労働者のこだま(国内政治)

政治・経済問題を扱っています。筆者は主に横井邦彦です。

再度、「現在の経済危機=茶番」説を考える

2008-10-16 01:26:29 | Weblog
 前回は、某党派の「恐慌=茶番」説を考えたが、今回は別の観点から「現在の経済危機=茶番」説を考えてみよう。

 というのは、よくよく考えたら、現在の世界的な経済危機は、「森の石松」ではないが、「大事なことを忘れていませんか?」という話になっているからである。

 株も下がっているし、商品市況も下がっている、他に何が必要だというのだろうか?

 そう、これほどアメリカ発の信用不安ということが声高に叫ばれて、世界中の株式市場や商品市場、債券市場が動揺しているわりには、外為市場はそれほど混乱していないのだ。

 もちろん、一時的には、ドル安、ユーロ安が進んだが、それは急速に修正されている。

 もちろん、その理由は明らかである。ここでドル売りが進めば、それこそ津波のようなドル売りとなり、1ドル=60円、50円というレートさえ考えられるような情況に陥ることが明らかであるからである。

 だからドルを売りたいというという勢力はあるが、結果が破滅的であるだけに、売れない、売らないという“恐怖の均衡”状態にあるからである。

 このことは、この経済危機がまだフリー・フォール(自由落下)の状態ではなく、統制がきく状態で起こっていることを表している。

 そういう点では、「現在の経済危機=茶番」説は一定の根拠がないわけではない。

 ところが、この「現在の経済危機=茶番」説も、日欧米の資本主義国の経済危機対策が“銀行への公的資本の注入”に収れんすることによって終わりを告げようとしている。

 もともとはサブプライム問題に端を発した昨年からの株式市場の“崩壊”は、その“崩壊”自体が銀行の収益を圧迫し、銀行の収益が悪化しているのではないかという疑念が信用不安(銀行の支払い能力への疑問)を生み、短期資本市場の金利の高騰と株式・国際商品やその先物の暴落をうむという悪循環になっていったものである。

 つまり、単純にいえば、銀行の収益が悪化したので株が下落したのではなく、逆に株が下落したから銀行の収益が悪化したのである。

 そういう観点からするなら、銀行への公的資本の注入はあまり意味のない政策ということになるが、これは日本の小泉政権のもとでの経験がもとになっているのであろう。

 日本ではすでに1998年に“金融安定化法”が成立していたが、成立当初は銀行の自主申告にもとづいて公的資本の注入がなされていたということもあって、銀行への資本注入にはあまり利用はされなかった。むしろ公的資金は長銀のような完全に破綻した銀行の整理のために使われていたのだが、銀行に強制的にでも公的資本を導入することに執着したのは21世紀に入って小泉政権が誕生して竹中氏が金融相に就任したからであった。

 なぜ竹中氏が銀行への公的資本の導入に強い執着心を持っていたのかといえば、それは小泉政権になって、日本の景気が回復に向かっているにもかかわらず、東京株式市場が下落を続けていたからであった。

 つまり竹中氏は強権によって銀行の不良債権の処理を急がせ、銀行の体力を回復させることによって、銀行に株を買わせることによって、株価をつり上げようとしたのである。

 しかし、実際には、株価の自立反転は、銀行による株の買い上げというよりも、日本資本主義の回復によるものであった。

 つまり、前回の日本資本主義の景気回復過程は21世紀に入ってからの世界経済の拡張の結果であり、原因でもあった。その結果、日本資本主義は外需依存を一段と強め、中国などの開発途上国への積極的な生産財や資本の輸出、アメリカなどの先進国への耐久消費財の輸出といういびつなかたちで行われたために、貧弱な国内産業はそのまま取り残され、生命力を持った資本は輸出によって稼いだ資本を労働者の賃金の安い中国に投下して生産拠点を移すというやり方で増殖していたために、地場産業や労働者の劣悪な労働環境がそのまま放置されたり、大量の労働者が雇用の非正規化の進行によってむしろ生活環境を不安定化させていた。

 だから、日本資本主義はその景気回復過程において、外需依存によって急速な自己増殖を続けることによってもたらされる資本の繁栄と日本国内の経済の停滞というアンバランスが生じており、それが東京株式市場の平均株価にも繁栄されていた。

 しかし、このアンバランスは、日本資本主義が海外に投下した資本が海外で生産力化して果実を生んで本国(日本)に送還されるにしたがって解消されるはずあったが、小泉政権はそれを待てなかったのである。

 そういう点からするならば、現在の世界経済の状態、すなわち、世界的な規模で集積された過剰生産力が顕在化しつつあるという状態とは、まったく異なるものであることが分かる。

 つまり、全体として、世界のブルジョアは間違った道を選択してしまったのであり、間違った選択が、「現在の経済危機=茶番」が果たして、このまま茶番のままで終わるのだろうか、という疑念を生みだしている