SCUM’S BLOG
満たされている時は
満たされている事に気付かない
むしろ枯渇すら感じる
 



幼少の頃から、ドングリマナコとよく言われてきた私は、自分ではそうは思わないのだが、どうも、目が大きい方のようだ。

ドングリマナコ…

こう言われて、幼少の私は、何気に傷ついていた。

ドングリマナコが、団栗眼であり、丸くてクリクリしている目という意味だなんて知る由も無く、ドングリマナコに対する、当時の私の知識なんて、

♪ ドングリマナコにヘノジグチ~

の、ハットリ君の歌詞ぐらいなものだった。

幼少の私にも、ヘノジグチぐらいは解った。
ヘの字口、だ。

への字口なんて、どう考えても、褒め言葉では無い。

それに並べられ歌われている、ドングリマナコ。

幼少の私的には、それは、ゲジゲジマユゲとか、そうしたものの類だと思っていた。

親だったか誰かに、それは違う、ドングリマナコっていうのは、丸くてクリクリとした目という意味だよと教わっても、既にネガなものとして受け止めている私には、ドングリマナコ=ギョロ目、という意味合いにしかとれなかった。

そうして、目をコンプレックスに思っていた私だったが、大人になるにつれ、さすがに私の目を「ドングリマナコ」と表現する人もいなくなり、あからさまに羨む人も少なくなく、私の目は、醜いものではないのかと、理解できるようになって行き、いつしか、私は自分の目が、コンプレックスではなくなっていった。

本当は、一重の三白眼とかに憧れるのだが、私は私、このバランスで成り立っているのだから、しかたがない。

少なくとも、現在、「目がキモイ!」とか言われるわけではないので、ヨシとしている。


…のだが、だが、しかしだ。


私はコンタクトレンズ使用者だ。

コンタクトレンズは、メガネと違い、相手に視力が弱い事が伝わりにくい。

人との話の最中、私の視力が弱い事を言うと、案外少なくない返事が、コレ。

「え!SCUM君、目が悪いの?目が大きいのに?


ほんとにほんとにほんとにほんとにほんとにほんとにほんとにほんとにお前は馬鹿か!


だいたい、目が大きいという表現がおかしい。
私は、眼球が大きいわけではない。
輪郭や、まぶたの状態など、色々な要素を総合的に見て、目が「大きそうに」見えるだけだろ?

メガネかけてる連中はみんな細目か?
メガネかけてない連中はギョロ目か?
視力の低下と共に、眼球が縮むのか?
俺たちの数倍もの視力を持つアフリカとかの人達が、俺たちの数倍もある眼球を持ってるってのか?


ぁあ!?


そうした、考え無しで無根拠な何気ない一言で、無知で純粋な子供たちが、コンプレックスを覚えたりするんだって。


さて、なぜ、目の話になったかと言うと、私は使い捨てのコンタクトを使っているのですが、予備のコンタクトが無くなってしまったので、新しいものを買いに行ったのです。

その時、コンタクトを買った人には、メガネを約1/4の値段で売ってくれると書いてあったので、メガネも買う事にしたのです。

今時のメガネって、細めのが流行っているのだとかで、細めのメガネばかりでした。

そんな中、私が気に入ったメガネは、中でも、より細いもの。

試しにかけてみたら、メガネの上下から、目がはみだしちゃって、そりゃヒドいものだったのです…

メガネ屋の人にも、それはちょっと…と言われてしまいました… orz


しかし、このメガネにおさまる目の人が圧倒的多数という事は、私がさっき書いた、

>目が「大きそうに」見えるだけだろ?

ってのは、ウソですね。

顔面を覆う、皮膚から見える眼球部分が広い、とでも表現すればいいのでしょうか?


傷心のまま、二見に夕陽を見に行く。

この夕陽が見られるのも、これが最後かな。

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