Sera の本棚

感動した本のことや映画を見たり、コンサートへ行ったりした感想、高槻の写真など記録できたらいいなあと思います。

ふるさと銀河線ー高田 郁作

2021-08-18 10:25:25 | 

高田郁作「ふるさと銀河線」、友達が推薦してくれたのですぐに図書館に予約を入れて読みました。短編9編が綴られています。どちらかというと私は長編の方が好きなのですが、この本は心に残るとても良いお話でした。短編は「えっ、これで終わり?」と歯がゆさを覚えることが多いのですが、この本は1作1作十分に情景も見えて感情も伝わって満足しました。電車内の風景、外の風景、電車にまつわるお話です。人は弱いなと思いましたが、弱いから少しずつ強くなっていくのだなとも思いました。北海道、新潟、大阪、京都、神戸、千葉、東京が舞台になっています。大阪の言葉「虫養い」を初めて聞きました。「ムシヤシナイ」カタカナで書くと意味が全然わかりません。本の中の説明では「軽うに何ぞ食べて、腹の虫を宥め(なだめ)とく、いう意味や」だそうです。

最後のお話は「幸せが遠すぎたら」で京都の嵐電が出てきます。「さよならだけが人生さ」と昔に聞いた言葉をずっと信じていました。それは暗く受け止めるのではなく、そう思うほうが気が楽になる気がしたからでした。そう思っていると出会いがとても嬉しく貴重になります。再会した時の感動も大きいです。井伏鱒二は「さよならだけが人生だ」と言い、寺山修司は「さよならだけの人生ならいらない」と言ったと書いてありました。反対語のようでもなぜか両方納得できます。説明は難しいなと思っていたら書いてありました。

「例えば、旅立つひとを送る時に、もう二度と会えないかもしれない場合と、これから先も再会できるだろう場合とでは、送りての覚悟も違ってくる。それに、勇気や希望に溢れたひとに対するのと、失意の中にあるひとに対するのと、はなむけの言葉は同じではないと思う。でも言葉は違えど、そのどちらもが相手への人生の応援歌なんだ、と僕は思ー」

私が知っていた言葉は井伏鱒二の言葉だったのですね。寺山修司の詩も掲載されていました。

  幸福が遠すぎたら

       寺山 修司

  さよならだけが
  人生ならば
   また来る春は何だろう
   はるかなはるかな地の果てに
   咲いてる野の百合何だろう

  さよならだけが
  人生ならば
   めぐりあう日は何だろう
   やさしいやさしい夕焼けと
   ふたりの愛は何だろう

  さよならだけが
  人生ならば
   建てたわが家は何だろう
   さみしいさみしい平原に
   ともす灯りは何だろう

  さよならだけが
  人生ならば
   人生なんか いりません

大雨警報中、この本の中であちらこちらを旅して沢山の人と出会いました。高田郁さんの本をもっと読みたくなりました。薦めてくれてありがとう。

2021―8―18 図書館資料 請求番号:B/ タカ


コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大雨にご注意 | トップ | 蜩の鳴き声2021 »
最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
さよならだけが人生であるはずがありません (aoyama)
2021-08-18 12:59:17
さよならだけが人生であるはずがありません。

だが、そういう状況にあると思ってしまう人もいるのかもしれません。

それでも明日に希望をもって生きるのがよいと私は勝手に思っています。

話はまったく違いますが、中学・高校での友人で演劇を趣味か職業にしている人がいます。職業はシナリオ・ライターです。

彼は生前の寺山修司と交流があって、寺山修司全集か著作集かが出たときに編者の一人となっていたかと思います。

彼は私の郷里の I 市では有名だったある外科医の長男でした。
返信する
お顔が広いですね。 (Sera)
2021-08-18 16:19:21
aoyamaさん、明日に希望を持って生きるのがいいですよね。

