で財を成した横浜の実業家、原富太郎(原三渓)が開いた広大な日本庭園です。本宅の鶴翔閣(かくしょうかく)のほか、京都などから移築した17棟の歴史的建造物が点在し、四季折々の花々が楽しめます。梅はまだ3分咲きほどでしたが、楚々とした花々が冬枯れの景色に春霞のような彩りを添えていました。

可憐な花々にうっとり。

三渓園のランドマークである三重塔は、京都・木津川市の燈明寺(とうみょうじ)から移築された室町時代の建造物。関東最古の木造の塔だそうです。

この日は寒い一日でしたが、目の覚めるような青空でした。

庭園の奥に建つ旧矢箆原家(やのはらけ)住宅。江戸時代後期の白川郷の合掌造りの民家を移築したもので、中も見学できました。重厚な床や柱、いろりや衣装箱、箪笥など、昔の豪農の暮らしぶりを興味深く見ました。大きな味噌樽や、でんぷんを沈殿させる桶?など昔の台所道具を見るのも楽しかったです。

大池に浮かぶ小舟と梅。絵になる風景です。本宅の鶴翔閣は今は結婚式場となっていて、この日も庭園で何組か撮影をしていました。

庭園の一部は、三渓が私庭として使っていた内苑というエリアで、古建築から構成されるみごとな空間が広がっていました。

内苑の中心をなす臨春閣(りんしゅんかく)は、和歌山の紀州徳川家の別邸を移築したもの。数寄屋風書院造で、内部には狩野派の絵師による障壁画があるそうです。

寒い中を3時間も歩いていたので、体がすっかり冷えて、翌日風邪をひいてしまいましたが、古い記憶を手繰りよせながら、楽しく散策できました。これから梅を見に行かれる方は、体を温かくしてお出かけくださいね。