10時と3時のいっぷく

零細建築設計事務所の日常とその周辺を、コーヒータイムに綴ります。

人生は小説より奇なり

2006年06月18日 | 未分類
昭和34年、南アルプスの麓の小さな村に、大学を出て数年という若い土木技術者がダム建設の地質調査のために派遣されてきた。何カ月もかかる調査のため、数名の作業員もいることから、青年はこの村で一番大きな家を選んで下宿を請うたという。この家は今で言えばコンビニ、食料品や日用雑貨を商っていた。夫婦にまだ幼い子供4人、それに祖母という家族構成だった。青年は子供たちを可愛がった。寝袋の中に入って遊んだ事も憶えている。
やがて調査を終え青年は東京へ戻る。その翌年、この家の主である子供達の父親が不慮の事故に会い死亡。そして2年後今度は母親が病死。

昭和37年の暮れ、東京銀座で婚約者と待ち合わせしていた青年は、“小学○年生”という雑誌を傍らに置き、クリスマスカードにメッセージを書いていた。
『お父さん、お母さんが天国で見守っています。おばあちゃんを助けて、きょうだい仲良く過ごして下さい』
それから毎年クリスマスになるとカードが子供達に届くようになった。子供達は都会の匂いのする美しいカードを毎年楽しみにし、その後も宝物のように大事にしていた。やがて青年も家庭を持ち、忙しい日々を送るようになる。子供達も中学、高校へと進む。カードは来なくなったが、毎年年賀状で近況を報せていた。

あれから47年の歳月が流れた。かつて青年だったYさんと奥様、そして今や中高年になった4人のきょうだいが、昨日再会した。皆健康でいられたからこそこの喜びを味わえることができた。

その4人の子供のうちのひとりが私です。Yさんご夫妻には、昨日は田舎に眠る両親と祖母の墓参をして頂き、かつて関わったダムを訪れました。

装置化する住まい

2006年06月01日 | 建築の話題
消防法の改正により、この6月1日から新築住宅にも火災警報器の設置が義務付けられます。数年前、シックハウス対策の一環として、24時間作動する換気扇の設置が義務付けられましたが、これらの流れを考えると、住宅がだんだんと重装備されて行くことに気がつきます。私の個人的な感想は、なんで法律がこんなお節介をするのか、ということです。穿った見方をすると、換気扇メーカーや警報器メーカーの業界から政治献金でも貰った結果なのかなんて考えてしまいます。確かに安全性という意味は分かりますが、換気扇を廻していればアトピーが治る訳ではなく、警報器を付けたからといって火災から守れるというものではありません。肝心なのはそれ以前のこと─つまり家はどうあるべきかとか、どのように暮らすかべきかといったこと─だと思います。このまま行けば、ますます日本の家は装置化が進み、機械でコントロールされる生活になって行く恐れを感じます。法律が日本の住文化のさまたげをするようなことは感心できません。