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10時と3時のいっぷく

零細建築設計事務所の日常とその周辺を、コーヒータイムに綴ります。

「降る雪や 明治は遠く なりにけり」

2008年01月23日 | 未分類
 今朝の山梨日日新聞と読売新聞山梨版に掲載されましたが、私が所蔵している「明治村通信」という博物館明治村で発行していた機関誌を、2010年に甲府駅北口に移転する「藤村記念館」に寄贈する事になりました。この「明治村通信」は昭和45年1月に創刊されて、以後平成7年8月、通巻300号をもって終刊となったもので、私は昭和53年1月=91号から購読を始めましたが、創刊号から90号までのバックナンバーも購入し、全巻所持しています。「明治村通信」の内容は、明治に関する建築はもとより、文学、美術等、明治の文化、風俗全般についての論文・随筆等が掲載されており、執筆者の顔ぶれも錚々たるものです。
先日、ある人を通して市の教育委員会へ寄贈の申し入れをしてあったのですが、昨日、教育委員会から是非受け入れさせて欲しい、とのお返事を戴きました。「藤村記念館」が移転を契機にバージョンアップされて、明治の文化の発信する場となれば幸いです。
 昨日山梨日日新聞社の記者が取材にきました。
読売新聞からも私と「明治村通信」を写真掲載したい旨の申し出がありましたが、私の顔は世間にお見せするほどでないので、鄭重にお断りしました。なお、市からも市長への贈呈式を行ないたいという話しもありましたが、これも勘弁して戴きました。
 今朝は雪です。まさに「降る雪や 明治は遠く なりにけり」の感です。

ブログ始め

2008年01月06日 | 未分類
遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。数少ない当ブログの読者の皆様のご健康・御多幸をお祈り申し上げます。本年も相変わらずよろしくお願い申し上げます。
さて、年末年始の休みの間に、たまっている仕事を片付けようとしたのですが、思惑通りにはなかなか行かず、半分くらいしか片付きませんでした。何やかやと雑用が発生するもので、おまけに数日前から風邪気味でくしゃみ・鼻水の症状が出ております。毎年必ず寝込むくらいの重い風邪をひくのですが、今年はこれくらいで治まってくれるのを願っています。

画像は今年の年賀状ですが、解説しますと、干支のネズミをパソコンの“マウス”に見立てて、モニターの画面の中には、手書きの挨拶文を入れます。昨今、宛名も本文も全てパソコンでというのが増えていますが、小生は宛名と一言は必ず自筆で書いています。HPを始めた時に、“アナログ感覚で発信する”ことを心掛けましたが、この考えは年賀状でも同じことです。

思わぬお荷物

2007年12月01日 | 未分類
先日、丁度10年使用したコピー&FAXの複合機が故障してしまいました。たまたま折も良くそのメーカーの展示会があったので見に行って来ました。こういう時は売る方も沢山売りたいものですから、お値段も通常より格段と落してくれます。A4サイズのプリンターも付けて、破格のお値段を提示されたものですから、思いきって契約しました。今日、その納品の日でした。ところが、プリンターの梱包を見ると、私のPCのOSには対応していないことが判明しました。これでは使い物になりません。販売店も引き取ってくれません。思わぬお荷物を抱えることになってしまいました。どなたか入り用の方がいらしたら、格安でお譲り致します。
プリンターの仕様はhttp://www.ricoh.co.jp/IPSiO/gx/2500/index.html?cd=ipsio_geljet-2500をご覧下さい。
メーカー希望小売り価格は26,000円程度ですが、ネットショッピングでは20,000前後で売られているようです。それよりお安い価格でお譲り致します。
ただし、このプリンターの難点は家庭用というより業務用で、消耗品のインクがホームセンターなどでは手に入らない事です。問い合わせは、ブックマークにある本業サイトの「相談室」の投稿フォームからどうぞ。

改正前より早い!

