10時と3時のいっぷく

零細建築設計事務所の日常とその周辺を、コーヒータイムに綴ります。

蓄熱フェア

2007年07月26日 | 研修・自己啓発
毎年この時期に行なわれている「蓄熱フェア」に先輩と行って来ました。ここ2年ほど他の用事と重なって行けなかったので、久し振りです。電力会社が出してくれる大型バスに乗り合わせて、会場であるビッグサイトへ向かいました。このフェア自体は昨日から明日までの三日間ですが、先輩の自宅に近い所を始発とする便が今日だったので、この日にしたものです。電力会社に勤める同級生も偶然同じバスの添乗で、会場でも一緒に見学しました。最新のエネルギー技術を見学できて、今後の参考になりました。


ホームドクター

2007年07月24日 | 未分類
15年ほど前に手掛けたお宅の老主人(89才)から電話がありました。キッチンの魚焼きの水を入れるトレイが穴が空いてしまったとのこと。ホームセンターで捜したが、適したものがないので、手配して欲しいとのことでした。キッチンを工事した業者に連絡し、時間を合わせてお伺いしました。ここ数年ご無沙汰していたので久し振りの訪問でしたが、何せ一人でお住まいだから綺麗に住まわれています。用件はすぐに終わったのですが、何だか早々に帰る訳にもいかず、暫くお茶をご馳走になり話し相手になって来ました。一人息子の御長男は東京住まいで要職に就いているので、なかなか帰ってこられないとのこと。今年の正月に運転免許証も返上して、今は電動のシニアカーで用を足しているとのことでした。
ここのお宅もそうですし、以前書いた老夫婦二人住まいのお宅も、工事完成後十数年経っても工務店でなく、設計者である私に細々とした事も連絡が来るのです。文字通りホームドクターの役目を負っている訳で、高齢化社会が進む中で、このような傾向はますます増えるのではないかと思います。

応急危険度判定

2007年07月19日 | 未分類
今回の新潟中越沖地震に対して、本県からも応急危険度判定士が本日派遣されたと報じられました。前回のエントリーにも書きましたが、こういう場合電話連絡網が廻って来るのですが、今回はありませんでした。急だった(災害はいつでも急である)ためか、県庁職員等の公務員や建築士会の役員などが率先して派遣に応じたためでしょうか?

それで思い出すのは3年前の時のことです。何しろ本県からは初めてのことで、最終的には計60人近い判定士が3回に分けて行ったのですが、私が出た第1陣は20人でした。その構成は県庁職員が2人、後の18人は民間人でした。その18人も建築士会の各支部から何名ずつ、県内大手のゼネコン数社から何名と、いわゆる“あてがいぶち”的な人選でした。私の知る限りおそらく、自ら志願したのは私と私の友人、それにもう一人くらいだったと思います。現地に行って、関東近県からも多く来ていましたが、他の県ではほとんどが公務員という構成で、本県とはまるで逆でした。その後の第2陣、3陣では、徐々に公務員の比率が高くなったようですが、その時感じたのは、公務員の人はとても忙しいのだな、ということでした。

もし、本県で大地震が発生したら、応急危険度判定士を受け入れる立場になります。こういう言い方は不謹慎ですが、こういう時こそ公務員自らが体験する少ない機会なのです。そして、それを日常の耐震化促進の行政に生かすことが使命だと思うのですが。

7/20 追記
今日昼過ぎに建築士会の事務局から電話がありました。応急危険度判定の第2陣が22日に派遣されるので、参加出来ないか、というものです。生憎22日は今設計中の物件の打合せが入っていて、施主さんはサラリーマンなので土日しか打合せが出来ないのです。電話連絡網はしなくて、どうやら3年前に経験した人たちにまず当っているようでした。“第3陣が出るようになったらお願いします”と言われたが、ここの所毎日のように色々な約束事が入っていて、果たして出られるかどうか。

中越沖地震

2007年07月17日 | 未分類
また大きな地震がありました。3年前の新潟中越地震の時を思い出します。現地の方々には心からお見舞い申し上げます。3年前の時、本県で初めて「被災建築物の応急危険度判定」の出動要請があり、毎年1回その伝達訓練をしているのですが、その時初めて訓練でなく、実際の伝達を行ないました。私は連絡員の係りになっていて、上から来た連絡を4人の判定士に伝える役目なのですが、3年前は突然で(当たり前ですが)少し慌てたり、緊張したりしました。結局その時は誰も出動に応えてくれる人はいなくて、私は緊急な用事もなかったので、現地に赴きました。今回の地震でいつ連絡があっても良いように、訓練の時のマニュアルと判定士の名簿を電話のそばに引っぱりだしました。