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サザンオールスターズ「君だけに夢をもう一度」
この曲は1992年30枚目のシングル「シュラバ★ラ★バンバ」のカップリング曲として、11枚目アルバム「世に万葉の花が咲くなり」に収録された、歌詞がひと夏の恋をテーマにした切ない内容のナンバーである。
1991年内には完成しており、同年末の年越しライブでは未発表の新曲として初めて演奏された。
元々はシングルA面曲として1992年3月にリリース予定になっており、各メディアに告知がされていたが、「A面曲として売り出すにはインパクトに欠ける」という理由でA面曲としての発売は取り止めとなり、本作のc/wとして改めて収録された。
発売当初は未タイアップであったものの、CD発売直後の1992年8月にフルモデルチェンジされて発売された新型トヨタ・カリーナ「“丘の上のカリーナ”編」のCMソングに起用され、CMにはサザンと同じアミューズ所属の富田靖子が出演していた。
このころのサザンは後にMr.Childrenなどにプロデュースを手がける小林武史さんが編曲とプロデュースに関わっていたころで、
きっかけは、キーボードの原由子が産休からカムバックし、本格的バンド活動を再開し、1988年6月25日、デビュー10周年の記念となる日に24thシングル「みんなのうた」をアレンジ、プロデュース業を共に行うことからで、前年に桑田はソロ活動で小林と共同プロデュースを行い、非常に完成度の高いアルバムを作っていた。
「このアルバムのシェフは小林君、自分は素材として気持ちよく仕事ができた」と語っており、その流れでサザン本体にも合流したものとされる。
この時期から楽曲製作に関して「桑田(+アレンジャー)+スタジオ・ミュージシャン+プログラマー・マニピュレーター+レコーディングエンジニア」という図式が見られるようになり、桑田以外のメンバーが干渉する割合が減ったと言われている。
小林と桑田はさらに原由子の2枚組ソロアルバム『MOTHER』のプロデュースも担当し、桑田はソロライブで「彼が嫌だと言っても、これからのサザン関係巻き込んでいきます!」と小林を絶賛していた。
1991年にはベースの関口和之が病気療養で休養に入るが、1992年7月21日に30thシングル「シュラバ★ラ★バンバ」、31thシングル「涙のキッス」を2枚同時発売し、サザン、そしてオリコン初のシングルチャート初登場1,2フィニッシュを果たした。
「涙のキッス」はTBS系ドラマ「ずっとあなたが好きだった」の主題歌に起用され大ヒット、サザンでは最高記録となる7週連続オリコン首位を獲得するなどサザン初のシングルでのミリオンセラーを突破した。
11thアルバム『世に万葉の花が咲くなり』、34thシングル「クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)」を最後にサザン(桑田ソロ含め)との共同作業から離れる。
このはっきりした理由はファンに明らかにされてはいないが、桑田は「(小林は)危ないヤツと分かった」という風に語っており、蜜月の終わりを示唆している。
この「危ないヤツ」という表現は人間性を否定しているものではなくアレンジャーやミュージシャンとしての才能を存分に評価し、バンドであるはずのサザンのメンバーを差し置いて小林に頼りすぎてしまうという意味で発言したものである。
その後この小林との縁で桑田佳祐&Mr.Children名義でのチャリティー活動や、小林と桜井和寿(Mr.Children)が中心となって活動するap bank fesへの出演など作品面以外での交友が続いている。
近況として、オフィシャルページ「SAS応援団」より。
3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震にて、
メンバー、スタッフ一同、
皆様のご無事と地震の沈静化ならびに一日も早い復旧を心よりお祈り申し上げます。
所属事務所アミューズでも義援金を開設してます。
「http://www.amuse.co.jp/amuse_bokin/」
桑田さんのラジオ番組「やさしい夜遊び」(毎週土曜夜11時JFN系)のネタ掲示板より。
3/26放送分のお題急遽変更
「サザン・桑田佳祐を聴いてもっと元気になろう!!」
みなさまのメッセージ・リクエストお待ちしてます。
