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10時と3時のいっぷく

零細建築設計事務所の日常とその周辺を、コーヒータイムに綴ります。

今年も情報伝達訓練

2013年01月17日 | 未分類
今日は阪神淡路大震災から18年目、毎年「応急危険度判定情報伝達訓練」があり、今年も午前9時半からありました。小生は「連絡網リーダー」の一人で、3人の「連絡網責任者」へ伝達をして、その「連絡網責任者」が4人ほどの判定士に伝達をするというもので、小生は16人の判定士を把握することになっています。結果は本人に伝達出来たのは8人、残りの8人のうち、伝言をしたのが4人、留守電に入れたのが1人、不在・不通が3人というものでした。
このようなことは訓練だけで、実際はないことを願うばかりです。

二つの委員会

2011年05月14日 | 未分類
甲府市教育委員会で、藤村記念館の運営協議会の委員委嘱式と第1回運営協議会があり、出席しました。藤村記念館については、昭和41年に武田神社境内に移築された際、甲府市に寄贈され、「藤村記念館」と命名されました。それに伴い、甲府市の条例で運営管理が制定されました。
運営協議会というのも、その時からあったようですが、この度の甲府駅北口への移転に合わせ、新年度から私も委員として委嘱された訳です。規定によりますと、委員は5人をもって組織するとあり、このうち3人の方は再任で、私ともう一人の方が新任でした。「委員は、学識経験を有するもの…」という規定があるので、私のようなものがどうして選ばれたのか不思議ですが、強いてあげれば、この4月1日から開催した「まちかどの近代建築写真展」を企画して、それが好評だったことから、かなと思います。藤村記念館にも、新しい役割が課せられて、これまでとは違った使われ方が求められています。



一方、今年の4月1日から、藤村記念館を含めた甲府駅北口周辺を、指定管理者制度のもと、地元で以前からまちづくりに積極的に取り組んで来た「甲府駅北口まちづくり委員会」が管理することになりました。私が所属しているボランティア団体が、昨年60周年を記念して藤村記念館周囲にバラの植栽を寄贈しました。その育成管理について、「甲府駅北口まちづくり委員会」と共同で行う事になり、そんないきさつから、まちづくり委員会の方たちと懇意になり、写真展の提案に繋がった訳です。そして、これを機に、まちづくり委員会の会員にもなりました。両方の組織のパイプ役になれればと思います。
本日から藤村記念館との関わりの新しいスタートが始まりました。
さっそく、Wikipediaの「甲府市藤村記念館」の項目を最新の情報に一部編集しました。

17年振りのクラス会

2011年04月23日 | 未分類
中学時代のクラス会が17年振りにありました。正確には、クラス会というより、同級会といったほうが良いでしょう。当時は学年にクラスは2つあったのですが、1クラスの人数が25人で、2つのクラスを合わせても50人という、規模の学校でした。この同級生が3年間クラス替えをしたとしても、ほとんど同じクラスのようなものです。17年前に開催して以来、部分的な集まりはあったのですが、全員に呼びかけての久し振りの開催でした。
昨年の暮れに、東京及び、その近郊在住の同級生から呼び出しがあり、そろそろクラス会をしたいということで、幹事を頼まれました。それ以来、準備を進めて来て、やっと当日を迎えました。50人のうち、ほぼ半分の24人と二人の恩師が出席しました。想い出に残る会にしようと、いろいろと知恵を絞ったのですが、好評だったのは、卒業時(中学3年生)の顔写真を入れた名札です。卒業記念の写真を拡大して、一人一人切り抜いて作りました。中には、『えっ!これ俺?』などと言っている者もいました。

時の経つのも忘れて飲んで語り合い、また再会を約して別れました。県外から出席した一部の人は泊まったので、夜遅くまで語り合いました。幹事としては、皆が喜んでくれたので、ほっとしている所です。

「一語一会」

2011年01月04日 | 未分類
毎年、新しい年の始まりになると、“今年は○○をするぞ!”と意気込んでスタートするのですが、たいてい三日坊主に終わっています。
それを承知で今年は何をしようかと考えていたら、元日の新聞に良い言葉を見つけました。それで、『今年は一日、一語でよいから心に響く言葉や文章を目に留めて記そう』と思い立ちました。一日一語でなくても、一週間に一語でも良いのですが、最初は勢いを付けてスタートしないと、そのうち何もしなくなります。
一日一語となると、こちらも常にアンテナを張って、しかもそれを受け止める心掛けをしないとなりません。ネットサーフィンやメールチェックをしている時間を、新聞や本を読んだり、人の言葉(発言)にも注意を払う時間に変えなければなりません。
それらの言葉はPCに打ち込んでいるのですが、そのついでについついネットに繋げてしまうという、ジレンマもあります。ファイル名は「一語一会」としたのですが、やがて「一語一得」になれれば良いと思っています。

