クラクフを後にしてオシフィエンチムへ行きました。先ずはお昼ご飯を頂きます。
野菜サラダです。
きのこスープです。パンが美味しかったです。
メインはチキンです。ジャガイモは毎食付いてきます。美味しいビールも一緒に・・・
アウシュヴィッツ強制収容所に到着しました。緑が一杯でとても気持ちがいいです。
アウシュヴィッツ第1強制収容所です。オシフェンチムのドイツ語名がアウシュヴィッツです。
第1強制収容所の門に「ARBEIT MACHT FREI」と書かれています。「働けば自由になる」はドイツ人作家の小説のタイトルだったのを、ナチス政権が強制収容所のスローガンに用いました。Bの文字が上下逆さに見えるのは作らされたユダヤ人のささやかな抵抗という見解もあるそうです。門だけ見ていると楽しそうな雰囲気がありますが、それが狙いだったようです。
アウシュヴィッツ強制収容所を案内して下さったのは中谷剛さんです。博物館公認ガイド試験の難関を突破した日本人唯一のアウシュヴィッツのガイドさんです。添乗員さんも仰っていました。「中谷さんにガイドして頂けるなんて私たちはとてもラッキーです。人気があり、お忙しいので」その通り!本当にラッキーでした。ゆっくりとお話されて強制的なところは一つもなく穏やかで、私たちに問いかけられます。もう15年もガイドされているそうです。写真のように鉄線がはりめぐらされ、220Vの電流が流れていたそうです。
沢山の建物が並んでいます。
こちらに収容されていたのです。外の景色は撮りましたが中は撮る気がしませんでした。
アウシュヴィッツ第2収容所フジェジンカ(ドイツ語名ビルケナウ)にも行きました。中谷剛さんがどういう経緯でガイドになられたのかとても気になったのでご本人に伺いました。すると「日本に帰れない事情があるんですよ。御堂筋に・・・」なんて仰いました。私が間髪をいれずに「それはおもてになったということですか?」と伺ったのですが「・・・」でした。面白いことを仰る方です。
こんな窓もない貨車に山盛りに乗せられて、降りた時はクタクタでまぶしくて目も開けられなかったそうです。とにかく想像を絶することが行われました。
こちらで働ける人とそうでない人を分けたそうです。「あなたたちのように何も悪いこともしていない普通の人が突然連れて来られ、ここで仕分けられ毒ガス室へ。」と私たちの魂に問いかけるように話されるのです。
緑の絨毯とタンポポや草花が咲いて、そんな過去があったなんて信じられないような景色です。帰国してからネットで中谷剛さんを検索してプロフィールを拝見したり執筆された本もわかりました。ネットに「良心の選択」というエッセイもありました。中谷さんは仰います。「日本に帰ったらこのことを若い方達に伝えてください。」何をどう伝えたらよいのかわかりませんが、「旅行はどうでした?」と聞かれたら中谷さんにガイドしていただいたアウシュヴェッツのことを話しています。私では伝えきれませんのでどうぞみなさま、ご興味を持たれたらぜひ中谷剛さんのガイドでアウシュヴィッツを訪れてください。プロフィールのページに中谷剛さんのメールアドレスが記載されています。
お別れの時に「こういう負の遺産から学ぶことは大変大切なことですが、残りの旅行は是非楽しんでください。」と仰ってくださいました。この旅で1番心に残る思い出です。
またバスでチェコのブルノへ向かいます。私たちが去った後アウシュヴィッツは嵐だったようです。本当にラッキー続きでした。
2014-4-22(火) 撮影
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