2007年11月14日 | 未分類
12日に申請した建築確認ですが、今日検査機関から電話があり、『下りましたから、お渡しできます』とのこと。3~4日と聞いていたので、明日辺りかなと思っていたのですが、意外と早かったです。午後、受取りに行きました。で、書類を見て二度びっくり。日付は昨日11月13日になっているのです。と言う事は、翌日下りたことになります。改正前よりも早いとは…。検査機関の方も、申請数が落ち込んでいて、暇ということもあるのでしょうが、驚きました。

はじめての確認申請

2007年11月12日 | 未分類
先般来準備して来た確認申請を、市役所などの経由を済ませ、今日検査機間へ提出に行きました。6月の建築基準法改正以来初めてです。受付でまず言われました。
担当者『改正後何度か申請していますか?』
私『いえ、今回が初めてです』
担当者『事前に相談に来られてますか?』
私『いえ、いきなりです』
それを聞いた担当者氏、不安げに『それでは、良く見させて頂き、何かあれば図面を差し替えてもらって、その後に受付けとします』
ということで、担当者氏が細かくチェックしはじめました。今までは(改正前)は、ざっと見て、受付してその後何か不適合があれば、訂正や図面の差し替えをしたのですが、改正後は、それがあると、はじめから申請し直さなければなりません。30分近く見たでしょうか。
『完璧ですね。3~4日で下りると思います』
ということで、まずはほっとしました。
実は1点だけ“指摘”があったのですが、私の単純ミスで、書類の綴じる順序(ページ順)が、1箇所逆に綴じてあったのです。その場でホッチキスで綴じ直しました。100%を目指したのですが、少し残念でした。これもご愛嬌というところでしょうか。

新しい確認書類

2007年10月29日 | 未分類
6月の建築基準法の改正で、確認申請がだいぶごたごたしているニュースが流れていますが、とうとう私もその申請をする段取りになりました。新しい書式はWebサイトからダウンロードできるので助かります。ただ、それらのファイルはほとんどが“ワード”で作られています。ワードということはワープロソフト、私はこれまで、これらの書類はデータベースで作って来ました。その理由はワープロですと、例えば「申請部分の面積○○ 申請以外の面積○○…」というような項目があった場合、○○に入力すると、その後の文字がその分ずれてしまいます。それをまた元に戻すのに結構手間が掛かったりします。こういう場合、データベースですと入力部分だけ打ち込めますし、いちいちカーソルを移動しなくてもtabキーで自動的に移動でき、しかもtabの順序も設定できます。また、表計算ソフト同様計算を自動でやってくれますので、書類の作成時間は随分短縮されます。今日は一日掛かって、新しい書式を作り直しました。

新しい確認書類は、第1面から第5面まで合計8ページ(改正前は5ページ)で、これを正、副、市町村の控え、消防の控えと4部作りますから、最低32枚のA4コピー用紙が必要です。さらに、シックハウス関係の換気計算や軸組計算なども、私の場合は図面でなく同じくデータベースで作っていますので、これが1部あたり6ページ、これ以外に1部ですが「建築計画概要書」が6ページ(改正前は4ページ)、建築工事届が4ページ(変わらず)で数えますと合計66枚の用紙を消耗することになります。これに設計図(A2)を1部あたり5枚添付します。図面も“明示すべき事項”が随分増えたようで、確認申請書類の作成に掛かる手間も結果的に増えます。

考えてみますと、私が事務所をはじめた頃は、確認申請の書類はB5サイズ1ページで済んだのです。それがいつ頃か役所の書類がA版に移行した時にA4-5面に変わり、その後細かい改正に伴い、内容も少しずつ変わって来ました。かつてB5-1枚に書いて来たことが、今ではA4-8ページに増えた訳で、かつて行政改革だの簡素化だのと叫んできたことが一体何だったのか、と首を傾げたくなります。
我々建築士の最終的な目的は、より良い住環境を作ることで、そのための一つの条件が「確認申請」制度だとは思いますが、それがあたかも目的のような風潮になるのは危険なことです。もっと大きな視点で建築というものを考えるべきだと思います。

