10時と3時のいっぷく

零細建築設計事務所の日常とその周辺を、コーヒータイムに綴ります。

甲府カトリック教会余話

2005年09月30日 | 建築の話題
歴史的な建造物の保存というのは、特に取り壊しの危機に瀕している場合は難しい点が多いと思います。今回「甲府カトリック教会」の情報を提供してくれた知人のIさんからも、山梨の宝として保存できる道を示して欲しい旨のメイルを頂きました。私もまったく同感で、何とかできないものか色々と考えてみました。
このようなケースの場合、幾つかのアプローチがあると思います。
まず、第一にこの建物が歴史的、学術的、文化的にみてどの程度の価値があるか、客観的に判断する必要があります。私個人の嗜好ではなく、しかるべき機関で判定をしてもらうということです。それでさっそく、市の文化・芸術課に電話をして事情を説明しました。電話に出た担当の方も非常に好意的で、一度現地を見させて欲しいとのことでした。
もうひとつのアプローチは、建築関係団体からの働きかけでしょう。建築学会や建築士会といった職能団体でも所有者に保存の要望書を出すケースがありますが、ただ今回の場合、すんなりそう行くとは限りません。
最後の方法として、これが一番効果的だと思うのですが、“草の根保存運動”を展開する、ということです。行政や専門家ではなく、一般市民がこの建物に愛着を持ち、その価値を認めれば、所有者の心も動くかも知れません。その手法はいろいろ考えられますが、マスコミを利用するのも一つの方法です。Iさんのメイルへの答えになったでしょうか。
余談ですが昨日教会の事務所で、ロッカーの上に十字架が刻まれた鬼瓦があるのを発見しました。以前の教会に使われていたもののようです。地震で落ちて割れないように、大切に保管して頂きたいものです。

甲府カトリック教会

2005年09月29日 | 建築ウォッチング
仕事で市内に出たついでに、気に掛かっていた「甲府カトリック教会」に寄ってみました。知人から、取壊しの噂を聞いていたからです。「甲府カトリック教会」の存在は「日本近代建築総覧」にも掲載されていないため、建築関係者の間でもほとんど知られていません。私も初めてでした。別棟の事務所にいた老婦人に訪問の主旨を説明して、見学させて頂きました。中に入って驚きました。これは正しく文化財です。山梨にもこんな教会が残っているとは本当にびっくりしました。取り壊しの話があるのは本当のようで、時期はまだはっきりしませんが、何とか残す手立てがないものか、残念でなりません。

一緒に案内して頂いた老婦人に、建築に関する資料が残っていないか尋ねたら、『山梨県カトリック宣教百年誌』という本を見せてくれました。事務所でコーヒーを頂きながらページをめくってみると、1925(大正14)年11月29日に献堂式が行なわれた、と記されてありました。従って築80年経ちます。設計者や図面といった資料はありませんでしたが、市や県の文化財の調査もないとのことで、正に埋もれた文化財といっても過言ではありません。


祭壇を囲むように6体の聖像があるのですが、キリスト、マリア、ヨゼフといった聖像と並んで、一番端に裃姿で刀を持った像が1体ありました。老婦人に尋ねても解らなかったのですが、“百年誌”の中に「トマス籠手田」の像という記事を見つけました。トマス籠手田は長崎平戸の「ゼロニモ籠手田安一」の長子とあり、当時の神父さんが、この6聖像を選んだとのことです。多くの課題を残した訪問となりました。

赤沢宿

2005年09月23日 | 建築ウォッチング
お彼岸ということで、両親や先祖の墓参りに行って来ました。私の生まれは南アルプスの麓の早川町という山村です。私が子どもの頃は結構人口もあったのですが、過疎化の進行が著しく、現在は超高齢化のモデルのような地域です。墓参の帰りに近くの赤沢宿に寄りました。赤沢宿は日蓮宗総本山の「身延山」と、かつては修験霊山と伝えられる「七面山」を結ぶ参道の途中に位置する集落で、各地から訪れる参詣客を迎える宿場として栄えました。急峻な山肌に貼付くように古い家々が立ち並び、平成5年、重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。「江戸屋」「大阪屋」「大黒屋」「両国屋」といった屋号の旅篭があります。現在旅館を続けている所は1軒だけとなってしまったそうです。