甲府駅周辺拠点形成事業竣功記念式典

2010年08月04日 | 未分類
甲府駅北口周辺の拠点形成事業の竣功記念式典に招かれて出席しました。
といっても、これらの施設の工事関係者としてではありません。所属しているボランティアのクラブの創立60周年記念事業として、北口に移築した藤村記念館(旧睦沢学校)の周囲につるバラの植栽をすることになり、それについて、市から感謝状を頂けるということからです。クラブの会長、60周年記念事業の実行委員長、副実行委員長の小生の3人が出席しました。記念式典は、午前10時から行われました。行政や関係団体、地域の方々など約200名が出席しました。
式典は、市長の式辞、来賓の祝辞などあり、小生の所属しているクラブをはじめ、幾つかの団体に感謝状が贈られました。
式典の後、ペデストリアンデッキ本体に設置された宝飾のモニュメント(仮称:輝きのスポット-愛称募集中)の除幕式とペテストリアンデッキの渡り初めが行われました。
なお、藤村記念館は10月に、“よっちゃばれ広場は”12月に完成予定だそうです。
 

 

ようこそiMac

2010年06月18日 | 未分類
仕事で使っているCADソフトのバージョンを長年更新しなかったのですが、ここにきて限界になり─つまり、このまま放っておくと、ファイルの互換性がなくなってしまう─とうとうバージョンアップしました。“中抜き”をしてきたので、価格も相当なものです。ところが、事はこれだけに収まらず、現在使用しいてるPCですと、このソフトが使えないことがわかり、PC本体も最新のバージョンのものに買い替えなければならない羽目になりました。ダブルパンチです。
これまで使ってきたPCは、ちょうど10年前に購入したものですから、(下写真)
世の中の平均からすれば、長い方だと思います。壊れた訳ではないので、まだ使えるのですが、主役の座は譲らなければなりません。その新しい主役が6月15日に来ました。本体とディスプレイが一体となったタイプですが、キーボードとマウスはケーブルがありません。手元が非常にすっきりしています。(下写真)
隣は6年前に購入したノートPCです。驚いたのは、いわゆる“マニュアル”類がないと言っていいくらい、簡単なものになりました。今ではほとんどウェブ上でわかるからでしょう。これまで、10年前のPCですとネットサーフィンもつかえつかえでしたが、今度は快適です。ただし、メールの設定にちょっと躓いたり、CADもユーザーインターフェイスのデザインががらりと変わっていたり、さまざまなアプリケーションもインストールしたりと、当分慣れるのにもうしばらく時間が掛かるでしょう。新しいPCで今回初めてブログの投稿をしましたが、こちらはスムーズでした。

さよなら青焼機

2010年05月26日 | 未分類
私がこの仕事に入った頃の設計図というのは、トレーシングペーパー(半透明の紙)に鉛筆で描いていました。それを複写(今で言えばコピーですが)するには、感光紙に重ねて、複写機(俗に言う青焼機)を通し、発色させるものでした。その頃はいわゆる“湿式”で、現像液にアンモニアを使っていたと思います。ある時、アンモニアの容器をひっくり返して大変な目にあったことを憶えています。その後“乾式”になったのですが、図面としては、いわゆる“青図”で通ってきました。

ところが最近はPPC方式のいわゆる白焼きが主流になってきて、青焼機の需要は減る一方、新しい機種の生産もなく、消えて行くのを待つのみとなりました。そんな訳ですから、故障した場合も修理可能な範囲なら良いのですが、複雑な場合はお手上げです。15年前に購入したこの青焼機も、とうとう年貢の納め時となり、購入した販売店に処分をお願いしました。機械とは言え、永年使ってきたモノには愛着があります。引揚げに来た販売店の社員に、『将来博物館行きになるかも知れないから、取っておいたら』と言ったら、あっさりと手を横に振られてしまいました。

事務機器に限らず、工業化製品の進歩(?)は目まぐるしいものがあります。製図版に三角定規といった設計作業の風景は消え、パソコンの画面に向かう姿になりました。設計のためのソフトウェアも常にバージョンを上げて(どこまで上げるんでしょうね)、そのバージョンアップを怠っていたため、パソコン本体のOSとのバージョンが合わなくなり、とうとう、新しいものを買わなければなりません。供給側の経済論理からすれば当然なのでしょうが、何か納得できない世の中になってしまいました。

