わしやま

実験的に楽しく、まじめに書き込んでいるブログです!以上書き込み責任者:やましたじゅんいち

うさぎ恋しい

2011-03-29 22:00:00 | わしやま音楽祭vol.13
お届けするのは

篠原ともえ「ココロノウサギ」

本日は篠原ともえ氏のお誕生日ということであっぷしました。


現在映画や舞台を中心に俳優として活躍しつつも、ギター、ベース、シンセサイダーなど使いこなし、手先が器用に音楽活動や服飾界でも多彩にひそかに活躍している状態でありますが、

1990年代半ば、シンディ・ローパー、直木賞作家志茂田景樹さんに負けないファッションセンス(影響があるはず)でランドセルを背負って、ハイテンションに振る舞い、暴れまくるキャラクターはお茶の間では衝撃的で、周りから賛否の声があったもの、そのキャラクターは徐々に定着し、彼女のファッションセンスを「シノラー」と言われた。

歌手デビュー当初は、所属レコード会社仲間の電気グルーヴの石野卓球のプロデュースで行い、アップテンポなナンバーが目立ったが、この曲は、卓球氏から離れてのシングルで、今までとは違うまともなバラードナンバーで、キャラクターで抵抗を持った人たちがこの曲で見直し、彼女を認めるきっかけにもなったナンバーでもある。音楽面では、高木ブー、広末涼子、野宮麻貴などに作詞を手がけたり、グレードアップして、お友達の鈴木亜美に作詞作曲編曲プロデュースを手がけたりしている。

エピソードとして、

高校3年の時に、ある産業組合のポスターのコンテストで全国1位を獲り、表彰されている。しかし、応募者は7人であった。

篠原が一時期よく使っていた「チェキー(Check it)」という言葉を番組プロデューサー水口昌彦が気に入り、企画していたアイドルグループの名前をチェキッ娘に決定。

『LOVE LOVEあいしてる』のレギュラー企画の特別版「篠原ともえのプリプリプリティ!!! International」で、海外ミュージシャンとの交流が多数あり、その一部は単体の企画以上の成果を上げた。以下は一例。

フリオ・イグレシアス - 1997年に突撃。それがきっかけになり、彼の1999年のベストアルバム『マイ・ライフ』で「ジェガステ・ア・ミ・ヴィダ 晴れた空そんな日に」をデュエットすることになった。日本盤のみの収録。

エアロスミス - 1998年に突撃し、一瞬ではあるがその際の映像が、彼らの1998年のシングル「FULL CIRCLE」のプロモーションビデオに使われている。一方、篠原は同企画直後に、スティーブン・タイラーとの出会いと別れをテーマにした「ハロー・スティーブン」(作詞:篠原ともえ/作曲:篠原ともえ、長谷川智樹)という楽曲を製作、スティーブン・タイラーからもらったブルースハープを全面にフィーチャーしている。

ショーン・レノン - 1998年に突撃し、むりやり意気投合。同年9月17日に、ショーンのライブに飛び入り参加して驚かれている。


2005年頃、アニメ『こどものおもちゃ』がフランスでヒット。篠原が歌っていた後期OP曲「ウルトラリラックス」にも注目が集まり、クラブで頻繁にプレイされるなど話題になった。そのため、篠原は2005年11月、2006年3月・6月に渡仏、パリでライブを行なっている。

乱杭歯(八重歯)が特徴だったが、矯正により歯並びは昔と変わっている。

星を見るのが大好きで、高校時代は天文部に所属していた。誠文堂新光社発行の天文雑誌『天文ガイド』2008年2月号の不定期連載記事「星空FAN!」に登場したのがきっかけでプライベートでは日食・月食・流星等の観測をするようになった。

天文ガイド2011年3月号・4月号では篠原自身が登場した特集記事「篠原ともえさんと星降る夢の楽園・青ヶ島へ」が掲載された。

母方の曾祖母は伊豆諸島青ヶ島の最高巫女といわれた廣江のぶゑ。2010年12月5日には本人の念願であった青ヶ島での無料凱旋ライブを行った。この模様は天文ガイド2011年3月号で紹介された。

電気グルーヴとの親交が深く、彼らの20周年記念ライブにもステージに登場している。

深田恭子とは友達で、プライベートで遊ぶことがある。


篠原さんのオフィシャルページより、東北太平洋沖地震で被災された方々へのメッセージ。



3月11日の地震で 悲しみをうけたすべての皆さんに 手を合わせます。
たくさんの出来事を一緒に受け入れていきたく思います。

もうすぐ4月 春も間近です。

心は揺れないように過ごして
いつも通りの春が来て、美しい桜を日本で一緒に見れますように。

梅は満開です。春はもうすぐです。


篠原ともえ


最新の画像もっと見る