さよなら「ホモ・モ-ベンス」

2007年10月12日 | 未分類
建築家の黒川紀章氏が亡くなりました。73才ということで、今の世の中では少し早かったのではと驚いています。今年の東京都知事選や参院選に立候補して話題になりましたが、建築家としての黒川氏の功績は何と云っても“建築家”という職業を大衆に知らしめた、ということに尽きると思います。氏の言動は建築のみならず社会全般のことについてなされていましたが、そういうことはそれまでの建築家像にはあまり無かったことではないでしょうか。私が初めて氏の著作を読んだのは高校生の時で、『ホモ・モーベンス』という本でした。この本は建築論のみでなく、広く社会全般の事を書いたもので、現在の情報化社会や車社会を予測したものでした。“ホモ・モ-ベンス”とは“動く人”という意味で、それまで人間の特質を定義するのに“ホモ・サピエンス(考える人)”や“ホモ・ファ-ベル(作る人)”などと云われていましたが、黒川氏は“ホモ・モ-ベンス”という捉え方で現代社会を表現していました。氏の生き方そのものが“ホモ・モ-ベンス”だったと思います。建築家としての作品については、人それぞれ好みや評価の違いがあるでしょうが、私の個人的な好みで云えば、“福岡銀行本店”や“奈良市写真美術館”です。ご冥福をお祈り致します。

追伸:私も“ホモ・モ-ベンス”に倣って、数年前から“ホモ・リンケンス(繋がる人)”という言葉を提唱していますが、誰も関心を持たないようです(笑)

思いがけない贈り物

2007年10月05日 | 未分類

当事務所が設立25周年を迎えた今日、思いも寄らぬ届きものがありました。現在工事がほぼ完成し、明日引渡し前の確認をして頂く「葡萄の丘の洋館」のお施主さんであるOHさんから、25周年のお祝いの花束が贈られてきたのです。このお心遣いに感激です。OHさんは現在県外にお住まいですが、定年退職後故郷に帰られて永住するということで、インターネットで色々調べられて、当事務所のサイトに当たったと言う訳です。丁度2年前に当事務所に初めてお見えになって、その後打ち合わせを重ね、5月下旬から工事に掛かりました。
丁度明日が完成で、それに合わせたかのように25周年を迎え、思わぬお祝いを頂戴し、仕事冥利に尽きると言うか、この不思議な縁を大切にしていきたいものです。OHさんもこのブログをよくご覧になっておられるようで、私が25周年なんてことを書いたものですから、返って要らぬご心配を掛けてしまいました。本来は電話でお礼の言葉を言わなければいけないのですが、口下手な私は上手く感謝の気持ちを伝えられないと思いますので、このブログ上で失礼させて頂きます。それにしても、こんな感激は本当に久し振りのことです。ありがとうございました。

お知らせ

2007年09月30日 | 未分類
前にも書きましたが、当事務所はこの10月5日で満25周年を迎えます。また、11月8日にはWebサイト開設7周年になります。これを記念して、日頃の感謝を込めて、「25周年&7周年記念プレゼント」を企画しました。簡単なクイズに答えて、クオカ-ドを当てて下さい。詳しくはこちらのページの左上からアクセスして下さい。

世にも不思議な出来事

2007年09月22日 | 未分類
世の中には信じられないような出来事が起こるものです。このブログを以前からご覧になっている方はご存知と思いますが、数日前にテンプレート(背景のデザイン)を変更しました。このgooのブログにも沢山のテンプレートがあって、新しいデザインも随時追加されています。私はどちらかと言うと、一度決めたらあまり変えない質なのですが、友人は結構変えるのが好きなようで、少し前に、このコーヒーとドーナツのデザインに変わっていました。私は自他共に認めるコーヒー党で、しかもドーナツは大好物。今はなくなってしまいましたが、近くにドーナツ屋(ミスター○○)さんがあった時は良く買ったものです。自分のホームページを作り始めた頃、その頃はまだブログなどなかったので、「10時と3時のいっぷく」という日記を書いていました。ですから、今回のこのテンプレートはまさしく自分にぴったりと思い、さっそく取り入れてタイトルも「Working Diary」から「10時と3時のいっぷく」に変えました。

