ガーベラ・ダイアリー

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本の内容は基本的にネタバレです。気をつけてお読みください。

後藤 竜二・作  鈴木 びんこ・絵 「12歳たちの伝説 Ⅱ」 新日本出版社

2007-12-19 | こんな本読みました

先日記事にした(12月14日)同著者による「12歳の伝説」シリーズ。第一巻目とは、違ったメンバーに光があたっている。

それは、水沢香織、半田朱美、寺野 透、木谷 侃の4名だ。

学級の荒れている様子はあまりふれておらず、本書は主に子どもたち同士の人間関係が描かれている。

例えば水沢香織の場合。
自分たち4人は親友でなかよしグループとしてやってきたのに、ある日突然決裂する。その内部分裂の様子とお互いの心のうちがよくわかるように描かれている。紆余曲折を経て結局香織が孤立する。子どもの意地やプライド、仲間への信頼感の喪失。そういった心の機微が描かれている。

また寺内 透の場合。
暴力をふるってしまう子どもの心理状態が描かれている。彼の章を読むと、自分の思いを表現する言葉が稚拙なことがわかる。自分の思いを表現しうまく伝えることができないがゆえに、暴力という表現手段をとるのかもしれない。

<やっぱ、暴力は、ダメだ。学級会とか、話し合いとかって、カンケーネーって馬鹿にしてたけど、あいつらのおかげで、オイラの気持ち、みんなに通じた。
 通じたと思ったとたん、オイラ、ちゃんとネネにあやまろうという気分になった。>

人間、わかってもらえる(もらえそう)…と思った人にしか自分のこころのうちは見せないものではないか。下手に言ってお説教されたくないと思うのだろう。もしくは本音を言うことによって、自分を傷つけられるのを恐れているのかもしれない。自分と対峙している相手が心を開くというのは、自分にそれを受けとめる器があるか…というバロメーターと言えるのかもしれない。

不登校の子どもも、自分の殻にこもってしまう子どもも、心の中でなにも考えていないわけではない。自分なりの理屈があるのだ。しかし、その理屈がどこかでこじれていたり、自分を責めたり、自信のなさから虚勢をはったり…といろいろにねじれて表現されていることがある。

この4名の子どもたちの視点から世界を見て、そんなことを思った。