続・松林軒ビル

2005年09月21日 | 建築の話題
松林軒ビルの解体の説明会が隣の駐車場であったので行って来ました。地元町内会の人たちや報道関係者などが集まり、所有者と解体工事業者の説明を聞きました。10月から解体工事に取りかかるとのことでしたが、私は解体が始まるまでの間、内部を見学できるかどうかだけに関心があったので、その事を訪ねると、とても見れる状態ではないとのこと。中は、その後テナントが入れ替わり立ち代わりしたので、当初の百貨店の面影はないとのことでした。跡地は10階建てのビジネスホテルとして生まれ変わるそうです。

松林軒ビル

2005年09月17日 | 建築の話題
甲府空襲の“証人”でもあり、この規模の商業ビルとしては県内最古の建物でもある旧松林軒ビル(現甲府会館)が、とうとう解体されることになりました。1937年県内最初のデパートとして誕生以来、いくつかの変遷を経てきましたが、数年前からは空きビルになり、老朽化が激しく、昨年は外壁が落下してタクシーのフロントガラスを直撃する事故が発生しました。甲府の中心商店街を象徴する建物であっただけに残念です。
写真は甲府空襲で廃虚と化した甲府市中心部で焼け残った松林軒ビルです。

裁判所

2005年09月14日 | 建築ウォッチング
以前手掛けた物件が裁判沙汰になり、証人尋問を受けるというはじめての経験をしました。裁判といっても私自身の業務とは直接関係ないことなのですが、始めに“宣誓”をした時は少し緊張しました。TVドラマでみるようなカッコいいものではありませんが、概ねあんな感じでした。ただ裁判官が若い方でドラマのような威厳のあるタイプではなく、親しみ易い感じの人だったのが印象的でした。裁判所の建物はニュースで見るだけで、はじめて中に入ったのですが、見学する余裕もなく、エレベーターの写真を撮っただけです。ドアの廻りに石貼りの縁取りが施してあり、いかにも威厳を表わしているようでした。
純粋に建築の見学ならともかく、こんな所へは二度と来たくないものです。

旧田中銀行

2005年09月11日 | 建築ウォッチング
勝沼町で知人のお母上の告別式があったので、すぐ近くにある旧田中銀行(22035)を訪ねてみました。
明治30年代の建築で、最初は「勝沼郵便電信局舎」として使用され、その後大正9年に「株式会社山梨田中銀行」として生まれ変わったそうです。銀行の後は住宅として改修され、第二次世界大戦中は、田中本家に北白川宮が疎開し、田中銀行は関係者の水戸部孚の住宅として使われたそうです。建築したのは山梨県下に“藤村式建築”を多く手掛けた、下山大工の松木輝殷です。鉄柵は“田中”の文字をモチーフにしたデザインですが、戦時中供出され、復元されたものです。

リビングフェア

2005年09月04日 | 研修・自己啓発
先月下旬に東京ビッグサイトで大手建材商社のフェアがあって、行って来ましたが、今日は“県内の大手建材屋さん”のフェアが、アイメッセでありました。比較的近いので、物見遊山のつもりで覗いてみました。ビッグサイトと比較するのは可哀想ですが、“それなりに”賑わっていました。あるメーカーのキッチンの展示ブースに、電力会社に勤める同級生のS君を発見。IHクッキングヒーターの実演説明で借り出されたとのこと。私が行ったものだから、グッドタイミングとばかりにコーヒーの接待をしてくれて、暫しの休憩になったようです。

法人会館

2005年09月03日 | 建築ウォッチング
知人宅へ行く前少し時間があったので、近くの法人会館(旧甲府商工会議所)をウォッチング。大正15年の建築ですが、何年か前に改修され綺麗になりました。有名な建築家の設計ではなく、地元の技術者が手掛けたもので、今も街に溶け込み愛されているということは素晴らしいことです。