考え方一つだと思います。

寺山修司さんの編者のお1人の方がお友達なのですね。

ひょっとして白石征さんですか?違うかもわかりません。

寺山修司さんのことを調べていたら出てきました。

ハンサムな方です。

aoyamaさんはお顔が広いですね。

いつもありがとうございます。
返信する
そうです (aoyama)
2021-08-18 19:20:56
彼は若いときは相撲が好きで、中学校のころ夏休みにほぼ毎日くらい誘いに来て、通っていた中学校の校庭の片隅で二人でお相撲ごっこをしていました。

また彼は映画がとても好きでしたが、大学を出たころはちょっと映画は斜陽の時代になり、映画監督になる夢は捨てて、出版社をはじめたのですが、ある年齢になり、その出版社は誰かに譲り、シナリオライターになったのです。

そのころに寺山修司さんと知り合ったのでしょう。

いまは演劇の演出を手掛けていますが、元気なのかどうかわかりません。コロナ禍で高校の同窓会もここ3年ほど開けていないので。

もう80歳を越えたので、最後の同窓会をすると通知が来たまま、同窓会が開けなくなっています。
返信する
やはりそうでしたか❗ (Sera)
2021-08-18 19:46:16
aoyamaさん、相撲で体を鍛えられていたのですね✨

遊びながら心も体も鍛えられて言うことありません。

良い思い出ですね❣️

最近は映画がまた人気です。

日本人も世界に認められて嬉しいです。

同窓会が開かれればいいですね。

私の高校の同窓会も延期になり、今年の11月に

予定されてますが、この調子だとどうなるかわかりませんね。

早く新薬が出来たらいいですね。
返信する
寺山修司......。 (kiyasume)
2021-08-20 23:44:56
私は大の寺山修司フリークです。。。
彼の短歌とか詩集も持って居ますよ。

何と言っても劇団「天助桟敷」時代からの
ファンです。うちの母が確か昔、寺山修司の
官能小説が読売新聞に載って居ましたが、、

あれ読んで着いて行けないと言って居ましたが。
つい最近まで寺山修司の書籍は続々発行されて
居ましたが、今はとんとですよね・・・・・・。

「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの
祖国はありや」

祖国と言うアイデンテイテイを示す言葉を用いて、
それを意識しながら、それを疑念を呈する事で、
作者の孤独とある種のニヒリズムを、灯りの
見える波止場の風景のように、読み手の心を
浮かび上がらせる・・・・・。

この短歌はある俳句を下敷きにしたものだったけど、
当時の歌壇は寺山を認めなかったんですよね。
寺山は虚構を取り込む事により俳句なりをキュレー
ションして居たのだけども・・・・・・・。

当時の歌壇は寺山を許しませんでしたよね。
そうなんですよ。彼はコラージュしてキュレーション
して居たのだけども、当時の頭の硬い歌壇の人達は
それが分からなかった。

まあ、色々言われて居ましたよね。
寺山修司が好きな人達は何とも言わなかったけど、、

「さよならだけが人生だ・・・。」と言う詩の
一部は、、確か「浅川マキ」も使って居ましたよね。
懐かしいけど皆、過去の遺産でしょうかね、、

私は持病がある為に訪問看護師に来て貰って
居るのですが、、「寺山修司」も「浅川マキ」も
皆んな知りません。30代から40代でですよ???

酷い女の子なんか。私が「土方歳三」と言ったら
知らないんですよ、新撰組を知らなかった。そして、
司馬遼太郎の事も知らなかった・・・・・・。

最近の若い女性は、皆、パープリンなんでしょうかねぇ(笑)と言って笑う訳にも行きませんけど、、
ガッカリしましたよ・・・・・。

すみません💧つい書き込んで仕舞いました💦。
それでは、また来ます。。。。
返信する
お詳しいですね。 (Sera)
2021-08-21 12:53:50
kiyasumeさん、長いコメントをいただきありがとうございますm(_ _)m

本をたくさん読まれていますね。

私はこれから寺山修司さんの本を読もうと思っているところです。

情けないことに詩を深く鑑賞できません。

これから挑戦しようと思います。

同じ寺山修司さんでもいろんなジャンルがありそうですね。

少しずつ読み始めます。

ありがとうございますm(_ _)m
返信する

コメントを投稿

」カテゴリの最新記事