前置きが長くなりましたが、このテンプレートの本来のデザインはこちらなのです。私のとどこが違うかと言えば、そう、私のはドーナツの皿が1つ多いのです。もちろんテンプレートのオリジナルは1皿だけ、私のも最初は1皿でした。ところが、今日アクセスして我が目を疑ったのです。2皿目が出て来てしかも乗っているドーナツも微妙に種類が違う。これは一体どうしたことだろう。

考えられる事は一つしかありません。それは、このブログを見たgooのスタッフが、いたずら心というか、ユーモアを利かせて手を加えたとしか考えられません。きっと10時の分と3時の分のドーナツを用意してくれたのでしょう。私はこれが気に入っていますので、他のgooスタッフの人が気が付いても、そっとこのままにしておいて欲しいものです。

機械は奇怪

2007年09月20日 | 未分類
今日も慌ただしい一日でした。午前中は、この間から電源が切れなくなってしまったプリンターの修理にメーカーの保守の人が来て色々とからかったのですが、治らなくて部品を交換しなければならないとのこと。購入して1年経っていないので、有償にはなりませんが、こういうトラブルがあると面倒なものです。プリンターもそうですが、パソコンもここのところ調子が悪く、仕事用のCADソフトがしょっちゅうフリーズしてしまいます。そうなるとそこまで進めた仕事も保存されてなく、また元に戻ってやり直すということが度々です。気を付けてこまめに保存をしているのですが、つい夢中になって忘れている頃フリーズしてしまうものです。このPCも丸7年以上使っていて、HDの容量も残り2.85GBと少なくなっています。それでこの春、外付けHDを買ったのですが、先日突然データが失われてしまうトラブルが発生しました。メーカーに問い合わせしたら、PC側に原因があるかも知れないとのこと。こういう場合ハードメーカーはソフト側に、ソフトメーカーはハード側に原因を転嫁するケースが間々ありますが、これもそうだったのかどうかは不明です。
機械と言うのはやっかいというか、まさに奇怪なものです。

午後は現場2箇所へ。某寺院の山門は基礎工事が終わり、今日は沓石(御影石)の色決めを行ないました。もう一件の「葡萄の丘の洋館」は外壁の塗装も終わり、中では内装の仕上が行なわれていました。

事務所登録更新

2007年08月27日 | 未分類
県の出先機関へ一級建築士事務所の登録更新手続きに行って来ました。これは5年毎に更新をするもので、今回が5回目、つまり当事務所も25年経ったわけです。28才の誕生日(9月15日)に他に就職口がなかったので独立を決意し、当時は自分の誕生日は祝日でしたので、翌日事務所登録の手続きをしました。許可が下りたのが10月5日で、更新は期限が切れる1ヶ月前までに行なわなければならないことになっています。従って9月4日までですが、毎回早めに行なっています。更新の書類は今は県のHPからダウンロード出来て、簡単に作成できますので随分楽になりました。

25年、あっと言う間でしたが、よくここまで続ける事ができたものと、自分でも感心しています。多くの人たちに助けられて来たのだと思います。よく企業の30年説というのを聞きます。つまり30年も経てば社会環境も変わって、それに対応できない企業は淘汰されるというものですが、私のような個人経営では、良くも悪くも小回りが効くというか、柔軟性があるというか、細く長く続けることが出来たのかも知れません。この先何年続けられるか分かりませんが、縁あって携わることが出来た仕事を1件、1件誠実に取組んで行きたいと思っています。

