仙台バッハゼミナール

2000年4月24日、J.S.バッハの作品の解釈と演奏研究を通してその音楽への理解を深めることを目的として発足しました。

バッハの鍵盤音楽

2013年11月02日 | バッハ
バッハゼミでもたびたび参考にする
シューレンバーグの「バッハの鍵盤音楽」

調べ物をしていた際、アマゾンで見かけて
ついついぽちっとな、とお買い上げ。

そして次の日、手元に届きました。

立派なハードカバーにずっしりとした重み。
家族が見るなり、「高そうだね」と言われてみたり(笑)

そして帯に書かれた言葉は

「バッハを愛する全ての人へ」



バッハ愛の止まらないあなた。
一家に一冊、いかがでしょうか。

hito



ソナタについて(^.^)

2013年03月24日 | バッハ
皆さま
先日来、グラーフとメールでやり取りしているのですが…何故バッハはKlavierのソナタを書かなかったのか?フルートやガンバのソナタは書いているのに。
というところで気づいた!バッハにとって"ソナタ"とは、通奏低音付きの"トリオ・ソナタ"のように編成におけるカテゴリーだったのではないでしょうか?
そもそも、バロック時代には"Sonate"という名前は"Suite"や"Fantasie"、"Partita"などと同じような、単なる楽曲のタイトルのひとつでしかなかったわけで。cantare(歌う)に対してsonare(楽器を弾く)というところからきているわけだから。従って、かつては"ソナタ"を"奏鳴曲"って訳してましたよね。

で、息子たちがいわゆる"ソナタ形式"っぽい"ソナタ"なるものを書いているのを横目で見ながら、「わしゃそんなものはとっくに作っとるよ」と言わんばかりにポリフォニーのスタイルで作ったものを、"ソナタ"とは名付けずに、頑なに"フーガ"と呼んだだけ。ね?
今でこそ私たちが(バッハの時代にはそんな認識は全くなかったのだ!)"ソナタ形式"と呼んでいるものは、それこそ後付けなのよね。だからさぁ…どうして"ソナタ形式"なんて名前を付けたのかしら。それでややこしくなってしまったんだわ。
とにかく、バッハのあのフーガ(プレリュードにもそんな形のものがもちろんあります)たちが先で、ソナタ形式という名前が後なのよ。それを私たちは逆から見るから不思議な気持ちになるので、よく考えたら当たり前のことなんです。分かります??これって相当の「目からウロコ」じゃない? さえ

音楽家の名言

2010年12月18日 | バッハ
某所で、元メンバーと遭遇。
時々、このブログも覗いて下さってるとの事。

……ちっとも更新してなくて
すみません。

と言う訳で?久々に…。

「音楽家の名言」
と言う本を衝動買いしました。

作曲家や演奏家の言葉が
ちょっとずつ書かれている
とても読みやすい本です。

そこから一つ…

「音楽だけが世界語であり、翻訳される必要がない。
 そこにおいては魂が魂に働きかける。」

~J.S.BACH~

魂に働きかけられる音楽を目指したいものですね。



ライプツィヒ

2009年11月29日 | バッハ
ライプツィヒには
バッハが勤めていた教会が
今でも存在します。

バッハが生きていた時代にはなかったでしょうが
今では、バッハの像や、バッハのステンドグラスなど
偉大なバッハを偲ばせるものもあるようです。

別の教会での話ですが
かつてバッハが若い頃
女性を教会に連れてきて(二人きりで)
彼の弾くオルガンの伴奏で歌わせたことがあり
教会で問題になり、注意を受けたとか。

教会がらみの二極性。

(ちなみに女性は最初の妻でした)

セキ

ビュッケブルクのバッハ

2009年06月10日 | バッハ
ヨハン・クリストフ・フリードリヒ

ライプツィヒ大学で法学を学んでいた18歳の時、
ビュッケブルクの宮廷音楽家となりました。

その後、父親と同じように
宮廷歌手と結婚し、娘や息子が生まれます。

宮廷音楽家の地位と、
結婚後も仕事を続けた宮廷歌手の妻。
他の兄弟より、安定した生涯だったようです。

ちなみに、
息子も音楽家となりました。

セキ


参考文献:『バッハの息子たち』 久保田慶一

バッハの子供たち

2009年05月09日 | バッハ
もう絶版になったと聞きましたが
バッハの子供について、記述の本がありました。

「バッハの息子たち」 久保田慶一著

この本によると、
バッハの子供は計20人生まれました。
そのうち、成人したのが10人。
息子6人と娘4人だそうです。

そのうち、マリア・バルバラとの間に生まれた
三男 ヨハン・ゴットフリート・ベルンハルトは
24歳の若さで熱病により急死。

アンナ・マグダレーナとの間に生まれた
四男 ゴットフリート・ハインリヒも
幼い頃、音楽の優れた才能を見せたけれど
知能的に未発達のまま亡くなったらしい。

残る4人の息子が
「バッハの息子」として有名な訳だけれど
この話は長くなりそうなので、また後ほど。

ちなみに、4人の娘とは
マリア・バルバラの長女 カタリーナ・ドロテーア

アンナ・マグダレーナの娘たち
長女 エリザベート・ユリアーネ・フリーデリカ
次女 ヨハンナ・カロリーナ
三女 レジーナ・ズザンナ
(注:成人した人物のみ。
   厳密に言えば、次女、五女、六女にあたる)

そのうち結婚したのは
エリザベート・ユリアーネ・フリーデリカ。
彼女の旦那さんは、バッハの弟子でした。

ヨハン・クリストフについても
かなり詳しい記述がありました。
(写譜についてはなかったかも)

その話もまた、改めて致します。

待て。次号。



セキ

ヨハン・クリストフ

2009年04月27日 | バッハ
バッハは50歳の頃
『音楽家系バッハ一族の起源』と題した
系譜を作ったそうです。

ゼミで出ました
「ヨハン・クリストフ」を調べたところ
……とりあえず10人いました。

………ええと

同じ名前がいすぎです。
混乱します。

系譜にして、どのような関係なのか
まとめたら後日またお伝えします。

でもきっと、本日出た写本については
我らがセバスティアンの5男の物と思われます。
ちなみに彼は、1732年6月21日生まれ。
双子座。

セキ