マウスを捨てて、畠に出よう

2010年03月23日 | 未分類
仕事柄、ほとんどPCに向かっていると、一日外へ出ない日もあります。いくらPCやプログが好きと言っても、健康には良くありません。そんなこともあって、数年前からボランティアの仲間と畠をやっています。毎週日曜日の早朝、畠に出て、土を耕し、草を取り、収穫を喜んでいます。無農薬ですから、形の良いものは出来ませんが、安心して食べられます。ボランティアの会の公的な活動でしたから、子ども達を芋掘に招待したり、バザーや、独居老人への食事サービスの会へ野菜を提供したりして来ました。

ところが、問題がない訳ではなく、収穫や、行事の時は大勢参加してくれるのですが、普段の農作業には、決まった人しか出ません。真夏の草取りは大変です。こういうことを嫌いな人もいますから、押し付けは出来ません。
そんな訳で、今年からボランティアの会の活動としてではなく、好きな者だけで、グループを作ってやろう、ということになりました。グループの名前は「オ−ヴェスト(Orvest)倶楽部」です。オ−ヴェスト(Orvest)とは、有機(Organic)と収穫(Harvest)を併せた造語です。

これまでのように沢山の栽培は出来ませんが、自分達が食べる分と、少しですが、運営に掛かる費用を賄うために、ネット販売をしたらどうか、と言う事になり、ウェブサイトを立ち上げました。そして、その売上が経費を上回ったら、その分をチャリティーすることにしました。食の安心に関心のある方は、「オーヴェスト倶楽部」のサイトをご覧下さい。
現在6人のメンバーですが、それぞれ役割を決めました。小生は「広報」担当ということで、サイトを立ち上げ、このブログにも書いた訳です。(画像は昨年夏の収穫の時のものです)



親を超えた?!

2010年03月20日 | 未分類
どうも小生の懸賞好きは娘にも遺伝したようです。午前中、宅急便のお兄さんが荷物を2つ抱えて“ピンポーン♪”。こんな時期に届けもの?と出てみると、2つとも娘の宛名が。ひとつは包装もしていないので分かったのですが、ビールメーカーA社の新商品の発泡酒1箱(24缶入)、もう一つは電化製品と書いてあるだけで、何か分りません。寝ている娘を起して、立会いのもと開封すると、コーヒーメーカーでした。

これまでも我が娘は、こまごまとした化粧品とか洗剤などを当てていたのですが、今回は大物を一度に2つという快挙でした。今月末に清涼飲料の会社の製品が届くというのはメールで来ていて知っていましたが、今日のものは、本人も応募したのをうろ覚えで、こちらの方も遺伝したようです。

さっそく、午後の3時のいっぷくに、このコーヒーメーカーを使って戴きました。まずまずの味でしたが、果たして毎回これを使うかとなると疑問符がつきます。今夜は、発泡酒で久々の晩酌と行きますか。まぁ親孝行の娘を持った事には感謝しています。

ここは懸賞ブログか?

2010年02月12日 | 未分類

またまた送られて来ました。こんどは電卓です(写真右のもの)。
使っている大判プリンター(A2サイズまで印刷可)のメーカーC社のウェブアンケートに答えると、何人かに電卓または○○を抽選でプレゼントします、というのに応募しました。アンケートに答えたことはうろ覚えに憶えています。それで、先日(10日ほど前に)C社から何か封筒に入ったものが届きました。以前同じ封筒で、プリンターソフトのバージョンUPのCDが来た事があったので、今回もてっきりそれと思いました。それでしばらくほっといたのですが、昨夜何気なしに開封してみると、電卓が入っているではありませんか。何でだろうと不思議に思いつつ、同封の書類を読んで、やっと思い出したのです。
ところが、電卓ともう一つの賞品○○が何だったのか、未だに思い出せません。
希望賞品はこちらで選択したと思います。今まで使っていた電卓は写真左のもので、携帯用(それまでのものが壊れて仕方なくこれを使用)であることから、少しキーが小さくて、誤動作を招きやすかったので、ちょうど良いタイミングでした。

お年玉は飴玉

2010年01月23日 | 未分類
昨年9月、仕事で使っているソフトのベンダーの何とか記念のプレゼントに、ウェブ上から応募したところ2等に当選し、“デザインサーベイテンプレ−ト””なるものを頂戴しました。ところが今日、まったく同じものが送られて来ました。おまけに、缶入りドロップスが付いています。一瞬どうしたことかと思いました。去年のものが欠陥があって、そのお詫びにドロップスを付けて新しいものを送ってよこしたのかと思いました。
同封されていた書類を読むと、『年賀企画、お年玉プレゼントキャンペーンにご参加いただき、ありがとうございます。ささやかではございますが、...』とありました。前回同様応募したことをほとんど忘れていました。小生としては、“デザインサーベイテンプレート”はどちらでも良かったのですが、ドロップスのほうに釣られて応募したものと思われます。思いがけないお年玉をさっそく頂戴しました。