1992年中国北京で行ったライブ「南天群星北京で逢いましょう」より。
サザンオールスターズ「君だけに夢をもう一度」
この曲は1992年30枚目のシングル「シュラバ★ラ★バンバ」のカップリング曲として、11枚目アルバム「世に万葉の花が咲くなり」に収録された、歌詞がひと夏の恋をテーマにした切ない内容のナンバーである。
1991年内には完成しており、同年末の年越しライブでは未発表の新曲として初めて演奏された。
元々はシングルA面曲として1992年3月にリリース予定になっており、各メディアに告知がされていたが、「A面曲として売り出すにはインパクトに欠ける」という理由でA面曲としての発売は取り止めとなり、本作のc/wとして改めて収録された。
発売当初は未タイアップであったものの、CD発売直後の1992年8月にフルモデルチェンジされて発売された新型トヨタ・カリーナ「“丘の上のカリーナ”編」のCMソングに起用され、CMにはサザンと同じアミューズ所属の富田靖子が出演していた。
このころのサザンは後にMr.Childrenなどにプロデュースを手がける小林武史さんが編曲とプロデュースに関わっていたころで、
きっかけは、キーボードの原由子が産休からカムバックし、本格的バンド活動を再開し、1988年6月25日、デビュー10周年の記念となる日に24thシングル「みんなのうた」をアレンジ、プロデュース業を共に行うことからで、前年に桑田はソロ活動で小林と共同プロデュースを行い、非常に完成度の高いアルバムを作っていた。
「このアルバムのシェフは小林君、自分は素材として気持ちよく仕事ができた」と語っており、その流れでサザン本体にも合流したものとされる。
この時期から楽曲製作に関して「桑田(+アレンジャー)+スタジオ・ミュージシャン+プログラマー・マニピュレーター+レコーディングエンジニア」という図式が見られるようになり、桑田以外のメンバーが干渉する割合が減ったと言われている。
小林と桑田はさらに原由子の2枚組ソロアルバム『MOTHER』のプロデュースも担当し、桑田はソロライブで「彼が嫌だと言っても、これからのサザン関係巻き込んでいきます!」と小林を絶賛していた。
1991年にはベースの関口和之が病気療養で休養に入るが、1992年7月21日に30thシングル「シュラバ★ラ★バンバ」、31thシングル「涙のキッス」を2枚同時発売し、サザン、そしてオリコン初のシングルチャート初登場1,2フィニッシュを果たした。
「涙のキッス」はTBS系ドラマ「ずっとあなたが好きだった」の主題歌に起用され大ヒット、サザンでは最高記録となる7週連続オリコン首位を獲得するなどサザン初のシングルでのミリオンセラーを突破した。
11thアルバム『世に万葉の花が咲くなり』、34thシングル「クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)」を最後にサザン(桑田ソロ含め)との共同作業から離れる。
このはっきりした理由はファンに明らかにされてはいないが、桑田は「(小林は)危ないヤツと分かった」という風に語っており、蜜月の終わりを示唆している。
この「危ないヤツ」という表現は人間性を否定しているものではなくアレンジャーやミュージシャンとしての才能を存分に評価し、バンドであるはずのサザンのメンバーを差し置いて小林に頼りすぎてしまうという意味で発言したものである。
その後この小林との縁で桑田佳祐&Mr.Children名義でのチャリティー活動や、小林と桜井和寿(Mr.Children)が中心となって活動するap bank fesへの出演など作品面以外での交友が続いている。
近況として、オフィシャルページ「SAS応援団」より。
3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震にて、
メンバー、スタッフ一同、
皆様のご無事と地震の沈静化ならびに一日も早い復旧を心よりお祈り申し上げます。
所属事務所アミューズでも義援金を開設してます。
「http://www.amuse.co.jp/amuse_bokin/」
桑田さんのラジオ番組「やさしい夜遊び」(毎週土曜夜11時JFN系)のネタ掲示板より。
3/26放送分のお題急遽変更
「サザン・桑田佳祐を聴いてもっと元気になろう!!」
みなさまのメッセージ・リクエストお待ちしてます。
1992年中国北京で行ったライブ「南天群星北京で逢いましょう」より。