ホームドクター

2007年07月24日 | 未分類
15年ほど前に手掛けたお宅の老主人(89才)から電話がありました。キッチンの魚焼きの水を入れるトレイが穴が空いてしまったとのこと。ホームセンターで捜したが、適したものがないので、手配して欲しいとのことでした。キッチンを工事した業者に連絡し、時間を合わせてお伺いしました。ここ数年ご無沙汰していたので久し振りの訪問でしたが、何せ一人でお住まいだから綺麗に住まわれています。用件はすぐに終わったのですが、何だか早々に帰る訳にもいかず、暫くお茶をご馳走になり話し相手になって来ました。一人息子の御長男は東京住まいで要職に就いているので、なかなか帰ってこられないとのこと。今年の正月に運転免許証も返上して、今は電動のシニアカーで用を足しているとのことでした。
ここのお宅もそうですし、以前書いた老夫婦二人住まいのお宅も、工事完成後十数年経っても工務店でなく、設計者である私に細々とした事も連絡が来るのです。文字通りホームドクターの役目を負っている訳で、高齢化社会が進む中で、このような傾向はますます増えるのではないかと思います。

応急危険度判定

2007年07月19日 | 未分類
今回の新潟中越沖地震に対して、本県からも応急危険度判定士が本日派遣されたと報じられました。前回のエントリーにも書きましたが、こういう場合電話連絡網が廻って来るのですが、今回はありませんでした。急だった(災害はいつでも急である)ためか、県庁職員等の公務員や建築士会の役員などが率先して派遣に応じたためでしょうか?

それで思い出すのは3年前の時のことです。何しろ本県からは初めてのことで、最終的には計60人近い判定士が3回に分けて行ったのですが、私が出た第1陣は20人でした。その構成は県庁職員が2人、後の18人は民間人でした。その18人も建築士会の各支部から何名ずつ、県内大手のゼネコン数社から何名と、いわゆる“あてがいぶち”的な人選でした。私の知る限りおそらく、自ら志願したのは私と私の友人、それにもう一人くらいだったと思います。現地に行って、関東近県からも多く来ていましたが、他の県ではほとんどが公務員という構成で、本県とはまるで逆でした。その後の第2陣、3陣では、徐々に公務員の比率が高くなったようですが、その時感じたのは、公務員の人はとても忙しいのだな、ということでした。

もし、本県で大地震が発生したら、応急危険度判定士を受け入れる立場になります。こういう言い方は不謹慎ですが、こういう時こそ公務員自らが体験する少ない機会なのです。そして、それを日常の耐震化促進の行政に生かすことが使命だと思うのですが。

7/20 追記
今日昼過ぎに建築士会の事務局から電話がありました。応急危険度判定の第2陣が22日に派遣されるので、参加出来ないか、というものです。生憎22日は今設計中の物件の打合せが入っていて、施主さんはサラリーマンなので土日しか打合せが出来ないのです。電話連絡網はしなくて、どうやら3年前に経験した人たちにまず当っているようでした。“第3陣が出るようになったらお願いします”と言われたが、ここの所毎日のように色々な約束事が入っていて、果たして出られるかどうか。

中越沖地震

2007年07月17日 | 未分類
また大きな地震がありました。3年前の新潟中越地震の時を思い出します。現地の方々には心からお見舞い申し上げます。3年前の時、本県で初めて「被災建築物の応急危険度判定」の出動要請があり、毎年1回その伝達訓練をしているのですが、その時初めて訓練でなく、実際の伝達を行ないました。私は連絡員の係りになっていて、上から来た連絡を4人の判定士に伝える役目なのですが、3年前は突然で(当たり前ですが)少し慌てたり、緊張したりしました。結局その時は誰も出動に応えてくれる人はいなくて、私は緊急な用事もなかったので、現地に赴きました。今回の地震でいつ連絡があっても良いように、訓練の時のマニュアルと判定士の名簿を電話のそばに引っぱりだしました。