応急危険度判定情報伝達訓練

2010年01月21日 | 未分類
去る1月17日は、あの阪神淡路大震災から15年でした。毎年のことながら、この時期に、応急危険度判定の情報伝達訓練があります。「地震の発生で県内各地の建物に多くの被害が生じた」という想定で、登録された応急危険度判定士に出動の要請の電話連絡をする訓練です。今朝の新聞にも出ていましたが、今年も昨日その訓練が実施されました。建築士会の支部長→副支部長→連絡網リーダー→連絡網責任者→判定士というルートで連絡と報告をするのですが、判定士の人達だけにはこの訓練は知らされていません。
小生は昨年までは、連絡網責任者という役割で、4人の判定士の方に連絡をしていましたが、今年はその上の連絡網リーダーという役目を仰せつかりました。対象となる判定士は4人から20人になります。訓練そのものは、午前9時35分に始まりましたが、小生の所に副支部長から電話が入ったのは9時56分、それから4人の連絡網責任者にさっそく連絡しました。
その4人のうち3人には連絡がとれましたが、一人は不在(予めこの訓練がわかっているのですから、不在になるのならその旨、言ってもらえればと思います。またもう一人は、事前に送られている連絡網の名簿をなくしたとか言って、急遽FAXをする始末です。)で結局その不在の連絡網責任者の受け持つ4人の判定士にも直接連絡することになりました。
結果は本人に通じたのが11人、伝達できなかった9人の内訳は6人が言伝て、3人が不在不通でした。この結果をFAXで副支部長へ報告したのが10時34分でした。実質拘束されたのは40分弱でした。
新聞によりますと、本県の判定士の数は1,418人とのことで、派遣が可能だった判定士は513人とありますが、これは“派遣が可能”ではなく、“直接連絡が取れた”が正確でしょう。連絡が取れても、派遣に応じるかは別です。新潟中越地震の際に、初めて本県に派遣の要請があり、訓練でなく、実際に出動の依頼がありました。その時、第1陣として20人が派遣されましたが、その数を集めるのに苦労したようです。小生は仕事も暇でしたから、自ら応じましたが、他の人たちはほとんどが、大手のゼネコンの社員や、建築士会の支部の役員で、会社や士会からの要請で出たのです。つまり、自発的に応じた人が集まらなかったので、建築士会や会社へお願いしたのでしょう。また、今だから言いますが、20人のうち、公務員はたった2人(県の担当者)だけでした。他県からの派遣がほとんど公務員だったのと比べ対照的でした。第2陣以降は県や市の職員も大勢出動したようです。
何れにしても、このようなことは訓練だけで終わってほしいものです。

物騒な世の中

2009年10月06日 | 未分類
世間では毎日のように恐ろしい事件が発生していますが、報道で見ているだけで、自分とは縁のないことのように感じている人が多いのではないかと思います。そういう小生もその一人ですが、今朝、我が家の隣のコンビニに強盗が押し入ったと聞いて吃驚しました。

10時のいっぷくをしようとコーヒーを煎れ始めると、チャイムの音が。出てみると、地元TV局の記者と名乗る人が、
『今朝4時半頃、隣のコンビニに強盗が入ったのですが、何か気がつきませんでしたか?』
『えっ!本当ですか?』と、驚きました。そう言われれば、何時頃か分らないが、大きなクラクションの音がしました。しかし、コンビニの隣に住んでいる者にとっては、クラクションやカーステレオの大きな音は日常茶飯事なので、それが事件と関係あったかどうかなんて勿論分りません。幸い未遂に終わったそうですが、階段の窓を開けてみると、立ち入り禁止のロープが貼られ、警察の車が停まっていました。コンビニは我が家の北隣にあるため、全然気がつきませんでした。
暫くして刑事さんが来て、色々と訊ねられましたが、上記の通りで何のお役にたてませんでした。ただ気になったのは、いくら捜査の一環とは言え、家族の名前や年齢、職業まで聞かれたのは、不愉快でした。
いずれこういう事も起こるのでは、と頭の片隅で想像していましたが、現実となると、やはり恐ろしいものです。犯人はまだ捕まっていないので、“知らぬが仏”と済まされない、ぞっとする出来事でした。