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お届けするのは
長渕剛「俺らの家まで」
1956年鹿児島県出身。
九州産業大学(あとに北条司先生、江頭2:50、松村邦洋、蛯原友里など後輩が入学することになる…)に合格し、上福。
福岡天神のライブハウス「照和」で弾き語りを行い、ヤマハ音楽振興会主催のポピュラーコンテストに出場し、入賞をきっかけに音楽の世界に入り、
1978年10月5日、シングル「巡恋歌」で本格デビュー、翌年3月5日にファーストアルバム『風は南から』、11月5日にはセカンドアルバム『逆流』と、立て続けにアルバムをリリースし、その強い音楽的オリジナリティを世に示すこととなる。
1980年8月18日、アルバム『逆流』からのシングルカット曲「順子」が、シングルチャートでランキング1位を獲得するヒットとなり、"長渕剛"の名は全国に浸透する。
2003年リリースのシングル「しあわせになろうよ」においてシングルの総売り上げ枚数が1000万枚を越え、また、オリジナルアルバムにおいては、12枚のアルバムが1位を記録するなど、今日に至るまで、長渕はさまざまなエポックを作りながら、全力で走り続けている。
シングルやアルバムにおけるセールスはもちろん、1992年の東京ドーム、2002年の横浜スタジアム、2003年の赤レンガパークなど、数々の会場での動員記録を塗り替え、また、2004年・夏、桜島の荒地を開拓して作った野外会場でのオールナイトライブでは、日本全国から7万5千人を集める驚異の集客力を見せつけ、音楽界に大きな衝撃と感動を記録した。
音楽活動以外でも、TVドラマや映画出演における、俳優としての才能も高く評価され、また、近年では詩画展の開催を通じ、その芸術的才能も広く知られるようになった。
それら、音楽・芸術・文化の枠にとらわれることなく、さまざまな魅力を発揮しながら、休むことなく尚走りつづけていく彼の真摯な姿勢が、多くの若者たちの支持を集めている。
2006年3月19日には先のオールナイトライブ跡地に、記念モニュメント「叫びの肖像」が建立され、除幕式典に参加。15,000人が詰め掛け話題となる。
そんな華原朋美と同じ潜在能力仲間の長渕兄貴ですが、
この曲は、2枚目のシングルとして選ばれたA面曲「俺らの家まで」は、ファーストアルバム『風は南から』のシングルカットである。
この楽曲を初めてライブで演奏した時に、それまで座って演奏を聴いていた観客が総立ちになったという逸話がある。
以来、初期の頃は頻繁にライブでも演奏されていたが、長渕本人の声質、音楽性の変化と共に長らくライブでは演奏されなくなった。
後の1992年の東京ドームライブにて演奏された後は、再び定番の楽曲として演奏されている。
こちらはヤマハが行っていた音楽番組「コッキーポップ」でデビューしてまもない若き日の長渕兄貴が歌っている模様でたいへん貴重な映像です!!
本編
長渕剛「俺らの家まで」
1956年鹿児島県出身。
九州産業大学(あとに北条司先生、江頭2:50、松村邦洋、蛯原友里など後輩が入学することになる…)に合格し、上福。
福岡天神のライブハウス「照和」で弾き語りを行い、ヤマハ音楽振興会主催のポピュラーコンテストに出場し、入賞をきっかけに音楽の世界に入り、
1978年10月5日、シングル「巡恋歌」で本格デビュー、翌年3月5日にファーストアルバム『風は南から』、11月5日にはセカンドアルバム『逆流』と、立て続けにアルバムをリリースし、その強い音楽的オリジナリティを世に示すこととなる。
1980年8月18日、アルバム『逆流』からのシングルカット曲「順子」が、シングルチャートでランキング1位を獲得するヒットとなり、"長渕剛"の名は全国に浸透する。
2003年リリースのシングル「しあわせになろうよ」においてシングルの総売り上げ枚数が1000万枚を越え、また、オリジナルアルバムにおいては、12枚のアルバムが1位を記録するなど、今日に至るまで、長渕はさまざまなエポックを作りながら、全力で走り続けている。
シングルやアルバムにおけるセールスはもちろん、1992年の東京ドーム、2002年の横浜スタジアム、2003年の赤レンガパークなど、数々の会場での動員記録を塗り替え、また、2004年・夏、桜島の荒地を開拓して作った野外会場でのオールナイトライブでは、日本全国から7万5千人を集める驚異の集客力を見せつけ、音楽界に大きな衝撃と感動を記録した。
音楽活動以外でも、TVドラマや映画出演における、俳優としての才能も高く評価され、また、近年では詩画展の開催を通じ、その芸術的才能も広く知られるようになった。
それら、音楽・芸術・文化の枠にとらわれることなく、さまざまな魅力を発揮しながら、休むことなく尚走りつづけていく彼の真摯な姿勢が、多くの若者たちの支持を集めている。
2006年3月19日には先のオールナイトライブ跡地に、記念モニュメント「叫びの肖像」が建立され、除幕式典に参加。15,000人が詰め掛け話題となる。
そんな華原朋美と同じ潜在能力仲間の長渕兄貴ですが、
この曲は、2枚目のシングルとして選ばれたA面曲「俺らの家まで」は、ファーストアルバム『風は南から』のシングルカットである。
この楽曲を初めてライブで演奏した時に、それまで座って演奏を聴いていた観客が総立ちになったという逸話がある。
以来、初期の頃は頻繁にライブでも演奏されていたが、長渕本人の声質、音楽性の変化と共に長らくライブでは演奏されなくなった。
後の1992年の東京ドームライブにて演奏された後は、再び定番の楽曲として演奏されている。
こちらはヤマハが行っていた音楽番組「コッキーポップ」でデビューしてまもない若き日の長渕兄貴が歌っている模様でたいへん貴重な映像です!!
本編